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ヤズマは不思議に思う。
自らを御曹司と名乗ったこのリットという男は、どうしてこうも自分を気にかけてくれるのだろうか、と。
右も左もわからないような状態で、やっと言葉を理解できるようなありさまの蛮族を、町に受け入れてくれるだけでも十分な対応だったはずだ。それなのに、この男は私に家を与え、さらには使用人までつけて不自由がないようにしてくれているのである。
果たしてこの男は私に何を求めているのだろうか。ただ優しい人物であるというだけでは、権力を持たされてはいないだろう。
そのように考え、そしてヤズマはそれ以上考えなかった。
もう少し考えを進めさえすれば、過度に自分を恐れているということがわかったかもしれない。しかし、根本的にヤズマという女は楽観的なのである。どういう理由があろうとも、自分によくしてくれており、それを相手も迷惑に思っていないということであるなら深く追及する必要もないと思いなおしたのだった。
一方のリットは気が気でない。自分がヤズマの手綱をとらなければ、このカタロニアがどうなってしまうか、考えたくもなかった。
蛮族のヤズマはあまりにも強く、平和と安定を簡単に簒奪することができてしまう。人間の体のどこをどうすれば効果的な苦痛が与えられるのかという手法にも精通しており、もしもそれが公開でなされた日には、間違いなく町のすべてが全面降伏を余儀なくされるだろう。たった一人の女に!
だから、彼女の怒りはできうる限り、しずめなければならない。おさえなければならない。それができないのであれば、カタロニアではないところに持っていく必要がある。そうしなければ自分たちに待っているのは暗黒の未来だけだ。
彼女を怒らせた場合、カタロニアに選ぶことができるのは、三つ。命以外のすべてを奪われるか、単に死ぬか、苦痛の末に死ぬか。その選択権すらないかもしれない。
焦りを隠し、リットは再び気を入れて叫んだ。
「ヤズマさまに刃を向ける者、何人たりとも許さん!」
「おう、リット。心配いらない。わたし、あれくらいで疲れたりしていない」
その言葉がヤズマからかけられたとき、御曹司は魂が口から抜け出るかと思うほどの安堵を覚えた。少なくとも、自分は彼女の怒りから外れたからだ。たぶん、アーシャも。
「あいつが投げるより早く、わたしはあいつを殺せる」
手ごろな小石をその手に握り、彼女はそう続けたのだった。振り返ってそれを確認したリットは、驚愕するほかない。
「だから、心配いらない。それに、リットにも手を出させない」
やわらかな口調でそう続け、同時に彼女は手首から先だけをくるりと回すように動かした。それだけで、彼女の手から小石は消え去り、ほぼ同時に怪しい男が苦悶の声を上げる。
ナイフを構えたままどうしていいかわからず、ただ事の成り行きを見ていた男はその一撃で膝から崩れ落ちてしまった。ヤズマの投げた小石は彼のみぞおちを強かに打ち、戦闘意欲を完全に奪い去っていたのだ。
「よし。キアーネを連れてギルドに戻る。アーシャ、もう出てきていい」
物陰に隠れていたアーシャに呼びかけ、ヤズマは歩き出した。
リットはどうしようもなく、何もできない。男たちをギルドに連れて行かなくてはと思い出した時にはもう、ヤズマの背中が遠かった。
ふとその背を見たとき、カタロニアでもそこらで見かけるようなただの若い女に近いような印象も受けたが、「騙されてはいけない」と彼は考えてしまう。あの蛮人を普通の女と同じに考えてよいはずがない、と彼は思いなおす。ここでもまたヤズマは理解者を得られない。
「なんとしても、カタロニアを守らなければ」
その思いを新たにするリットであるが、彼は矛先を間違えている。彼だけではないが。
キアーネの尋問は翌日以降にされることとなった。ギルドに連れてこられた時点で、彼女の消耗が非常に激しく、とてもまともな受け答えを期待できなかったからである。
ヤズマとアーシャは邸宅に戻り、しっかりと休むことができた。




