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彼女がカタロニアへやってくる、数日前。
一族で最も優秀な戦士であるヤズマは、女性でありながら重大な役目を与えられることとなった。
それも族長自ら指名の上でだ。ヤズマは光栄なことだと感じた。
彼女の一族はその数を減らしており、今や集落に家と呼べるものは二十にも満たなかった。近い未来、淘汰されてしまうであろうと族長は予見したのである。
「わたしはカタロニアの町へいき、一族を受け入れられるように話をする。ということでいいのだろうか?」
ヤズマが族長に役目を確認した。
集落の中央、広場に一族のほとんどすべてが集まっている。ここに来ていない者は、警備の者か病気の者だけである。
それでも一族は四十名ほどしかなかった。もはやこの土地を守ることにこだわっている場合ではない。そのように族長は判断していたのである。
したがって今、ヤズマがカタロニアの町へ行く。
栄えている町へ移住すれば、一族はおそらく生きていけるだろう。少ないが一族にもたくわえがあり、そこで流通している貨幣もいくらかあった。これを元手に商売をすれば、今のような伝統的自給自足の生活よりは楽になるに違いなかった。
それに今の人数では強力な魔物が襲撃してきた場合に、太刀打ちできない。町に行って大勢で生活した方がよいと考えられたのである。
「そうだ、ヤズマ。お前は見た目もよく、狩りの腕も随一だ。
私が見る限り、都会の者たちともうまくやれるだろう。何より一族の中ではお前がもっとも、下界の言葉をうまくつかえる」
「それほどではなく、言葉の自信はあまりない」
ヤズマは族長の褒め言葉に軽く首を振った。実際、彼女の“下界言葉”は拙かった。流暢とは言い難い。
それでもヤズマ以上に、“下界言葉”を扱える者が一族にいないというのもまた事実であった。彼女以上の適任はいないと思われる。
一族の集落を通りがかる旅人や冒険者から下界言葉は一族に知られていた。彼らは一族の集落で体を休める代わりに対価を支払った。それは時に下界で流通する貨幣であり、時に食料となる肉や薬となる植物であった。持ちつ持たれつの関係であったのだ。
そうした旅人や冒険者は幼い子供であったヤズマを何かと気にかけ、心配した。ヤズマの側でも好奇心や持ち前の人懐こさから彼らと身振り手振り、つたない言葉でも交流をとってきたのである。
結果としてヤズマが一族の中でも最も下界言葉に秀でることとなり、それによって旅人たちの接待を任されることが増えるため、さらに彼女の言葉は理解が進む。
今、彼女が交流の使者として下界へ出向くことになるのも当然といえた。
かつて幼い子供であったヤズマも成長し、一族の中では成人と認められている。気に入った相手さえあれば、結婚も認められる年齢であった。
とはいえヤズマにまだその気はなく、これという相手もない。身軽であるともいえる。
「しかしお前以上の適任もない。行ってくれるか」
「大役を任され、光栄だ。承る」
断る理由も特になかった。ヤズマは大任をうける。
このような大任は本来ならたった一人に任せられるようなものではない。多人数でするべきことである。
しかし族長はヤズマ一人に任せた方がよいと考えていた。なぜならなにぶんにも一族の姿は下界の者にとって奇異に映るからだ。これは旅人や冒険者から聞かれることなのでまず間違いない。
ここに立ち寄る彼らは慣れており、特になんということもない。しかし下界に住む多くの人間は一族の姿を一目見るだけでも怯え、すくむのだという。それですむならまだいいが、露骨な敵愾心をもって攻撃を仕掛けてくるような輩も存在する。
そこで少しでも彼らにかかる圧迫感を減らすべく、たった一人でヤズマを行かせることとなったのだ。そのことは申し訳なく思うが、一族の未来がかかったことである。リスクは低い方がよかった。
「そうか。カタロニアの町は遠くはなく、冒険者も多いと聞いている。
なるべく危険のないようにと考えたが、それでも下界の者は我らを恐れよう。十分に気をつけよ」
「心得た」
短く返答するヤズマ。彼女は悩むということには疎遠だ。
しかし浅慮というわけでもない。必要なことはしっかりと訊ねる。
「族長はカタロニアに移住するつもりか? いつ頃になる予定だ」
「十分に我らを受け入れられる下地ができたなら、知らせよ。時機をみて移動することとなろう。すべてはお前にかかっているのだ、ヤズマ」
「承知した」
「また、受け入れが無理だと判断したら帰還せよ。いいな?」
「了解した、いつ頃から行くのがいいのか。族長」
「できるだけ早急にだ、ヤズマ」
一族の者たちの視線を感じる。
ヤズマがこの集落から出ていくということをさみしく思い、今のうちにその姿を記憶にとどめておこう、などというわけではない。一族の運命を決める移住の先駆けを、ヤズマのような若い者に任せてもいいのかと思っているのだろう。
事実、カタロニアで町の受け入れ態勢を整えるのはヤズマであり、それが無理という判断を下すのもヤズマである。彼女の双肩に一族の未来はかかっているといえよう。
自分の若さを自覚するヤズマは、仕方のないことだとあきらめている。この上は結果をもって帰還し、納得させるしかあるまい。
「では、いってくる」
とはいえ、ヤズマは気負いもせず、立ち上がった。すでに旅の荷物は勝手に整えられており、背負い袋を族長から手渡される。
「頼んだぞ」
族長の言葉を背に受けて、ヤズマはそのまま集落を出ていく。
彼女はカタロニアの町の位置をよく知っていたから、おそらくたどり着くことはそれほど難しくない。冒険者や旅人を接待することが多かったゆえに、彼らの向かう町の位置も把握していたのである。
集落の入り口に立つ、見張りにも特に声をかけずに行く。ヤズマはわずかな手荷物だけを持ち、カタロニアへと向かった。
その姿が見えなくなると、族長は大きく息を吐いた。
「皆はヤズマに一族の運命をあずけることに、不満があるようだな」
一族の顔をみながらそう訊ねる。この話はあらかじめヤズマには伝えていたが、他の一族には伝えておらず、皆は今日初めて知ったことになる。
それでもヤズマは狩りの腕でも随一であり、若くとも信頼を集める勇者だ。彼女に運命を預けることにはさほどの反対もないと思っていたが、間違いであったか。
族長が心中に舌打ちをしかけたとき、一人の若者が立ち上がる。
「族長、そのことに不満はない。だが、なぜヤズマ一人を行かせてしまった?」
「あまり大勢を行かせてはかえって下界の者たちを怪しく思わせてしまうだろう。それに、多数の人員をそれに割けるほど一族には余裕があるまいて」
「だが、ヤズマを行かせるなんて!」
激高したような声をあげ、別の若者が立ち上がった。彼は嘆くように天を仰ぎ、こうも叫ぶ。
「俺の日々の癒しがっ!」
彼はヤズマの姿を見ることを、毎日の楽しみとしていたのであった。
ヤズマの姿は見た目もよく、自然に鍛えられた肉体も女性らしさを失わずに均整がとれている。顔だちも決して悪いものではない。若者たちは皆、ヤズマを自分の伴侶にせんと競い合っていたのだ。
小さなリスのクルミをほおばる姿を見たヤズマが微笑むさまなど、彼らに心を射抜くには十分すぎた。若者たちは皆、彼女の魅力に気づいていた。
それなのに族長が勝手にヤズマを下界に送ってしまったので、彼らは不満なのである。
「そうだ! 俺たちのヤズマが!」
「ヤズマが集落から出ていくなんて! 族長は俺たちを殺す気か!」
この後、族長は集落に残った女性らの助けを借りて必死に男性陣の怒りを宥めるが、集落にはしばらく剣呑な空気が漂うこととなってしまった。