第二百五十七話 遁走
1
その日、シンは朝から斎藤と行動を共にしていた。
斎藤の部下だった新選組隊士が、御陵衛士への加入を希望して、間諜として新選組内部を探ってもいいと言っていると、嘘の報告をして出て来た。
蕎麦屋の屋台の前で、斎藤は袖からジャラジャラと何かを取り出した。
シンの前にぶらさげて見せる。
「鍵・・?」
蕎麦を立ち食いしていたシンが箸を止める。
「ああ、山崎さんから借りた。大抵の箪笥ならこれで開くとさ」
斎藤の手には、沢山の鍵が下がった輪っかが掛けられていた。
この当時、貴重品を保管する場所として、鍵付きの箪笥が使われていた。
「今夜・・隊の軍資金を盗み出して、御陵衛士を抜ける」
斎藤はそう言って、鍵を袖にしまい込む。
「・・新選組は、御陵衛士を潰すんですか?」
シンの質問を、斎藤はまるで聞こえないかのようにスルーする。
「陽が落ちたら、オレはいつも通り祇園に繰り出すフリして屯所を出る。門限まで戻らねぇとなったら騒ぎになるから、その前に・・おめぇはオレを迎えに出るフリして、抜けろ」
「・・・」
シンは黙ったままだ。
この期に及んでも、まだ迷っている。
(オレは・・)
「天満屋(てんまや)は知ってるな」
斎藤の言葉を、シンがオウム返す。
「天満屋って・・油小路の旅籠の?」
西本願寺の目と鼻の先だ。
「紀州藩の常宿だ。しばらくそこに身を潜める」
斎藤は無表情に言葉を続ける。
「山口次郎って名前で、すでに宿を取ってあるから」
「山口次郎?」
シンが訝しげな声を出すと、斎藤が蕎麦をすすりながら答えた。
「偽名だよ。本名じゃ、さすがに宿帳にゃ書けねぇだろ」
「・・ああ」
逃亡中に名を変えるのは、当たり前である。
「んで、オメェはオレの弟の山口三郎だ」
斎藤は簡単にシンの偽名を決めた。
「はぁ・・」
シンはただ相槌だけ打つ。
頭の中で別のことを考えていた。
(天満屋って・・あの、天満屋事件の?)
シンの頭に思い浮かんだのは、近江屋事件の後に起きる、歴史上の事件だった。
(確か・・海援隊と陸援隊が、坂本龍馬を暗殺したのが紀州藩だと思い込んで、油小路の旅籠にいる紀州藩士を襲撃するんだったよな)
頭の中の引き出しを必死で開けるが、入ってる情報はこれだけだ。
(でも、天満屋事件が起きるのはまだ先だし。油小路の旅籠にいれば・・伊東さんを助ける手立てがあるかも)
あやふやだったシンの気持ちは決まった。
「・・わかりました。手はず通りに動きます」
シンが頷くと、蕎麦を食い終えた斎藤が楊枝をくわえる。
「下手踏むなよ」
天満屋に潜伏する斎藤とシンを保護するのは、紀州藩公用方・三浦休太郎。
三浦は、これから先に起きる近江屋事件の主犯として、陸奥陽之助(※紀州藩士だが強烈な尊攘派で海援隊に入隊)に嫌疑をかけられ、天満屋事件で命を狙われる人物だ。
2
その夜、計画通り斎藤は祇園に繰り出した。(※フリをした)
部屋に残ったシンは、ひとりマンジリとしている。
すると・・
スラリと障子が開いた。
声もかけずに障子を開けたのは藤堂である。
新選組の時と同じく、藤堂と斎藤とシンは3人で一部屋を使っているのだ。
「斎藤は~・・妓(おんな)んとこか?」
部屋を軽く見渡して、藤堂が言った。
「はぁ、多分・・」
シンは曖昧に答える。
藤堂はコキコキと肩を鳴らし、シンが敷いた布団に座り込んだ。
「ふぁぁ~」
大あくびをしている。
前髪が濡れているので、顔を洗ってきたばかりらしい。
「藤堂さんは出かけないんですか?」
シンは、藤堂も飲みに出てくれることを期待している。
「あー・・昨日、あんま寝てねぇからなー」
藤堂は頭をグシャグシャと掻きむしった。
(え・・いるの?ここに)
あからさまにガッカリする。
(門限が来るまで、誰も軍資金が盗まれていることに気付きませんように・・)
心の中で祈った。
隊の金は、伊東が毎朝毎晩チェックしているが、今日はもう、夜のチェックは済んでいるので、朝まではバレないと思われる。
シンは布団の上で膝をかかえた。
目の前で涅槃のポーズを取る藤堂を眺める。
(油小路の変で・・藤堂さんはどうなるんだ?)
この問いの答えをシンは持っていない。
(まさか、殺されたりしないよな・・近藤さんだって土方さんだって、藤堂さんのことは特別扱いしてたし)
どうしても甘い期待が頭に浮かぶ。
(でも・・もしも・・)
シンがイヤな考えを振り払おうとした時、とつぜん藤堂に声をかけられた。
「おめぇさぁ・・なんで新選組を抜けたんだ」
驚いたシンが顔を上げると、いつの間にか藤堂は布団の上に仰向けに寝転がっていた。
「え?」
「おめぇら3人いっつも一緒だったじゃねぇか。なのになんで、あいつらから離れた」
藤堂は両手を頭の後ろに組んで、目を瞑っている。
あいつらとは、薫と環のことだろう。
「べつに・・元々一緒だったわけじゃないし・・なんとなく連れになっただけで」
シンは藤堂の突然の問いに、面喰いながらもシドロモドロに答える。
(珍しいな・・藤堂さんが、んなこと訊くなんて)
藤堂は基本的に突っ込まないタイプだ。
カラッとシンプルな気質で、小難しいことや複雑なことは好きではない。
「じゃあ、訊き方変えるか」
藤堂がムクリと身体を横に起こして、また涅槃のポーズに戻った。
「おめぇ、なんのために御陵衛士に入った?」
シンは片膝を抱えたままで固まる。
「え・・」
「おめぇ、佐幕も倒幕も興味ねぇっつってたろ」
藤堂は世間話の顔だ。
「ここにいる理由なんざ、なーんもねぇだろが」
シンは素早く頭を巡らせた。
ここで疑われたら、斎藤が危なくなるかもしれない。
「あの・・オレ・・伊東さんに、危ないとこ助けてもらったことあるから」
シンはようよう言葉を絞り出す。
順序が逆転しているが『嘘をつく時には真実を混ぜた方が良い』という鉄則を元に、とっさに理由をデッチ上げた。
「へぇ、んなことあったのか」
藤堂は意外そうな顔を見せたが、疑ってはいないようだ。
「あの・・オレちょっと、斎藤さん、迎えに行ってきます」
シンは立ち上がった。
「なんか遅いから・・門限破ったらヤバイし」
「ったく・・おめぇ、斎藤の世話女房だな」
藤堂が呆れた声を出す。
「・・やめてください、キモチワリィ」
そう言って、シンは部屋を後にした。
3
そのまま夜が更けても戻らない2人を、御陵衛士の隊士たちが捜索に出た。
伊東の部屋には、篠原と藤堂が呼び出されている。
「軍資金が持ち出されていた」
伊東は腕を組んで正座したままつぶやいた。
「なんぼたいね」
篠原が訊くと、伊東が左手をパーにする。
「50両かね」
篠原が息をついた。
「藤堂さんは、なーんも気づかんかったと?」
「ああ・・すまねぇ」
藤堂はアッサリと謝る。
「金を持ち出したのは斎藤くんだとしても、何故シンくんまで姿をくらます」
伊東が藤堂に顔を向けた。
「ああ、シンのやつぁ斎藤の弟分・・ってゆーか、子分だからだろ」
藤堂は首を傾げる。
「斎藤にゃ、逆らえねぇように仕込まれてっから」
「・・ったく、色里のおなごに入れあげちょるたぁ、聞いっちょたがのう」
篠原がグシャグシャと頭を掻きむしった。
「隊の銭に手ぇば付けて、遁走たぁ・・呆れたもんたい」
「新選組に通じた可能性は?」
伊東が藤堂に問いかける。
「戻りたくても戻れねぇだろ」
藤堂は、伊東の疑惑を簡単に否定した。
「さぁ、どうかな・・」
伊東がつぶやくと、そのまま部屋が静まり返る。
「とりあえず・・祇園からシラミ潰しに探すしかなかとね」
篠原が立ち上がった。
「銭と情報・・どっちゃも取り戻さんとあかんけん」
「祇園はねぇだろ。姿くらますんなら、もっと遠くに逃げんだろーが」
藤堂は立ち上がると、ムッとする篠原を尻目に、先に部屋を後にした。
そうして・・
部屋に戻ると、立ち止まって入口の柱に寄りかかる。
そのまま、ロウソクが灯された部屋の中を見渡した。
「行っちまったか・・」
部屋の真ん中まで入ると、「よ」とつぶやきながら座り込んだ。
片膝立てると、ゆっくり部屋を眺める。
「ひとりだと、けっこう広ぇんだよなー・・この部屋」
前髪をクシャクシャと掻いた。
「まぁ・・長ぇ付き合いだったかなぁ」
奇妙に明るい声でつぶやく。
「うまく逃げ切ろよ・・2人とも」