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害虫退治の一件は、サフィー以外のギルド職員にも伝わった。酒場に害虫が発生したという話が広がるのはまずかったので、おおっぴらにはされなかったものの、「弓使いのユマ」がまたも何か活躍したという情報はあちこちでささやかれることになる。
いまや、彼女の名声は不動のものだ。
だがカタロニア周辺に出没している魔物たちと、薬物を販売する組織はいまだ壊滅していない。
サフィーは町議会に問題を振るが、軍隊を動かすことにはあまり色よい反応が得られない。軍は蛮族に対抗するための砦だからだ。
もちろん、ギルドマスターの読みは当たった。問題を振った途端に協力はするという言質は得られた。それでも、問題解決のための具体的な施策はほとんど提案されていない。何も変わっていないのが実情だった。
「このままでは折角見つけた施設を移転されてしまい、証拠が隠滅される」
営業の終わった酒場でもう何度目かわからない溜息を吐いていると、彼女の隣に誰かが座った。目をやってみれば、レイ。傷はすっかりいいらしく、にっこり笑って手をひらひらさせている。
「夜更かししすぎじゃないですか?」
彼女は気安く話しかけてくる。女性の冒険者であるレイは、サフィーからしても親しくしたい冒険者の一人だ。常にむさくるしい男の冒険者に囲まれているため、そうした思いがあっても無理からぬことである。
心配されて悪い気はしない。
サフィーは腕組みをして、小さく笑った。
「まあね。おかげで肌もガサガサ、髪もボサボサ。手入れしないとね」
「嫌味ですか。私のほうがひどく見えます」
「若いくせに、何を言ってるのさ」
二人は笑いあった。ギルド職員と冒険者という関係の前に、気の置けない友人同士となっている。レイがギルドに駆け込んできた一件以来話すことが増えて、親密になったのだ。
「実際のところ、あんたが見つけてきてくれたあの施設を調べることができそうにない。それが問題なんだよ」
「でも場所はつかんでる」
「まあね。それだけじゃ意味がないけど。こっちとしては、流通だけでもおさえたいけど。町議会は何にもしてくれない。協力はするっていってるのに、実際には何の手も打たれてない。言い訳ばっかりさ」
「ギルドは手を打てないの」
容赦ないところを、レイが突いてきた。当然ながらこの問題も町議会に丸投げしているわけではない。しかし、ギルドは冒険者に頼った存在である。秘密を抱えた依頼をだすことは危険だし、第一相手が悪い。レイが勝てない相手に、好き好んでぶつかってくれる冒険者など希少だ。ましてや、その中で秘密を漏えいさせないと信頼できる者など。
だからこそ軍隊をもった町議会に振っているのだが、実際それは丸投げと言われても仕方がなかった。
「相手が悪いよ、レイが負けた相手じゃ」
「あれはちょっと油断しただけ。もう一度行けっていうなら行くよ」
「無理しないでいいから」
もう一度ため息を吐いて、サフィーは立ち上がった。この問題にばかりかまけているわけにもいかない。彼女には通常のギルド業務も片付ける義務がある。
そのとき、複数の足音がバタバタと近づいてきて、そのままドアを激しく開いた。敵ではない。依頼に出ていた冒険者たちだ。
彼らは、心底焦った表情で叫ぶ。
「やべえぞ、サフィーちゃん! 襲撃だ、サタニック・サイクロプスだ!」
「サタニック・サイクロプスだって?」
サイクロプスの最上位種!
以前ヤズマがたおしたサイクロプスに似るが、その膂力も体格も大幅に向上している怪物だ。そんな魔物がカタロニア周辺に出没したということは、過去に例がない。
そもそも、討伐に成功したという例すら稀有だ。国に数名もいないような、伝説級の傭兵が戦ってどうにかしたという情報が出る程度である。
真っ先にサフィーが考えたのは、カタロニア全住民が避難するための時間稼ぎだ。それが必要だった。
「緊急警報を発令しろ! 全門を開放して逃げたい奴から逃げさせて、希望者にはギルドの地下へ避難させろ! 冒険者には緊急クエスト発令、サタニック・サイクロプスを一分でも食い止めた奴には10金貨、討伐した奴には3000金貨をくれてやる!」
ありったけの金貨を放出する気である。ありえないほど破格の報酬を打ち出し、サフィーはカタロニアの冒険者を奮起させようとした。
隣にいたはずのレイが言い終わった頃にはもういなくなっている。飛び出して行ってしまったのだ。この警報を各所に伝えに行ったものと思われる。
「こんなときにいうのもなんだが、森の奥にいる魔物たち、なんだか様子がおかしかったぜ。この襲撃といい、何か悪いことが起こっている予感がしやがる。
サフィーちゃんもギルドをやめるんならいつでも言ってくれ。嫁にもらう準備はできてるから」
報告してくれた冒険者も、そんなことを言い残してすぐにギルドを出て行ってしまった。返答をする暇もない。
もちろんサフィーも大急ぎでクエスト発令の書類を書き上げ、印証を荒々しく叩きつける。それをもってすぐさまギルドを出た。
町議会へも報告し、でかでかとクエスト発令を周知した後にしかサフィーは動けない。
レイはそれを承知していたので、一目散に走った。サタニック・サイクロプスがいる場所は大騒ぎになっていたので、探す手間はない。騒がしい方向へ走ればすぐに目的地だった。
彼女は迷う心配を全くせずにすんだ。建物の間から、小山のような巨体がすでに見えているからだ。
「私は今からあんなのと戦うつもりでいるの?」
思わず自問自答してしまうくらいには、相手が強大すぎる。大きいということはそれだけ重量もあるということであり、その自重に耐えているというだけで頑健さも推し量れてしまう。敵の一撃は、おそらく一撃で建物や城壁をも砕くほどだろう。
そんなものに人間の身体が耐えられるはずもない。どれほど鍛えていようと。
まともに打ち合うのは自殺行為だ。
現場に到着したレイは、何名かの冒険者がすでにサタニック・サイクロプスを相手にしているのを見て叫んだ。
「みんな、遠巻きにして弓や石弓でかかるんだ!」
もちろん、優秀な冒険者はレイに言われるまでもなくそうしている。だが剣にこだわる者たちもいた。それしか知らないからだ。
彼らは巨人の腕が振り払われるたびにその犠牲となり、強かに体を打ち付けることになってしまう。
「どいつもこいつもだらしねえっ!」
飛び出したのは威勢のいい、しかも体の大きな冒険者だ。ケネル。ヤズマに突っかかって倒されたことのある男だが、意外にもこのカタロニアを愛する心は強かったのかもしれない。
彼は果敢にも天を衝くような巨体を誇る、サタニック・サイクロプスの前に飛び出したのだった。
はちきれんばかりにふくらむ筋肉を見せつけ、敵は飛び出してきたケネルを見据えた。サタニック・サイクロプスは特に武器の類を持っていないが、その両の腕で叩かれるだけで十分に致命傷となりうる。
その顔の中央にはギョロリとした目が一つだけあり、その下は黄色い牙をむき出しにした口が開いていた。彼が何を考えてこのカタロニアに襲撃をかけているのか、この場に知る者はない。いずれにせよ、彼は人間たちを敵とみなしていた。戦う力を持たない住民も、冒険者も、等しく敵であった。