15
「デモニック・オーガが討伐されたようです」
「早かったな」
報告を受けた男は、怪訝な目を向ける。
デモニック・オーガは軍隊の半分に被害を与えるほどの強力な魔物だった。それがたやすく討伐されたというのだから異常というほかはなかった。
「一体どういう不具合があったんだ」
でっぷりと太ったその男は、イスをぎしぎしと軋ませながら報告の続きを促した。
太ってはいたが、この男は無能でない。自分の計画がなぜ失敗したのか、理由を見つけてそれを正すことを知っている。したがって特に怒ってはいない。
この男に報告をしていたのは極端に短いスカートを着用した秘書の一人だ。彼女は報告書に目を落とし、主人が求める情報を読み上げた。
「オーガたちによってカタロニアへ威圧を与え、冒険者たちに危険を認識させるという当初の目標はほぼ達成されておりました。しかし、それがうまくいきすぎたためにギルドは破格の討伐報酬を設定してしまいました。加えて、町議会が大規模討伐を呼びかけたのです。
そうして、集まった冒険者の一人によって討ち取られたということのようです」
「ひとりで討伐したのか、そいつは?」
「そのように報告されております」
「たったの一人でオーガを。名前は?」
「ギルドによると弓使いのユマ、とか」
秘書の報告はあくまでもギルドの発表した情報に拠っていた。このため、真実からは若干離れてしまっている。
「そんな英雄が出てきてしまったのでは、デモニック・オーガの恐怖が薄れるのではないかな。目障りな英雄には早いうちに退場していただかねばならん。
破格の討伐報酬とやらを受け取ったそいつは、さっさとカタロニアから出ていきそうなのか」
「いえ、それが。話によると2000金貨の討伐報酬をすべて辞退したと。なんでも、被害者の救済と町の復興に充てられるとか」
「それはますますいけない。人格者であるのなら、余計にいけない。
町の者たちが余計な希望を抱いてしまうではないか。いざともなればそのユマという冒険者が助けてくれるから、大丈夫などと。
そういう甘えた根性の民草には離散していただかねば、このカタロニアがいつまでも私のものにならないではないか」
「は、はぁ……」
男の言っていることは、ただの苛立ちまぎれの愚痴である。秘書も曖昧な返事をするしかなかった。
「処分しなくてはな、その冒険者。それも、町の者たちが幻滅するような方法がよかろう」
「そのように手配いたします」
具体的な指示はされなかったが、それはいつものことだ。秘書は深く頭を下げて、部屋を出る。
カタロニアの町は平和を取り戻し、ヤズマは町を散策することが多くなっていた。
特に冒険者としての活動はあまり必要とされていない。雑用のような依頼を引き受け、少しこなす程度だった。アーシャをお供に連れて、ヤズマは町の引っ越し作業の手伝いや、畑仕事などの誰も引き受けない仕事を積極的にこなした。
これは一部の者には嘲笑されたが、大半の者には好意的に受け取られた。つまり、オーガを仕留めるほどの腕がありながらも、奉仕の精神をもって依頼をこなす無欲の者としてみられたのだ。決して奢らず、自らを律して、他人のために働ける者というように見られていたのである。
それでも早朝に鍛錬のために走り込みをするヤズマなどはまだ目撃されており、髪を整えない彼女は相変わらず蛮族として認識されている為、完全にカタロニアの町が平和になったとはいえない。町に入り込んだ蛮族を弓使いのユマに討伐してほしいと願う住人も日に日に増えているようなありさまだった。
「そこなお方、この商品を見てはくれませんか」
道を歩いていたヤズマが、露天商の男に声をかけられた。
傍にいたアーシャは見慣れない露天商に露骨な警戒をするが、ヤズマはそれを制して男に近づく。彼女としても露天商の男にはさっぱり見覚えがない。
「これ、スナフか?」
一見すると薬のような、植物の葉を乾かしたようなものを売っているようだった。ヤズマはこれを知っている。一族でも流通したことがあったからだ。
これを少量の水で溶いて泥のようにし、鼻腔の中に擦りいれる。そうすることで吸引する薬物だ。
カタロニアでは嗅ぎたばこと呼ぶ嗜好品だった。
「そうです。ここらではまだ流行っていませんが、流行すると踏んでおります。お試しいただけませんか。伝統的な葉タバコもございます」
露天商は箱に詰められた葉タバコも取り出して見せる。これはパイプに詰めて燃す、比較的普及しているたばこだった。この露天商は自分の商品を試してほしいようだ。
「今回は無料でかまいませんので、どうかお試しください。ご満足いただけたなら、次からお買い上げいただければと思っております」
アーシャはたばこには興味がないのか黙っている。無料であるなら問題ないとでも考えているのだろうか。
しかし、ヤズマの答えは決まっていた。
「わたし、スナフは好かない。たばこも」
きっぱり断ってしまう。当たり前だった。
ヤズマは狩人であり、嗅覚や味覚も大事な五感の一つである。たばこはそれを鈍らせるのだ。葉たばこなどは今でも景気よく吸う一族の者もあるが、においがきつい。ヤズマにとっては不快なものだった。
わざわざ自分で喫する気にはならなかったので、断った。
「さようですか。それでは、せめてものお近づきのしるしにこちらを。目覚めをよくする秘薬です。お休みになる前にお試しくだされ、よければ効いたかどうかもお知らせいただければ」
「わかった」
露天商が自分とのつながりを持ちたいと考えているのはわかる。ヤズマは差し出された秘薬を受け取り、背負い袋に仕舞った。
アーシャはその瞬間に露天商がニヤリと笑うのを見たが、その場では何も言わない。
その日はそのまま、露天商と別れる。
翌日になって同じ場所を通りかかったヤズマは、露天商に声をかけられた。
「おお、いかがでしたかな。例の秘薬は」
「あの薬飲まなかった。おまえ、あれはほんとうにくすりか?」
「伝統ある製法で作られた私ども秘伝の薬です」
露天商は昨日と同じ薬を取り出し、見せた。そうして、なくしてしまったのならこれをぜひ飲んでくれと渡してくる。秘薬のはずなのに随分と軽い扱いだ。
「おまえ、飲んでみせてくれ」
ヤズマは冷徹にそう告げた。
ここで露天商はその言葉に温かみがまるでないことに気づいたが、手遅れだった。見上げた彼の目に入ったのは、凍り付いたような瞳で彼を睥睨する無表情な英雄の顔だけだ。
彼は薬を飲むべきだった。どう考えてもそれしかなかった。
が、彼はその薬の効能を知りすぎていたため、それができない。急いでその場から逃げ出す。矢も楯もたまらず、その場から脱兎のように見苦しく逃げ去るしかなかったのだった。
「ヤズマさま」
アーシャが焦ったような声をあげるが、ヤズマは取り合わない。かわりに小さく微笑み、彼女の頭を軽く撫でた。
「追わなくていい、すきにさせる。そのうち、親分がでてくる」
「わかりました。ですが、ヤズマさまの身が危険ではありませんか」
「わたしは、なれている。でも、アーシャやリット、ケシに不慣れ。もしものんでしまったら、しぬかもしれない。だからあの薬師は、ほろぼす」
いまだたどたどしい下界言葉で話すヤズマを、アーシャはじっと見上げた。
「ヤズマさまは、おやさしいあまりに無理をしすぎだと思います」
ケシという言葉についてアーシャは深く知らなかった。おそらく毒になるものなのだろうと思っている。
しかしヤズマは違う。深く知っていた。
あの男がよこした薬は、アヘンという名で知られる麻薬なのだ。それを使わせようとしたのだから、何を考えているのかはだいたいわかるというものだった。
彼は私を薬漬けにして、始末する気でいるのだ。
ヤズマは率直にそう考えていた。そのためだけに薬を用意したのだ。どこから手に入れているのかはわからないが、このカタロニアが麻薬で汚されるなどということは避けたい。そのようなところに一族を移住させたくはない。
何より、アーシャの身体にそんな毒物を入れたくない。間違ってもそんなことにさせない。だから、ヤズマは徹底的にあの露天商を追い詰めることにした。
「わたし、薬はきらい」
ヤズマは医者嫌いの子供のようなセリフを吐いて、その場を離れた。