第二百九十八話 選択
1
屯所は朝から大騒ぎだ。
幕府が無くなるというのだから「我々はこれからどうなるのか?」という様相である。
薫と環とシンの3人は・・言葉数少なく、ひたすら仕事に没頭した。
いや・・没頭しているフリをしていたのだ。
お昼までは、自分たちが何をしていたのか、ほとんど覚えていない。
ただ機械的に身体を動かしていた。
頭の中にあるのは、新選組のことよりも・・今夜、自分たちの身の上に起きるであろう、何か・・。
(ほんとに元の時代に戻れるの?)
(戻ったら、もう二度と江戸時代には来れない?)
(今夜を逃せば、もう戻るチャンスは来ないの?)
薫と環の頭の中は、同じ自問自答がグルグル繰り返されている。
これは、シンが言った言葉のせいだ。
「教授に会う前に、気持ちの整理はつけておけよ。元の時代に戻る機会は、もう来ないかもしれないからさ」
そのシンは・・屯所の裏の林の中で、考え込んでいた。
細い立木に寄りかかって、白い花弁のような雪をボンヤリと眺めている。
ブルリと身体と震わせると、寒そうに腕を組んだ。
白い息が漏れる。
(つい・・嘘言っちまった)
薫と環に「元の時代に戻るか戻らないか決めろ」と言ったことだ。
(多分・・選択権なんて無い)
カンのようなものだが、不思議と確信もしている。
(元の時代に戻るのか、このまま江戸時代に残るのか・・オレたちにはおそらく選ぶ権利なんて無い。多分、告げられるだけだ・・あの人に。最初から"織り込み済"の決められた未来を)
2
薫が障子の隙間から覗きこむと、敷かれた布団だけが部屋の中央にあった。
部屋の住人はいない。
(厠にでも行ってるのかな・・?)
首を傾げると、背後に気配を感じる。
「ん?」
振り返ると・・後ろに沖田が立っていた。
「ぎゃっ」
薫が驚いた声を上げると、沖田が眉を顰めて見下ろす。
「オメェ・・なに出歯亀やってんだ」
「ごっ、ごめんなさい」
薫はアワアワと言い訳した。
「あの、その・・元気にしてるかなって」
「は?」
沖田が訝しげに顔を傾げる。
薫は手旗信号のように必死に両手をバタつかせた。
「いやっ、じゃなくて・・お昼ゴハンちゃんと食べたかなって」
「・・食った」
沖田が一言で片づけると、薫ももう言葉が出てこない。
すると・・大広間の方から、数人が怒鳴り合あってる声が聞こえた。
「あ~・・なんか、すげぇ騒ぎだな」
沖田が顔を後ろに向ける。
「え?ああ・・」
薫が息をついた。
(確かに・・昼ゴハンの時も、やたら大声で怒鳴り合ったり、小声でヒソヒソ話し込んだりしてたけど)
見上げると・・沖田の顎のラインが目に入る。
「沖田さんは・・いつもと変わんないですね」
「あ?」
沖田が薫を見下ろした。
「やっぱ・・会えなくなったら、やだな」
薫がポツリとつぶやく。
「・・源さんから聞いたのか?」
沖田が眉を顰めると、薫が目を開いた。
「え、なんですか?」
「・・いや、なんでもねぇ」
沖田が拍子抜けしたような顔をすると、薫がポツンと言葉を落とす。
「ここから離れたくないな・・」
すると・・
沖田が薫の頭に手を置いた。
「だったら、いりゃあいいだろ」
ポンと薫の頭をはたく。
薫は無意識に、沖田の着物の袖を握りしめた。
コクンと頷く。
(どこにも行かない)
それでも・・育ててくれた園長先生や施設の子ども達の顔が、どうしようもなく頭に浮かんでいた。
3
「新遊撃隊御雇・・ねぇ」
原田が、手にした紙の上の墨文字を読み上げた。
「・・ったく、舌噛みそうだぜ」
永倉はパチのそばにしゃがんでいる。
「なぁ、環」
原田が振り返った。
「・・・」
環は木に寄りかかってボンヤリしている。
「・・環?」
永倉が見上げた。
「えっ、あっ・・ごめんなさい。・・ボンヤリしてた」
環が我に返ったように慌てて身体を伸ばす。
「いや・・無理ねぇよな。オレたちだって信じらんねぇ。幕府を無くすなんてよ」
永倉が立ち上がって腕を組んだ。
「役人全員解雇するってんじゃねーだろなー」
原田が手にした紙を丸める。
永倉が不機嫌そうに頭を掻いた。
「そりゃ、シャレんなんねーだろ。んなことしたら町中しっちゃかめっちゃかだ」
環は・・別のことを考えていた。
(どうしよう・・戻りたいけど・・気持ちが定まらない)
「どうした?環」
永倉が覗き込む。
「えっ、いや、ちょっと・・色々考えちゃって」
環が慌てて手を振った。
原田が首を傾げる。
「心配すんなって。お嬢と薫はオレたちが守ってやっから。あの下っ端はどうでもいいけど」
「おう、安心しろよ」
永倉が明るく応える。
・・環は恥ずかしくなってしまった。
(やだ。私・・新選組が大変な時に、元の時代に戻れるかどうかって、そればっかり考えてる)
「・・ごめんなさい」
ポツリとつぶやく。
「あん?」
永倉が首を傾げた。
「どーしたんだよ、お嬢。似合わねーぞ、んな暗ぇ顔。元気出せよ、ほら~」
原田が唇を突き出して、環のホッペにチューしようと身体を傾けた。
すると・・
いつもはすぐに、ビンタをかますか、蹴りを入れるか、肘鉄を食らわす環が、動かずにジッとしている。
「ん?」
原田が唇を突き出したままで、背を伸ばす。
「どうした、環」
永倉が声を掛けると、環が顔を上げた。
・・目に涙が浮かんでいる。
「え、おい・・ちょっと」
「やべぇ・・すぐ目医者に行ってこい、環」
見慣れない光景に、永倉と原田は困惑顔だ。
「う・・ふぐっ・・」
環が口を手の甲で押さえて小さく嗚咽した。
(どうしよう・・ここから離れたくない、私。・・お父さん、お母さん)