第二百九十九話 お社
1
夕餉の後片付けを終えると、薫と環は早々に部屋に引き籠った。
屯所の中は夜になってもザワついて殺気立っている。
「準備できた?」
薫が振り返ると、環がスマートフォンを握りしめて頷いた。
「・・うん」
薫は立ち上がって環のそばに座り直す。
「決まったの?」
「・・・」
環が無言で俯いた。
薫が息をつく。
「昔、土方さんに言われたのと同じこと、沖田さんに言われた」
「・・なんて?」
環が顔を上げると、薫が小さく頷いた。
「うん・・"ここから離れたくない"って言ったら、"だったら、いりゃいいだろ"って」
「・・薫は残るんだね」
環が穏やかにつぶやく。
薫がちょっと首を傾げた。
「"だったら、いりゃいいだろ"っていうのは・・"いたけりゃいればいい。いたくなきゃ出てって構わない"・・そうゆう意味なんだよね」
「薫・・」
「追い出すこともしないけど、引き止めることもしない、好きにしろってこと。うん・・だったらそうする。あたし達、もう自由なんだよ」
独り言のように続ける。
「そう思ったら・・自分がどうしたいのか、分かった」
天井を見上げた。
「戦が始まれば、食べるものも着るものも・・寝るところだって無くなるかもしれない。でも・・好きな人たちと一緒なら、なんだかんだ頑張れる気がするから」
環が目を伏せる。
「わたしは・・」
「環は迷ってるんだよね」
薫が顔を向けた。
「ギリギリまで迷って、最後の最期・・土壇場で分かるんじゃないかな、自分がどうしたいか」
「薫・・」
環の声が震えている。
「それで、もし・・会えなくなっても、環のことずっと好きだから」
薫が笑った。
「環とシンに会えて、良かった。ほんとに」
2
「すみません・・」
シンが小さくつぶやく。
足元に気を失った男が座り込んでいる。
屯所の警備をしていた見張りの隊士だ。
袖にしまったショックガンを握ったまま息をついた。
薫と環が遅いので、ややイラついている。
今夜は特に見張りの数が多い。
手薄な箇所が全く無かったので、仕方なく屯所の裏を警備している隊士2人を気絶させたのだ。
ギギッと音がして、通用門がほんの少し開く。
「遅い」
シンが低い声でつぶやいた。
開いた通用門の隙間から、薫が顔を出している。
「ごめん」
薫に続いて、環も出てきた。
「ほら、行くぞ」
シンが走り出したので、環が慌てる。
「待って・・方向違うんじゃないの?」
「裏道行くから」
シンは振り向きもしない。
山崎に鍛えられて、町人とは会わない裏ルートは頭に入っている。
シンも薫と環も、背丈が大きいので、どうしても人目につく。
その3人を・・見つめている影があった。
一二三である。
屯所の屋根にしゃがんで見下ろしていた。
(どこ行く気?)
気になるが、ここから動くわけにいかない。
新選組を見張ってるのは、土佐の谷干城からの依頼だ。
今は特に重要な時期で、下っ端隊士と居候の小娘などを追うわけにいかない。
(早く戻ってこいってば、拾門)
一二三はイラついたように立ち上がった。
「・・も~」
ボヤきが漏れる。
(にしても・・どうやって寝かせたんだろ)
一二三が見たところ、シンが話しかけただけで見張りが倒れたのだ。
ほんの一瞬、白く光って見えたのはなんだったのか・・。
(油小路で見たヘンな光と同じ?)
首を傾げた一二三の目に、表門から入って来た駕籠が見えた。
揺れ方で、中に誰も乗っていないのが分かる。
玄関の前でピタリと止まった。
すると・・
玄関から着物を厚く着こんだ影が出て来る。
夜目の効く一二三は、それが誰なのかすぐに分かった。
(オニーチャン)
「ふぅん」
身体を低くして屋根のヘリに移動する。
(病が悪化した一番隊組長を匿おうってこと?)
沖田を乗せ、護衛が2人付いた駕籠が出発すると、一二三が屋根から塀に飛び移った。
「逃がさないし」
3
山の気温は低い。
吐く息は白く、空には雪が舞っている。
「いったい、どこにいるの?」
環がキョロキョロと辺りを見渡した。
鳥居の周辺に人影はない。
すると・・
「こっち・・」
シンが鳥居をくぐった。
薫と環が後に続く。
鳥居をくぐった先は雑草だらけで、枯草は雪に覆われている。
シンがかき分けて進むと・・小さな扉が見えた。
「なに?これ」
薫が覗き込むと、シンが振り返った。
「お社だよ。山の神を祀る」
「お社?」
環が見つめる。
扉は岩肌に直接取り付けられていて、建物などは見当たらない。
山そのものをくり抜いて作られたのだろう。
扉は小さく中の広さは検討がつかない。
木製の扉は古くデコボコとしていて、留め金は黒くサビついていた。
長い間、手入れをされていない。
ギギギ・・・
ガタついた扉をシンが開くと、隙間から光が差した。
(後光?・・まさか・・)
薫が身体を固くする。
「か、神様・・?」
「アホ・・」
シンが息をついた。
身を屈めて扉をくぐる。
薫と環も、恐る恐る後に続いた。
扉の中は、柔らかな光で満ちている。
よく晴れた昼下がりのようだ。
さほど広くない造りのお社は、シンが猫背にならないと頭をぶつけてしまうほど天井が低い。
地面は土が剥き出しのままで、中央に丸い石が置かれている。
その石から光が発せられていた。
奥に祠があって、その手前に・・胡坐をかいている背中が見える。
「センセイ・・」
シンが掠れた声を出すと・・。
「思ったより遅かったな」
白髪混じりの赤毛が振り返った。
「狭くて立ち上がるのが難儀だ。座ったままで失礼する」
祠に向いていた身体を180度回転させると、顔を上げる。
「センセイ・・なんで」
シンの言葉が途切れた。
薫がシンの背中の着物を強く握り締めたからだ。
「薫?」
シンが振り返る。
薫の手は震えて、声にならない音が喉から漏れ出た。
「・・あ・・」
「薫・・?」
環が後ろから覗き込む。
薫は・・赤城を一心に見つめている。
「お・・に・・」
すると・・
赤城が中腰になった。
「私を・・覚えているのか、薫」
「・・え?」
シンがポカンと声を漏らす。
薫の顔がどんどん歪んでいく。
「お・・に」
フラッシュバックのように記憶が蘇る。
思い出した。
あの日・・あの神社の境内に自分を置き去りにしたのは・・この鬼ではなかったか。
そう思った時・・目の前の景色がグニャリと曲がった。