12
田舎貴族のリットが状況を知ったのは、もう日も暮れ落ちた頃だった。大規模討伐にヤズマは参加しないと聞いていたし、実際に参加したところを見たものもいなかったので、蛮族はアーシャから言葉でも習って過ごしているのだろうと考えていたのである。
アーシャが彼を頼ってきたことから、そうでないということは知れた。
いつまでも戻らないヤズマを案じるあまりに、アーシャはそうせずにいられなかったのだ。そのおかげで、リットはこの報せを知った。
ヤズマが、大規模討伐に参加していたということを。
大規模討伐には冒険者でなくとも参加が可能だ。実際に、自警団の中からも参加している者があった。
このため、ギルドは参加者の身分をいちいち確かめることもしない。ヤズマは、髪をきれいに整えたせいでヤズマだと認識されなかった。
ギルドの職員たちも新しくカタロニアにやってきた冒険者が参加してきたのだろうとしか考えていない。
今現在、アーシャとリット以外に誰一人、ヤズマが大規模討伐に参加したということを知っている者はなかったのである。
蛮族が参加したという前代未聞の大規模討伐は、しかし失敗している。
討伐にかかったまさにその瞬間、デモニック・オーガがもう一体あらわれるという事態になったのだ。おかげで討伐隊は我先にと撤退をすることになってしまった。
それでもほとんどの冒険者たちは無事にギルドまで戻ってくることができた。しかし聞いてみるとそれは、ギルド職員のサフィーともう一人が敵の足止めに残ったおかげだというではないか。
その、もう一人の冒険者というのが誰なのか。ここに帰還していない蛮族、ヤズマしかいない。
そうした結論が出た。
リットにも、アーシャが自分を頼ってきた理由がわかってしまう。
「ヤズマさまを助けに行かなくては」
と、アーシャはいう。彼女の気持ちはわかる。確かに戻ってこないヤズマの生死は気にかかる。もしかしたら、怪我をしているかもしれない。救援が必要だという気持ちはわかる。
だがそれでも、一体どうしてリットがそのようなことをしなければならないのか?
田舎貴族のリットとしては、蛮族のヤズマがカタロニアの町を闊歩している状況は好ましくない。一刻も早く彼女を排除し、蛮族におびえることのない、元のあるべき姿を取り戻さねばならないというのに。
本当にヤズマがデモニック・オーガの前に敗れたのであるなら、それはそれで結構なことだ。
アーシャを自分の屋敷に戻して、ヤズマに与えていた邸宅は返してもらう。さらにはギルドの登録を抹消し、それをもって、カタロニアの住民に安心してもらえるだろう。町議会のリットに対する印象もよくなるはずだ。いいことばかりである。
それなのに、ヤズマを助けに行くという。馬鹿な話である。
「なんでそんなことを考えるんだ、アーシャ。あいつは蛮族だぞ」
「リットさま」
夕食の最中に、屋敷へ飛び込んでいたアーシャの目は赤く腫れている。涙をこすったあとかもしれない。
「ヤズマさまは、わたしにありがとうと言ってくださいました。
あの方は、野蛮ではありません」
「しかし、カタロニアの住人が不安がっているし。何人も彼女に殺されているという」
「そんなことをヤズマさまはしておりません。ヤズマさまは、カタロニアにとけこめているか、迷惑をかけていないかといつも気にされているのです」
アーシャははっきりと反駁した。
毎日ヤズマの近くにいる彼女の言葉には、力がある。自信にあふれている。
対するリットの言葉は、単に噂程度の根拠である。それも、どこで尾ひれがついたかわからないような、蛮族に対する好奇でつくられたものばかりを情報源にしたものである。空虚であり、拠り所がなかった。
「カタロニアの人々は、あのような奇異のものを受け入れたくはない。いなくなったのなら、それでいいではないか?」
「そんなにむずかしいことをいわれても、わたしにはわかりません!
どうしてヤズマさまが困っているときにリットさまは力を貸してあげないのですか?
ほんとうの友達というのは、こまったときにこそ近くにいて助けてくれるという話はうそなのですか。あの方が怪物を倒してくれた時には家を貸してあげたというのに、いざ傷ついて倒れようとしているというときには蛮人だからと見捨てるなんて。
リットさま、ほんとうにそれでいいのですか」
アーシャのいっていることは、幼稚な理論である。
カタロニアの利益を考えるリットに対して、友達を見捨てるのかという感情論をぶつけているだけだ。
子供の理論を相手にするわけにはいかない。リットはすぐさまこたえた。
「うむ」
「わかりました、ではわたしひとりでいきます」
アーシャは頷いたリットに背を向け、その場から走って去ろうとした。あわててリットがその襟首をつかむ。
そのせいでアーシャはこけた。不満そうに、背後にいる御曹司をにらんだ。
「放してくださいませんか」
「君には負けた」
そうして、子供を一人にはできないという理由からリットは剣を帯び、森へと向かう。
アーシャを連れているため、戦闘などはできない。ましてや、オーガたちと戦うなんてことは考えてもいないのである。
ただ彼は、ヤズマの生死を確認するために森へ歩く。本当にそれだけのつもりだった。護衛もたった一人。
ヤズマは全身に泥を塗り、自分の体温と体臭を消していた。
そうして、デモニック・オーガを必死に探している。彼らを狩るために。
弓を握ったまま、蛇のような油断のない目でオーガたちの痕跡を探し続けている。この広い森の中を、たった一人でだ。
狩猟に長けるヤズマは、こうした地道な作業こそが狩りであると知っている。派手に獲物を次々と仕留めるような狩りは、狩りでない。それはただの虐殺か屠殺にすぎないのである。
二日でも三日でも、ヤズマはこの作業を続けるつもりでいた。そうしなければカタロニアはおろか、一族までもが危ないからだ。ここは無理をしてでも、彼らを殺さなければならない。
ただ今回は運が良かった。事前の遭遇もあって、おおよその位置がわかっていた。痕跡がすぐに見つかったのだ。
あとは追い詰めて、弓を射かけるだけ。この弓の力と、自分の腕を信頼するしかない。
サフィーを逃がすためにデモニック・オーガの肩に射かけたとき、矢は確かに敵の肩を傷つけた。彼らの皮膚は頑丈だが、この弓ならそれを貫通できる。しかし致命傷を与えるには至らないだろう。せいぜい、傷つけるのが精いっぱい。
ほとんど物音をたてないまま、ヤズマはオーガたちの足跡を追いかける。敵のにおいは強くなり、足跡は新しくなっていく。
彼女の目は、闇の中にデモニック・オーガをとらえた。
敵はこちらに気づいていない。何か作業をしているようだ。あの大剣の手入れだろうか。
倒せるか?
ヤズマは鏃を毒に浸し、弓を構える。
用意してきたのは猛毒で、普通ならまず相手を倒せるものだ。熊でも動きが鈍り、容易にとどめを刺せる状態になるほど効きのよいものである。
しかし、相手はデモニック・オーガだ。かならず効くとは限らない。
ならばどうする。どこを狙う。
ヤズマは狙いを定める。弓と矢の性能は十分だ。一族でも優秀な専属がつくりあげた逸品である。あとは、ヤズマの腕にかかる。
感情を押し殺し、殺意の塊と化すのだ。
指の震えを止め、正確無比な一撃を放つ。矢が空気を切り裂いて飛んだ。
蛮族が放った矢は、闇の中で作業を続けていた魔物を穿つ。
「しっ」
ヤズマは小さく舌打ちをする。
彼女の矢は、デモニック・オーガの右目を突いたものの、即死させるには至らなかった。通常なら彼女の持つ弓で目を射られた相手は、眼底まで突き通されて倒れこむはずだ。
しかしデモニック・オーガは眼球こそ失ったものの、倒れない。それどころか、矢を放ってきた敵の位置を探して立ち上がっている。元気いっぱいだ。
すぐにヤズマはその場を離れる。静かに。
オーガは傷ついた目をこすりながらも周囲を剣で薙ぎ払った。そこにヤズマはいない。
つかず離れずの距離を保ちつつもヤズマはオーガから逃げている。敵にこちらの位置は悟らせず、こちらは敵の位置を見失わない。圧倒的な狩人としての技量が、その無理を可能とさせていた。
しばらく逃げ続けて、やがてオーガの動きが鈍る。それでもヤズマは敵に近づかない。
ようやく敵の動きが完全に止まるまで、それからまだ少しの時間がかかった。助けを呼ぶこともできないほど毒がまわってきたのか、やがてデモニック・オーガは地面に倒れこんだ。そこにヤズマがさらに矢を放った。残された片目もそれによって奪われる。深く突き刺さった矢によって、敵はおそらく死んだだろう。
誰が見ても敵は斃れているが、そうなってもまだヤズマは気配を殺していた。
もう一体が来るのを待っているのだ。
「これ以上はダメですね。危険すぎます」
リットの護衛としてついてきた男は森の中に少し入ったところで音を上げる。
特に彼が臆病だというわけではない。当然の考えであり、護衛として無駄な危険をさけるのは当然のことだ。
彼の言葉に頷き、リットはアーシャを見る。彼女が納得しなければ帰れないからだ。
「ああ、そうだな。アーシャ、この先に行くのは危険すぎるな。どうする」
「しかし、ヤズマさまが」
そういわれても無理なものは無理だ。森の中にはデモニック・オーガがいる。もしも敵に追いかけられでもしたら、町の中にも逃げることができなくなってしまう。敵をカタロニアに誘導するようなことになってしまうからだ。
アーシャもそれがわからないわけではない。
しかし、ヤズマを見捨てられはしない。
かといってここにとどまるわけにもいかないのである。アーシャにできることは最初からなかったのだ。
わかってはいたが、それで諦められるものだろうか。顔を上げて、暗闇に包まれた森の奥をにらむ。
その奥で何かが動いた。
「リットさま」
見たものに驚き、アーシャは声を上げた。
「何かがいます」
「アーシャ、下がれ」
魔物か。
リットはすぐにアーシャを背中にかばい、護衛に呼びかける。冒険者はすぐさま二人を守るために剣を抜き、リットの前に進み出る。
彼らの前に出現したのは、怪物だった。背丈こそリットと同じほどではあったが、体の厚みがまるで違った。牙の飛び出した大きな口が歪み、笑うように目が細まった。
デモニック・オーガだ。
こんなところに出るなんて!
信じられない、と思いながらも冒険者は盾を構える。すぐにオーガの右腕がその盾を打つ。衝撃に低く響くような音がたち、同時にミリミリと何かがきしんだ。
「うっ」
冒険者はたった一度攻撃を受けただけで、ふらついてしまう。落ちそうになる盾をどうにか持ち上げんとして右手を添える。しかし両手で構えた盾は、格好の的だった。
再びそこにオーガが右腕を叩きつける。その一撃は先ほどよりも強烈で、冒険者はたちまち吹っ飛んだ。
彼は背中を大木に打ってようやく止まり、衝撃に意識を失う。
「逃げるぞ、アーシャ!」
ぐったりした冒険者を見て、リットは灯りを置いて、剣を抜いた。もちろん、彼が戦ってもおそらく負けるだろう。
だが、ここにはまだアーシャがいる。彼女を逃がさなければ、とリットは考える。
デモニック・オーガは残念ながらこちらを向いた。意識を失った冒険者よりも、リットたちを倒すことを優先するようだ。
「走れ!」
叫んで、リットは剣を敵に投げつける。それがどうなるのかを見届けないままに反転し、走り出した。
一目散に逃げだしたのだ。アーシャも必死に走っている。
しかし当然ながら、敵の方が速い。リットは途中でアーシャを抱えようとしたが、彼の腕力では彼女を抱えるとかえって速度が落ちた。
疲労もたまってしまい、オーガに追いつかれる。
「リットさま」
「畜生。アーシャ、逃げろ。ギルドにこのことを知らせてくれ」
田舎貴族のリットは地面に両手をついた。足が動かないのだ。
追いついてきたデモニック・オーガはその姿を見てせせら笑うように口元を歪めた。他人の失敗がよほどうれしいらしい。
その態度に唇をかむが、リットは何も抵抗する策を思いつけなかった。また、アーシャも動けなかった。あまりの恐怖に。
「アーシャ」
「い、いや……」
しっかり者ではあっても、幼いアーシャはこのようなときに奮い立てない。無理というものだ。
だめか、とリットはあきらめてしまう。剣も捨ててしまった彼には、もう何もできない。
敵は手を伸ばしてくる。あっけなく、リットの首に手をかけた。
「ぐ」
すさまじい力で絞められる。たちどころに視界が狭まる。息が止まる。血流が止まる。
死がやってくる。唐突に、滅びが見えた。
何も見えなくなり、聞こえなくなったと全身に衝撃。落っこちるような感覚ののち、背中に何かが触れる。
「げっ?」
肺に空気が戻り、せき込む。
アーシャの声がなければ、おそらくリットには何もわからなかっただろう。
「ヤズマさま!」
誰が自分を助けてくれたのか、ということも。