day4 横浜編 Sec.3 独白、水月楓。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
誰もいない、時が止まってしまった様に静まり返る公園。
その公園の奥、展望台に僕達はいた。
示し合わせたような静寂を切り裂く彼女の独白。
それは正に、彼女の叫びだった。
彼女の両親のこと、その後の生活、そして突然に訪れた老婆との出会い。
1時間いや、2時間か。永遠とも錯覚する時を確かめる事も忘れた僕に彼女は言う。
「ちょっと休憩しようか? 飲み物でも買ってくるね」
1人残ったベンチで空を見上げる。
空は何も言わず、暗闇を広げていた。
交じることの無いその暗闇が羨ましい。僕の思考は螺旋の迷路を巡り、空の色とは違う、深い深い暗闇の底へと落ちていった。
自販機から戻った彼女の足音が聞こえてくる。
――コツ、コツ、コツ。
その音は、暗闇から僕を引き上げ救う希望か、更に深い深淵へと引き込む絶望か。
「お待たせ。お茶? のむ?」
僕には、分からない。
****
葵くんがお茶を一口飲むのを確認してから私は彼の横に腰かけた。
良かった。お茶は嫌いでは無かったみたい。
思えば、私は彼の好物を知らない。それどころか、彼の事は殆ど分からない。
もっと知っておけば良かった。もっと言葉を交わせば良かった。
もっと近づけば良かった。もっと……。
繰り返し生まれる後悔。その感情に支配された時、きっと私は泣き崩れてしまうだろう。
だから、その前に伝えなければいけない。
私にかけられた『呪い』を。
ようやく一言目を見つけた私は、昔話の様にゆっくりと彼に言い聞かせる。
老婆がやって来たあの朝の出来事を。
――これは水月楓の、そう、私の物語。
****
――促される儘、テーブルを挟んで座った私に対して、老婆は笑いかける。
「いいかい? 貴方は私を、『力』を望んだ。だから私はここにいる」
カーテンの隙間から差し込む光が老婆を照らす。
その肌は白く、瞳はやせ細った頬も手伝い、不気味なほど黒く光っていた。
「私が? 『力』を? ごめんなさい。何の話しなのか……」
「無理もないね。謝るのはこっちの方だよ。さて、順番に話す必要があるね……」
老婆は続ける。
「貴方が望めば『力』を手に入れる事が出来る。それは事実だ。だけど、これから言う事は到底信じる事が出来ないだろうね。でも、それで良い。貴方が信じるのなら、そして望むのなら『力』が手に入るし、そうでなければこれは悪い夢さ。私の事は忘れて生きていけば良い。それだけ、簡単な話さ」
まるで台本があるかのように、老婆は私の返事を待たずに尚も続ける。
「なに、難しい事はないよ。貴方が手に入れる『力』は1つだけ」
――1日に1つ、願いを叶える事が出来る
「それだけさ。どうだい? 願ってもない『力』だろう? 勿論、細かい条件はあるけれど、それは追々知っていけば良い」
言って、老婆は私を見つめる。恐らく、これは老婆が想定している質問なのだろう。
寧ろ、その為にここで話しを止めたのだと思う。
「あの……仮に、仮にその話が本当だとして、何で私が選ばれたのでしょうか?」
「そうだね。当然の疑問だ。いや、必然とも言えるね。」
スッと手を上げた老婆の指先が、ゼラニウムの花を指差す。
「あの花さ。あの花に貴方の母君がかけた願い。それこそが私がここにいる理由。」
――母。
忘れていたその響き。不意を突かれた私は、老婆に続きを催促した。
「お母さんが? お願いします。聞かせて下さい」
「そう。貴方の母君が毎朝手入れをし、大切にしたあの花。その花にかけた願い、死の淵に立った時、最後の最後まで繰り返した願い――」
――どんな事があってもあの娘が幸せになれますように。
「それが全てさ。いいかい? 花はね、愛情をかけた分だけ応えるのさ。素直に、真っ直ぐにね。」
そこまで言って、老婆は口を止めた。ゆっくりと息を吸う様は、これから言う事が重要であると言い聞かせている様だった。
「そう、それがどんなに歪んだ答えだとしてもね」
部屋に訪れる沈黙。恐らく、これも老婆が用意した“間”なのだろう。
堪らず私から尋ねる。
「歪んだ答え……。それって?」
「心配することはないさ。それも含めて貴方が決めればいい。アンフェアは嫌いだから先に言っておくね。『力』を手に入れる代わりに貴方が失う物は……」
部屋の外でクラクションが響く、その音が終わるのを待って老婆は続ける。
「貴方自身の命さ」
老婆の話を信じるなら、私は『願いを叶える力』を手に入れる権利があるらしい。
そして、願いを叶えるには相応の代償が必要で、その対象は私の命。
「何も一回で死ぬわけでは無いさ。人には命の“量”がある。無意識にそれを増やしたり。減らしたりしているのさ。良い事をすれば増えて、悪い事をすれば減るなんて単純なものでは無いけれどね」
老婆の言葉を借りれば、それは複雑に絡み合う“理”で成り立っている。
誰かの願いで誰かが不幸になる。その逆も然り。例えば、人知を超えた奇跡が起こった時に発動する一種の“平衡器”の様なものだ。
そして私は、その“理”を超え、望んだ願いを叶える事が出来る。
「私も悪魔では無いからね。こんな大切な事、今日明日で決められ無いだろう? その気になったら……」
「待って下さい!」
言って、立ち去ろうとする老婆を呼び止める。
両親を失った後、私は生きている意味など見つけられなかった。
それは、これからもきっと変わらないだろう。
人を恐れ、人との繋がりを避けた私が幸せになれることなど想像が出来ない。
けれど、『力』があるなら話しは別だ。
幸せになれないのなら、幸せを望めば良い。
人と繋がれないのなら、恐れるのなら、逆を望めば良い。
何にも無い空っぽの人生を精一杯に謳歌する最後のチャンスだろう。
そして、母から最後に送られた大切なプレゼント。
私に、迷いは無かった。
「『力』を……。私に『力』を下さい」
「いいのかい? 『力』を使えば、貴方の命は18歳の誕生日に尽きる事になる。何も今、決めなくたって……」
打って変わって、狼狽する老婆が何だか可笑しく、思わず私は笑ってしまう。
それが、不安を一緒に拭い去っていった。
「いいんです。ようやく生きる意味を見つけられそうなんです。……お願いします」
それが嘘か本当かなんてどうでも良かった。
つまりは切っ掛けが欲しかっただけ。
嘘だとしても、何かが変わる気がしていたし、本当だとしたら、それ以上のことはない。
私の目を見た老婆も悟ったのか、肩をすくめ、首を振る。
「やれやれ。もっと時間が掛かると思っていたのだけれどね。まぁ良いさ」
ゆっくりと近づいた老婆は腰を下ろすと、私に手をかざす。
優しく語りかける言葉は、母の声によく似ていた。
「貴方は優しい子だ……でも、沢山の苦労をしてきた」
遠い昔の記憶。そう思うことで、避けてきた私の記憶。
それは今もこれからも忘れる事のない記憶。
けれど、私に残された時間はもう僅か。
そしてこれこそが、私に課せられた『罰』。
世界を自分の思うままにしてきた少女の物語はもうすぐ終わる。
「安心しなさい。暗い思い出はもう、お終い。さぁ、目を閉じて……」
絵本に出てくるような、黒いローブを纏った老婆は優しく囁いた。
「貴方に、『力』を与えようね……」
そっと触れられた老婆の手は、唯々暖かった。
****
「私の話しはこれでお終い。」
そう言って彼女は笑う。それは、とても悲しい笑顔だった。
彼女が話した事に恐らく嘘は無いだろう。
この期に及んで嘘を混ぜるメリットは彼女には無いはずだ。
だとしたら、こんなにも悲しい事があって良いのだろうか。
“悲しい”その一言で済む理由が無い。
『願いを叶えたのだから仕方がない』とか『彼女よりも不幸な人は沢山いる』なんて他人は言うのだろうか。それでも僕は、僕だけは、たとえ地球上で1人になったって叫んでやる。
――こんなにも悲しい事があってたまるか! と。
僕に出来る事。僕にしか出来ない事。
僕は、彼女を救う。
その為にも、恐れていた事を聞かなければならない。
「水月さん。……残されている時間はどれ位なの?」
彼女は腕時計に目を落とすと、寂しそうに笑う。
「あと……1時間半。……かな?」
22時30分。今の時刻だ。
「それってつまり……」
「うん。明日が私の誕生日」
冷たい風が僕を襲う。それに合わせて全身の血が引いていくのを感じる。
兎に角僕は、立ち上がった。
「なんとか考えなくちゃ。……水月さんを救う方法を。大丈夫、僕に任せて。」
――絶対に貴方を救うから。
そう、言いたかった。けれど、それを遮ったのは彼女だった。
「大丈夫だよ。……ごめんね葵くん。最後の願いは決めているんだ」
口に出すと叶ってしまうかもしれないからと、彼女は携帯に入力した文字を僕に見せる。
『葵くんから私の記憶を消します。』
何故? なんで? 何も考える事が出来ない。
「水月さん……これって?」
その一言で彼女の様子が変わるのが分かった。彼女は決して、笑っていたわけでは無かった。
涙を、油断すると泣いてしまうから、ひたすらに我慢していたんだ。
「うん。これが最後の願い。だって、私、死んじゃうんだよ?」
彼女の言葉がフラッシュバックする。
――今は、ダメだよ。
お化け沼の帰り、想いを告げようとした僕を止めた彼女の言葉だ。
――葵くん? これは東海道線だよ。これに乗れば帰りは東京まで来られるからね?
日中、駅での言葉だ。彼女は頻りに覚えさせようとしていた。
どうして気付けなかったんだ。
つまり、彼女は最初からこの願いを決めていた。
「私はもうすぐいなくなっちゃうの……葵くんが私のことを大切に思ってくれているのは分かっている。
それなのに、私がいなくなって、葵くんを悲しませてしまうのが……耐えられないの」
一度流れ出した涙を止める事は出来ない。それは僕にも、彼女にもだ。
こんな結末は絶対にダメだ。彼女の気を変える方法を考える為にも、時間を稼がなければいけない。
僕は思いついた儘を言葉にした。
「そんな……絶対に何か方法がるはずだよ。考えなくちゃ。」
「無理よ……。私だって色々試したの。ノート、見たでしょ?」
ノートに書かれていた言葉が脳裏を過ぎる。
『私の能力の消滅』、『私の呪い』、『私の命』。そのどれも『叶えられない願い』と題されたページに
書かれていた。
「でも、水月さん。それが叶っていないか分からないでしょ? だって、まだ誕生日は迎えていないし……」
――違うの! と彼女の声が響く。
「願いがね……私の『願い』が叶うと合図で耳鳴りがするの。葵くんも覚えあるでしょ?」
あの夜、湯野川の空を飛んだ夜に、僕の耳に響いた耳鳴りを思い出す。
「駄目だったの。何度も願った。でも、耳鳴りはしなかったの……」
違う、違う、違う。こんなの絶対に違う。何かあるはずだ。例え思いつく限りの手が無くなろうと、最後の最後まで足掻くべきなんだ。だって、僕は――。
「水月さん! 僕は貴方の事が好きなんだ。心の底から、本当に! だから、絶対に貴方を救いたい。だから、最後まで諦めたくない。それでも、もし、どうしても、どうしても……」
言葉が、出ない。いや、出すべき言葉は分かっている。分かっているけれど、どうしようもなく出すことが出来ない。
それでも声を、言葉を、懸命に絞り出そうとグシャグシャになった僕の顔を彼女がそっと撫でる。
「ごめんね。葵くん。こんなに苦しめてしまって。でも、いいのよ」
彼女は何度も僕の顔を優しく撫でる。その目に涙はもう無かった。
「葵くんの気持ち、言葉、本当に嬉しかった。でも、ごめんね。お願いだから、もう苦しまないで。」
彼女が僕のおでこにコツンと自分のおでこを重ね合わせる。
ともすれば、彼女の胸の鼓動ですら聞こえそうな距離。
頭上では無機質な照明が、僕達をスポットライトの様に照らしていた。
「もういいのよ。本当の事を言うね。私が葵くんと出会う前に、祈った『願い』を」
――これから会う人が、私の事を好きになってくれますように。
「だからね、偽物なの。……葵くんが私を想ってくれる気持ち。その全部が。」
そう言って、彼女は僕にキスをした。
それはきっと、この世界で一番美しく、一番悲しい、偽物のキスだった。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
掌編も投稿しています。そちらも、よろしくお願いします。
@Benjamin151112