21
ロウライクはサフィーに迫った。彼ならば傷ついたサフィーを素手で殺すくらいはたやすいだろう。
歯を食いしばり、どうにか抵抗する手段がないかと考えるサフィーは、背後から何かが飛んできたことにも気づけない。ほんの一瞬で飛来したそれは、ロウライクの右腕を的確にとらえた。
突き刺さったそれは、鉄で作られた矢だ。
「ぐっ!」
さしものの敵も呻き、後ろに下がる。矢は敵の腕を貫通している。簡単には抜けそうになかった。かなりの威力だといえる。
誰かが矢を放って、サフィーを援護したのだとしか考えられない。ロウライクも、サフィーも、闇の中に意識を向けた。
「おまえ、くすりのにおいがしてる」
闇の中からそんな声がきこえて、足音が近づいてくる。
「あっ」
声とその気配だけでサフィーはそれが誰であるのかがはっきりわかった。今、この場に一番いてほしい人物である。
一方のロウライクにはその人物がわからない。気にもしていないような存在だったからだ。
「こうさん、しろ」
弓を構えたままギルドの明かりの中にやってきたのは、『弓使いのユマ』こと、ヤズマだ。この場には彼女が蛮人のヤズマであると知っているものはない。
そのため、サフィーは当然のように彼女の名をこう呼んだ。
「ユマ!」
「ゆま? するとお前が噂になってた『弓使いのユマ』か。やってくれるじゃねえか、俺の利き手を」
ロウライクは舌打ちしながら矢を抜こうとするが、鉄でできたその矢は簡単に抜けず、折ることもできない。
幸いにして骨を砕かれているということはなかったが、右ひじから先は痺れていて、もう握力もない。剣を握るのは無理だった。彼は仕方なく左腕に短剣を構えた。
熟達した冒険者である彼は、左手でも武器を扱える。
それを見たヤズマはわずかに困ったように首をかしげて見せる。
「こうさんしないのか」
「誰が降参するか。お前のようなのを間抜けというんだ。闇の中から俺を射っていれば勝てたかもしれないのに、わざわざ近づいてきやがって。こんな接近戦じゃあ、矢で射殺すよりも短剣で突き刺す方が早いんだよ。
まあ、この教訓を生かす機会も、お前には永久にないけど、なっ!」
言うなり、ロウライクはヤズマにとびかかっていった。彼の言う通り、接近戦では弓よりも短剣が勝つ可能性が高い。ロウライクには左手であるとはいえ、十分なほどの勝機がある。
ただし、ヤズマが相手では分が悪かった。
「ぐはっ!」
あっさりと短剣をはねのけられ、次の一瞬で胸を強く叩かれていた。心臓のある胸の中央をを殴られたため、ロウライクの血流は一瞬停止する。肺の中の空気も強制的に吐き出させられ、心肺機能が一時的に麻痺し、意識を維持させられない。
視界がぼんやりとして、すべてが夢の世界のできごとのように見える。
ヤズマがくるりと回転し、ロウライクに背を向けたが、そこに攻撃をしようということも考えられない。彼に危機感が戻ったときにはもう、こめかみにヤズマの足がめり込んでいた。見事な回し蹴りであった。
彼は声もなくその場に昏倒する。
ほんの一瞬で、身も蓋もなく言うならば返り討ちにされた。全く相手になっていない。
「すごっ」
目を見開き、サフィーは唖然としていた。
まさか、『弓使いのユマ』がロウライクを圧倒してしまうとは。それも得意の弓でなく、相手が怪我をしているとはいえ接近戦、格闘において。
「けが、いたそう。くすり、もってきている」
声をかけられて、ハッとした。サフィーも大怪我をしているのだった。盾代わりにして剣を受けた左腕などはひどいありさまだ。もうまともに動かないだろう。しかし死ぬよりはマシだった。
「もうすこしはやくくれば、よかった。すまない」
「あなたが謝ることじゃない」
助けられたのに謝られて、思わずサフィーは苦笑してしまった。まったく立場がなかった。
これでも少しは剣を使えると自負していたのに。『弓使いのユマ』には助けられてばかりだ。
その後、サフィーは適切な治療を受けたが、応急処置にすぎない。それ以上のことはヤズマにはできなかったからだ。
「ユマ、助けられてばかりですまないが、この男を縛り上げてギルドの中に入れておいてくれないか。私は町議会にこのことを知らせに行ってくる。
色々としなければならないことがあるので、治療は後回しになるが、仕方ない」
「ちょうぎかい、というのはとおい?」
「少しあるけれど、そのくらいは大丈夫さ」
ロウライクを倒したので、町議会にはすぐに知らせるべきだろう。サフィーは気が急いている。
しかし、ヤズマは冷静に指摘した。
「おまえ、すこしやすむ。あさになればジョフィ、くる」
「む、そうか……」
ヤズマはサフィーの怪我の具合から心配して、単純に休むように言っただけである。しかしサフィーはその言葉に自らを恥じる。
先ほど朝まで持ちこたえるべきだと考えたはずなのに目の前の脅威がなくなった途端に急いてしまったのだ。他にも襲撃者がいないとは限らないのであり、朝を待つのは当然のことであった。それもわからないほど自分はどうやら動転していたらしい。
ギルドの近くにある施療院も朝になれば開き、治療師であるジョフィもやってくる。傷も診てもらえるというのに。
「そうだな、朝を待とう」
二人はいったん、ギルドの中へ閉じこもった。