その日のことを、カタロニアの住人はおそらく忘れまい。彼らにとっては決して忘れられない日となった。
片田舎のカタロニアに、奇異な女がやってきたのだ。
住人たちはその少し前から来訪者があるということを知っていた。ズルズルと何かを引きずり、遠くから歩いてくる者があるということは容易に知れたからだ。
「誰か来たぞ! なんだか冒険者にしちゃ荷物が重そうだ。おい、何だあれは?」
「なんだ、なんだ?」
ただその荷物があまりにも重そうで、且つ、この地には珍しい旅人。彼らは何者がやってきたのかを確かめようと集まった。
「一体なんだってんだ。おお、確かにすげえ荷物だな。どこから引きずってきたんだ?」
「結構な力持ちだな。それか、よほどいい馬を持ってんだろう」
カタロニアの入り口に多くの人間がやってきて、口々にそう言った。
物珍しさと、好奇心から。あるいは、どんな力自慢がやってきたのか。あるいは何を売りに来たのか。
そうした期待があったからである。
だが、彼らの期待は予想外の方向に打ち砕かれた。
「なんだありゃ!」
彼女は来た!
一目見て、住人たちは驚愕に口を開けた。
カタロニアの者たちは数少ない訪問者の大半を、冒険者とみていた。粗野な男たちばかりで、この地に冒険と酒を求めてきただけの者。
そうでないとすれば、色あせた衣装を着こんだ旅の者か、旅の行商人。あるいは馬車に乗り込みお供を連れ、この地を視察にやってきた令嬢などだ。
しかしそのどちらでもない。
やってきた女は、一見して明らかに違っていた。行商人でも、旅人でもない。ましてや令嬢などでは!
ぼさぼさの髪は適当に切られ、女らしい長さがない。女ということを知らせるのは背丈の低さと、盛り上がる胸元!
血と戦いと生贄を求めてここにやってきたような、恐ろしいほど凍り付いた瞳。
さらにはついさっき、そこで血の儀式をやってきたと言われても信じられるような、血曇りをつけた武骨な刀を携えている。それを振ることを可能とするだろう、全身を支える強靭そうな筋肉は見るものを畏怖させた。
カタロニアの住人は、唖然とした。
誰がこんな来訪者を望んだ?
いや、来訪者などではない。こいつは襲撃者だ。この平和な片田舎の町を、血に染めるためにやってきた蛮族だ。
その場にいる誰もがそう判断した。
きわめつけは、その引きずってきた荷物だ。
ずるずると引きずるようにして彼女が運んできたものは、取引するための商品などではなかった。
死体だった。
ただの死体ではなく、巨大な魔物の死体だ。
たった一つしかない目を顔の中央につけ、その下にむき出しの凶悪な牙を見せつける、巨人だった。女と比べては、倍近くの身長差があると思われたが、それをたやすく運んでくるこの女の膂力。
「あ、あいつは……ドレロんとこのヤギを掻っ攫ったっていうサイクロプスじゃねえのか」
女の荷物を凝視し、驚愕の目で鍛冶屋の親父がそんなことをつぶやいた。
そうだ!
カタロニアの住人ならだれもが知っている、賞金付きの怪物。それが、突然やってきた蛮族に討たれたのだ。
「もう、首都から一流の冒険者を呼ぶしかねえって思ってたとこだってのに。
まさかあいつが殺したのかよ。俺たちが束になってかかってもどうにもならねえようなのを、あいつが一人で?
そんな奴がこんなところに何しにきやがったんだ」
今まさに日銭を稼ぎに行こうとしていたこの町の冒険者たちが、そんなことすら口にする。
カタロニアに滞在する冒険者がことごとく討伐しようとして、それでも倒せなかった化け物を倒した、この蛮族の女。そんなやつがやってきたのだった。
サイクロプスを倒すような女に、いったい誰が声をかけられようか?
逃げ出さずに彼女と冷静に話などできようか?
入り口付近に集まっていたカタロニアの住人たちは、動けない。逃げることすら忘れて、その蛮族の挙動に注目していた。
彼女は引きずってきたサイクロプスから手を放し、それから俺たちをぐるりと見回してこう言ったのだ。
「おまえたち、カタロニアの者か。
この魔物は身の程知らずにも私に襲い掛かってきたので、打ち倒した。
これをみて、何か言いたいことがあるならきくぞ」
蛮族はカタコトながら言葉を話し、サイクロプスを殺したと宣言する。
それだけで、ほぼ全員が息をのむ。
しかも!
サイクロプスを殺したことを誇示し、かかってくるならこいとばかりに挑発してきたではないか!
「わたしのなまえ、ヤズマだ」
そう、彼女はヤズマと名乗った。
さらにはこちらに歯をむくような凶悪な笑みを浮かべてきたのだった。
この奇異な女を、誰がどのように扱えるか? どうすればいいというのか?
誰にもその答えを出せなかったからだ。誰が返事をする権利があろうか。
俺たちは互いに顔を見合わせたが、それは一瞬のことだ。
カタロニアの人々はその場からわっと逃げ出した。
それこそ、狼に追われた羊が離散するように。
サイクロプスを倒してくれたことをありがたいなどとは思えるはずがない。
今目を合わせたら、殺される!
蛮族が襲撃をかけてきたのだ。手始めにサイクロプスをたった一人で叩き殺し、実力を誇示して見せて。
そうしてカタロニアの町の入り口は、たちどころにして閑散としてしまった。
誰もかれもあわてて逃げ出し、即座に家に飛び帰った。
報告をあげなくては。町議会でこの蛮族のことを伝えなくては、話し合わなくては!
そう思うものがあったとして、誰が責められようか。
この青年もその一人だ。
「親父! 蛮族だ、蛮族がやってきたっ!
洗礼代わりにあのサイクロプスの死体をひきずってきたっ!」
彼は焦燥と恐怖にとらわれていた。家に帰りつくなり、父親に食って掛かったのだ。
思うにあのサイクロプスの死体をわざわざ持ってきたのは、自分に逆らうものはこうなるのだという警告なのだろう。そうに違いない。
ヤズマとか名乗っていたか。あの女を、すぐにもなんとかしなければ!
彼の説明を聞いた父は、そのヤズマという女の特徴を訊いてきた。
青年はヤズマの凍り付いた目を思い出し、多少の恐怖を思い出すこととなったが、それでもどうにか質問に答える。
まずは日に焼けた肌! これに毛皮で作ったと思われる衣装を着こみ、腰には例の恐ろしい刀を差していた。髪は短くぼさぼさで、町の女がしているような手入れを全くしていないと思われる。
二の腕から先の素肌をさらし、スカートは短かった。いや、その服はスカートといえるようなものでもなかった。服とさえいっていいものかためらわれるくらいだった。
そのくらいに俺たちの常識からは乖離した衣服。たくさんの小さな布がばらばらに腰から垂れ下がり、それでようやく彼女の太腿の辺りまでを隠している。動きやすさだけを重視したような恰好は、いっそ恐れ入る。
脚はどうだ。見るからに女の足とは思えぬたくましさがあり、サイクロプスを殺したという事実に説得力を与えていたではないか。あれで蹴られれば、たちまち骨が砕けるだろう!
「なんと。この田舎町に蛮人がか。
大方、略奪に参ったのであろう。すぐにも自警団に出撃要請を下さねば」
父親はすぐに議会の収集をも決めた。一応貴族である彼はそのくらいの権利をもっている。だが、それですぐにヤズマのことをどうこうとできるはずもない。カタロニアの軍隊は動かせなかった。
だが、自警団はすぐに出撃した。
しかしこの日やってきた蛮族のヤズマは、彼らが思うような存在ではない。
それは今のところ理解されなかった。