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ヤズマは全力を振り絞っていた。それこそ、小剣を握ったまま飛び回る。
腕から足から繰り出される敵の攻撃をかいくぐりながら、わずかでも攻撃する機会をうかがって目を凝らし続けている。彼女にとってサタニック・サイクロプスはこの上ない強敵であり、一瞬も気が抜けなかった。この戦いに集中する以外の選択肢はなく、他に気を回す余裕などかけらもない。
攻撃するなら、目か、口の中。
彼女はそう決めていた。
そのくらいしか効果のありそうなところが見込めない。
サタニック・サイクロプスも馬鹿ではない。飛び回るヤズマの回避を見て、なんとか彼女を追い詰めようと頭を使ってくる。足を踏み鳴らして注意を引きつけたり、壁に追い込むような攻撃をかけたり。
こうした動きはヤズマの精神力と体力を削っていく。
攻撃の機会を狙いながらも、ただ反射的に攻撃をかわすだけではうまくいかなくなるからだ。考えてから動いていたのでは到底間に合わない。動きながら考えるか、瞬間的に最良の判断を下すしかなかった。
そのあちこちへと飛び跳ね、体を開き、足を踏む行為は周囲の見守る冒険者たちに図らずも典雅な舞のような印象を抱かせた。
ヤズマは髪を振り乱し、汗を散らし、大きな敵と戦っているのだ。互いに、互いを殺すために。
命をかけた戦いである。
サイクロプスも全力だった。このすばしこく動き回る厄介な敵を倒そうと、彼も必死なのだ。
しかしヤズマは死力を尽くしていた。明らかに限界を超えた動きをしている。空中に飛んだ彼女を叩き落とそうとサイクロプスが腕を振り下ろせば、その指にしがみついてでも直撃を避けた。自分から蹴りつけてでも相手の思い通りにはさせなかった。
誰の目にも驚異的な跳躍であり、無理な動きでもあった。
こんなことがいつまでもできるはずはない。
戦いを見つめる冒険者たちは、追い込まれていくヤズマの身を案じる。
飛び回るヤズマは空中で壁を蹴っては空高く舞い、かと思えば器用にくるくると回転して敵の肩を蹴り、数少ない無事な家屋の屋根へ乗る。またそこから飛び出して敵の攻撃をかわし、地面に着地すると同時に横へ飛びのく。まるで休む間もなく動き続けていた。
その華麗なほどの動きが少しずつ精彩を失っていく。疲労のために。
いずれ、敵の攻撃にとらえられるということは自明だ。
レイにはそのことがよくわかっていた。
すでに肩で息をするほどにヤズマは疲れている。それでも、地を蹴って飛んでいるのだ。
なんのために? サタニック・サイクロプスに勝てないとわかっているのに?
(ヤズマさまは、どうしてここまで戦えるのだろうか。
御曹司の伴侶となるだけなら、これまでの貢献でもう充分であるはずなのに。それとも、蛮族という身分は私が考える以上にカタロニアの貴族にとって重いのか)
心の底から、レイはそう考えている。
今ヤズマが必死に頑張っているのは、リットのためだと。リットと結ばれるためだ、と考えている。カタロニアを守る気持ちも無論本物だろうが、御曹司のリットに対する愛が何よりの理由だろうと。
これを訂正できる者はここにいない。レイの考えを知りえる者もない。
肩で息をしているのはヤズマだけではない。相対するサイクロプスも同じだ。何度も何度も、彼は全力で攻撃を繰り返している。いかな巨体といえども、その体力は無限でない。いかな魔物といえども、その気力は無限でない。
必死に小さな生き物を追い回した彼は、いつまでも仕留められない焦りを感じてさえいる。
しかしながら、ついに小さな人間が足をもつれさせた。もう、倒れ掛かろうとしているではないか?
ようやくこの勝負に終わりがつく、とサイクロプスは考えた。小賢しい敵にとどめをさそうと、わざわざ両手でもって柱を握って振り下ろした。一直線にだ。
恐ろしいほどの質量が、すさまじい速度をもってヤズマへと向かう。誰が見ても、ヤズマの一巻の終わりだった。
その、ほんの一瞬で柱は折れた。まるで爆発したような数の木屑を周囲に飛び散らせる。
カタロニアの町を舗装していた石畳は砕け、土埃を巻き上げてしまった。
だが、ヤズマはその柱の直撃をかわしている。
彼女は隙を見せれば敵が攻撃してくるということを、ちゃんと計算していたのだ。そうしておいて、残しておいた最後の足を使って攻撃を避けて見せたのである。
敵は大ぶりの攻撃の直後であり、つまり最大の攻撃のチャンスだった。そして、最後の攻撃のチャンスでもあった。
前かがみになっているサタニック・サイクロプスは頭が下がっている。その眼に、小剣をもって突っ込むヤズマの姿が映る。
ほんの一瞬でヤズマは矢のように飛び出して敵の急所を的確に刺した。
眼球を斬られて巨体が揺らぐ。
敵が痛みに悶えている間に、ヤズマは着地してくるりと後方に一回転。その間にもう、弓を構えていた。
「すごい……」
レイはすっかり見惚れていた。その素早さと、一瞬の機転に。
彼女はあまりにも近くでヤズマという存在を見続けてきたゆえに、その戦いの美しさに気を取られていた。
だから、肝心なことに気づかないでいる。
放たれた矢が、サタニック・サイクロプスの鼻腔に入り込み、その脳を射抜いた。
ここに死闘の決着はつき、ヤズマは勝利を得たといえる。
だがそのさまどうか?
髪はすっかり乱れて、衣服は汗でぐっしょりと濡れ、泥にまみれているではないか。
つまり、彼女はカタロニアの人々の前に蛮族としての姿をさらけだしていた。
「あれは、フエルストを倒した蛮族じゃないのか……?」
冒険者の一人が、今のヤズマを見てぼんやりとそんなことをつぶやく。
致命的な一言であった。
「いや、あれは弓使いのユマであって、蛮族ではない。たまたま、背格好が似ていただけだろう?」
「だがあの動き、あれはまさしく蛮族のものだ」
「どうなんだ?」
ざわめき、どよめきが次第に広がっていた。