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「わたし、薬をなくしたい。手を貸してほしい」
簡単にそうまとめて、ヤズマは説明を終えた。
リットが理解したところでは、このカタロニアを薬物で汚す者がおり、ヤズマはそれを許せないという。蛮族の集落でも催事や狩りに麻薬は使われているものの、ヤズマ自身はそれを嫌っているらしい。万一、アーシャに危害が及ぶようなことがあれば嫌なので、なんとしても麻薬の類をカタロニアから根絶したい。
要するに麻薬取引をするバカを消したい、ということだろうと考えをまとめた。
リットの理解はだいたい、間違ってはいない。その通りである。
「しかし嗅ぎたばこをうる露天商なんてこのあたりでは聞きませんね」
ヤズマの情報を整理しながら、リットは頬杖をつく。
ここでは蛮族に協力しなければならないので、ヤズマの意図が本物かどうかを確かめる余地はない。リットはひとまず麻薬を取引しているらしい露天商のことを調べる。
だがそんな人物は彼の知る限り見たことも聞いたこともない。
「そもそも嗅ぎたばこ自体が、流行らない。だって格好悪いじゃないか」
カタロニアでたばこといえば、葉巻かパイプたばこに限られる。そのくらいしか流通していないし、なじみがない。新天地に挑戦するにしても、もう少し場所を選ぶべきである。こんなところで嗅ぎたばこを売る利点は全くない。
そうすると、ますますその露天商は怪しくなる。
「どうしてその露天商を捕えなかったのですか、ヤズマさま」
「どうせ何も知らされてない」
「そうかもしれませんが」
「そのうち出てくる。おやぶんが」
「何か確信がおありなのですか」
リットは腕組みをしたまま壁際に立っているヤズマを見つめた。今日の彼女は蛮族らしくもなく、落ち着いて何かをずっと考えているように見える。
その凍り付いたような、情け容赦ない瞳もそのままに。
一瞬、田舎貴族のリットはぞっとした。髪を整えたヤズマが冷徹な美女に見えるというのは彼も認めるところであったが、それが計算高くカタロニアを殺戮し、あるいは簒奪する悪女に見えないとは誰も言っていない。
彼にはヤズマが何を考えているのか、わからない。
まさか、その麻薬ルートを簒奪して我が物にしようと考えているのでは? あるいは自分より先にカタロニアを破壊しようとした小悪党を見せしめに惨殺するつもりでいるのでは?
そんな予想すらしてまうほど、リットはヤズマを恐れている。
「たぶん、そうだとおもう」
ヤズマはそれだけしか言わない。本当に根拠がないからだが、リットはそう思わなかった。
「その親分が出てきたら、どうなさるので?」
「消えてもらうとおもう」
ぴきりとリットのこめかみが動いた。消えてもらう、というのはまさに。この地上に髪の毛一つ残さず消し去るというような意味なのかと考えたからだ。
どうやらこのカタロニアを食い物にしようとした彼らは、地獄を見ることになりそうだ。
リットはこの件に関して調査を続けると約束するしかなかった。ヤズマの怒りを買うのは避けなければならない。
御曹司への依頼を終えたのち、アーシャとともにギルドへ顔を出すと、サフィーがやってきた。
「あんた、よく来てくれたね。依頼書を見てほしいんだけど」
ヤズマの手を取り、彼女は分厚い書類の束を見るように促してきた。残念ながらまだヤズマは字を読めないので、アーシャの助けが必要となる。
酒場になっている区画に腰を下ろし、アーシャに依頼書を見てもらうことにした。
「私は仕事に戻るから、受けたいのがあったら遠慮なく言って」
サフィーは奥に引っ込んでしまう。それほど依頼書の束は厚かった。
ぺらぺらとめくるアーシャも顔をしかめなるほどだった。ヤズマはどんな依頼が多いのかと訊ねる。
「ヤズマさま、半分ほどが討伐依頼です。それも、サイクロプス級の強力な魔物ばかり」
「ほお」
「残りの半分は畑仕事や力仕事の依頼のようですが、あのサフィーという人はこの魔物討伐の方をしてほしいみたいです」
「冒険者、こんなにいるのに?」
ヤズマはギルドの中を見回してみた。酒場にいる冒険者も少なくはないし、依頼書を探す冒険者もちらほらと見かけている。カタロニアのギルドにも必要十分な冒険者がいる。何もヤズマが討伐にいかねばならないということはなさそうにみえる。
「いえ。ヤズマさまは簡単に倒してしまわれましたが、普通の冒険者はサイクロプスを討伐する依頼なんて受注しないのです。
死んでしまえばそれっきりですから、慎重に依頼を選ぶのです」
「わかった。それ、全部カタロニアの依頼なのか?」
「そうです。デモニック・オーガほどの差し迫った危険はまだないようですが、街道を行きかう旅商人が襲われるかもしれないので退治してほしいと」
ということは、それほど町に近いところにはいないらしい。討伐するには遠出しなければならないようだ。
それにしてもアーシャのいうことが本当なら、サフィーが自分にこの討伐依頼を受けてほしい理由もわかる。サイクロプスのような魔物は、カタロニアのような小さな田舎町にとっては本当に手に余るのだろう。デモニック・オーガがいなくとも、この依頼の山がある状況だけですでにギルドは大変なのだ。
「わかった。適当に場所、教えてほしい」
ヤズマはアーシャに依頼書に記載された場所を教えてもらう。依頼を達成するには、何日かにわたって外に出なければならなかった。
その間アーシャはリットの屋敷に戻ったほうがいいだろう。ヤズマはそう考えたが、アーシャ自身がこれを拒否した。ヤズマに与えられた邸宅で帰りを待ちたいのだという。その心はとてもうれしいものだったが、一人にするのは危険だ。リットに相談し、護衛をつけてもらわなければならない。
信用のおける人物に護衛をと考えたが、意外にも以前見たことのある顔が名乗りを上げてくれた。
「ユマさま、あなたの留守は私が守ります」
冒険者のレイが、邸宅とアーシャを護衛するといってくれたのだった。彼女なら安心して任せられるだろう。
ヤズマはなぜ弓の名前ばかりが有名になっているのかと不思議ではあったが、訂正することはできない。とにかくレイがいるなら自分は外に行ける。ヤズマは狩りの道具をそろえて、カタロニアを出た。
それから数日が経ったころ、まだ変わらず、レイは依頼を忠実に果たそうとしていた。
護衛対象であるアーシャが狙われる理由は色々あるだろうが、何しろ冒険者としての名声をほしいままにする弓使いのユマを世話する身なのだ。ユマの名声に嫉妬した輩が、アーシャを誘拐してユマを思い通りにしようと考えるかもしれない。あるいはまた、ユマの代わりにアーシャを害することで満足しようとするかもしれない。
弓使いのユマに助けられた冒険者の一人であるレイはそのようなことを許せない。身を入れて、依頼に当たっている。
その日も邸宅に近づくものを警戒していたのだが、なぜか蛮族のような格好をした女が一直線にこちらに歩いてくるではないか。あわててレイは誰何した。
「とまれ、何者だ。蛮人がここに何の用がある」
蛮人は足を止めたが、困惑しているようだった。まるで「ここに入るのは当然許されているはずだが、なぜ呼び止められたのか」と考えているような態度だ。
理由はあるのかもしれないが、レイとしては蛮人を家の中に入れるわけにいかない。
「おい」
「護衛の役目、ちゃんとしてくれてるみたいで安心した」
追い返そうと口を開いた途端、相手は虚を突くようにそんなことを言う。ますますわけがわからなくなったレイは、一瞬戸惑う。
そこで騒ぎに気づいたアーシャが飛び出してきた。
「ヤズマさま!」
彼女の護衛であるレイはあわてて止めようとしたが、間に合わない。アーシャは喜色満面で蛮人の手を取った。
「おかえりなさいませ、ご無事で」
「ただいま、アーシャ」
ヤズマというらしい蛮族はこれに笑みでこたえて、とにかく家に入ろうと促す。二人はそのまま家に入った。
取り残されたレイは、わけがわからない。今度は彼女が困惑する番だった。二人について家の中に戻ると、アーシャは蛮人に対して湯を用意し、食事まで用意していたという。
意味不明としかいえなかったが、ヤズマと呼ばれていたその女が湯を使い終わり、髪が整えられると全ての謎は解けた。なんということはない、蛮人だと思っていたヤズマこそ、レイを雇った「弓使いのユマ」だったのだ。
なぜ、と彼女は考えてしまう。本人がそこにいるというのに、訊こうとは考えなかった。
そうして彼女はすぐに結論を出した。これ以外に考えられないという、彼女にとってはほぼ事実ができあがる。
「先ほどはすみませんでした。少し気を張っていたもので」
まずは謝罪をする。ヤズマはこれに少し戸惑ったように見えたが、すぐに首を振ってなんでもないと示してくれる。
「今後はヤズマさまとお呼びいたします。あなたならきっと、カタロニアを平和に導いてくださると信じています」
「うん。わたし、ヤズマ。レイには助けられた」
ヤズマは少し困ったように笑って、何枚かの金貨をつまみだしてきた。それをそのまま、レイに差し出してくる。
「報酬、少ないけど」
「いっ、いえ! 多すぎます。こんなに受け取れません」
数日間の護衛だけで金貨はあまりにも過剰だった。あわててレイはそれを押し返そうとする。
「わかった。なら、これでいいか」
あらためて差し出された報酬は適正価格よりも少し多いくらいだった。これ以上断っては失礼にあたるだろう。レイはこれを丁寧に受け取った。
レイは、ヤズマの顔を見やった。やはり彼女は英雄だと思う。くだんの蛮人がヤズマであり、同時にユマでもあるとするなら答えはこれしかない。彼女はカタロニアのため、自分を殺しているのだ。
蛮人によって直接害されたという証言の少なさを、以前よりレイは不思議に思っていた。ひょっとすると蛮人など実在しないのではと疑っていたくらいである。何しろ実際にいなくなった、あるいは戦闘になったのが確認できたのは冒険者のフエルストただ一人だったのだから。
しかし蛮人は実在し、目の前に姿を見せている。噂はある程度誇張されたものであるにしろ、事実の一端があるのかもしれない。少なくともフエルストについては。他の大半は噂だけで、それを裏付ける証拠や証言がないので、誇張されたか後から付け加えられたに違いない。となると、蛮人は噂と裏腹に驚くほどカタロニアに対して無害だ。
彼女はおそらくいらぬ諍いを避けるために、極力戦いを避けていたのではなかろうか。そう考えればもう、結論までは一足飛びだった。
このヤズマという蛮族は、御曹司リット・ガディのことを愛しているのではないか。
レイは突飛ともいえるような考えを自然にひねりだし、そしてこれに納得してしまっていた。
ヤズマが姿を変え、ユマと名乗り、カタロニアのために尽くすのは何故か。愛した人と結ばれるためである。
蛮人のままでは人々におそれられ、噂をたてられるばかり。そこで弓使いのユマとして活動し、カタロニアを救っていくことで名声をあげ、御曹司にふさわしい存在になろうというのだ。
自分の出自を殺し、ただ他人のために尽くすその姿は、いっそ健気ではないか!
あれほどの大金を得たというのに、あっさり手放すのはきっとカタロニアのためにそれが必要だと信じているから。リットと結ばれるためとはいえ、今はただこの町のために尽力している。
と、レイは推理していた。これは明らかに間違っていたが、彼女はそうに違いないと確信している。さらにはヤズマの役に立ちたいとさえ思い始めていた。
そう考えてみれば、フエルストを打ちのめしたという事件についても納得がいくことがある。冒険者のフエルストは止めに入った御曹司を歯牙にもかけず、オフィリア嬢のことを持ち出して馬鹿にしたというのだ。これがきっと、ヤズマにとっては耐えられなかったのだろう。だから、フエルストを倒したのだ。
なんと、素晴らしい愛だろうか。
自身の考えに間違いはないとレイは確信している。
「ところでヤズマさま、ギルドに行きませんか」
「すぐに。まだ報告していないから」
ヤズマはこの段階ではギルドへクエスト達成を報告していない。魔物たちの首をもって、今から出向かねばならないのだ。
であるなら、同行しようとレイは提案する。
しかしこれは報告の間、アーシャの護衛を引き続き頼みたいと言われて断られる。アーシャも同行させればいいとはいえない。何しろ魔物たちの首は生々しい。においもあるので、幼い女の子を連れていくのはあまりよくないだろう。
言われてみればそうかもしれない。
レイはその場を引きさがり、ギルドに戻った。しかし、必ずやヤズマの役に立とうと心に決めている。彼女のようにカタロニアを大切に考える人を、決して粗末にするまいと考えていた。
ギルドに戻ったヤズマは、サイクロプス、オーガ、ブラックハウンドといった凶悪な魔物を計五体討ち取ってきたと報告を上げる。これはギルド職員のサフィーを仰天させ、さらに、
「討ちもらしたが、デモニック・オーガに似たのが数体、東の森の湖付近を歩いているのを見た」
もたらされた情報が彼女を忙殺させることとなる。