第二百九十五話 目撃談
1
「ひとまず・・血だば止まったで」
南部がホッと息をついた。
梅戸の呼吸が落ち着いてきている。
斎藤は気が抜けたように肩を落とした。
そのままズルズルと壁に寄りかかって目を瞑る。
くたびれていた。
部屋の隅では大助が胡坐でコックリコックリ舟を漕いでいる。
永倉は玄関の見張りに出ていた。
シンは炊事場で温石を焼いている。
囲炉裏で真っ赤に焼かれる石を見ながら考えた。
(確か・・天満屋事件のすぐ後、王政復古の大号令が発せられるんだよな。そうしたら・・)
無意識につぶやきが漏れる。
「・・戊辰戦争が始まる」
すると・・背後に人の気配を感じる。
驚いて振り返ると、炊事場の入口に、いつの間にか大助が立っていた。
(!・・この人って、なんでいつも)
シンは心の中で舌打ちする。
「なにか用ですか。井上さん」
シンが軽い口調で問いかけると、大助が炊事場に入って来た。
「南部先生が湯を持って来てくれって言うもんでな」
「ああ」
シンがホッと息をつく。
(聞かれてなかったみたいだな)
囲炉裏にかけていた鉄瓶を外し、持ち手に手拭をあてて大助に差し出した。
しかし・・大助は受け取らず、シンの顔を見ている。
「?」
シンが首を傾げた。
「どうしたんですか。はや・・」
いいかけたシンの言葉に、大助がカブせる。
「"ボシン戦争"って言ったよな」
シンが固まった。
「・・っ」
「聞いたことねぇなぁ。どこで起きた戦だ?」
鉄瓶を受け取りながら、大助が淡々と訊いてくる。
「なんのことですか」
シンが低く声を絞り出す。
「オレなにも言ってませんけど」
「そうか?」
大助が鋭い眼光を向けた。
「・・・」
シンが目を睨み返すと、大助が薄笑いを浮かべる。
「聞き違いだったみてぇだな」
黙り込んだシンに、大助がさらに言葉をかけた。
「そういや・・あの赤鬼、どうしてんだろうなぁ」
唐突な問いかけに、一瞬、虚を突かれてシンが顔を上げる。
「は?・・え、さぁ」
話題が変わって、若干ホッとした。
(いきなり話が飛ぶよな)
「おめぇ、アイツの居所、ホントに知らねぇのかよ」
大助の口調は鋭い。
「知りません。もし知ってたら・・」
シンの言葉が途切れた。
「・・知ってたら?」
大助が繰り返す。
「・・いえ」
シンが俯いた。
「ふん」
大助が鼻で笑う。
そのまま踵を返した大助の背中を見送りながら、シンが小さく息をついた。
2
天満屋襲撃の一報は、翌日には京の街中に広まった。
土佐藩邸が上を下への大騒ぎになっている頃・・薩摩藩邸で密談が行われていた。
奥庭に面した部屋から、神妙な顔つきで出てきたのは長州藩士・品川弥二郎である。
廊下を足早に進むと、そのまま玄関に向かった。
品川は情報収集と連絡係としての在京要員である。
品川が去った部屋で、長州藩士・木戸準一郎(※後の木戸孝允)が一人で書簡を広げていた。
「昨日、国元の桂さん(※木戸のこと)宛てに品川さんが文を送ってたけどな~」
天井の梁の上から声が降ってくる。
「長州の木戸準一郎は、国元で大人しくしてますって感じにしてんの?」
「私宛ての文は家の者が受け取る」
木戸が書簡に目を落としながら答える。
細い梁の上に、茜が体育座りをしていた。
「暗躍が得意だよね~、桂さんって」
アッケラカンと笑う。
「新選組のような目立ちたがりでは無いのでな」
木戸は書簡を読み続けている。
「今日の朝議・・決まれば、禁門の変の大負けが引っくり返せるの?」
茜の嘲笑う声が響いた。
「・・それ以上だ」
書簡を読み終えた木戸が顔を上げる。
「戦が始まるね・・忍び連中は商売繁昌で大喜びだろうな~」
茜がクスクス笑った。
「お前はいつまでそうしてる気だ」
木戸が書簡をクルクルと丸める。
「己の力を意図的に発揮しないことほど馬鹿げたことはない」
「なんのことさ」
茜が両手を頭の後ろに組んで柱にもたれた。
「お前の真価は人を殺してこそだろう」
木戸が丸めた書簡を雑巾のように両手で絞る。
茜がクスリと笑った。
「桂さん。昔は仲間の長州藩士を消してたよね~。温厚そうなふりして性悪」
木戸が絞った書簡を囲炉裏に突っ込む。
「無能な味方は有能な敵よりも害が多いからな」
パチパチと音を立てて書簡が燃える。
「桂さんにとっては害虫ってわけね」
茜が明るく答えた。
木戸が立ち上がって天井を仰ぐ。
「戻って来い、茜。私は、お前のことは裏切らない」
3
天満屋事件の現場に居合わせた連中から、井上大助が聴取を終えたのは昼過ぎてからだった。
かき込むように饂飩を流し込んで腹ごしらえを終えると、大助は鴨川に向かった。
鴨川を超えた先に、医者の安斎が住んでいた長屋がある。
夷人を匿っていた、あの部屋が。
弥彦を連れて周辺を聞き回り、赤鬼の目撃談を拾って歩く。
長屋を1軒1軒当たっていくと、ほどなくして赤鬼を見たという住人が見付かった。
さらに聞きこむと、他にもいた。
目撃談は4件。
13日前の夜明け前と、同日の日が暮れた頃。
6日前の夜明け前と、やはり同日の日が暮れてから。
場所は、長屋の外れから見える山の麓が多かった。
共通しているのは・・巨大な人影を見かけて気を失ったこと。
気を失う前に白い光を見た気がするが、ハッキリ覚えていないこと。
そして・・目撃したのは全員、子どもだったことだ。
(・・大人は誰も見ちゃいねえ。全員ガキばっかだ)
大助が考える。
(つーことは・・計算ずくで姿を見せてるってことか?)
安斎が住んでいた部屋の前で立ち止まる。
『鬼が出た』という風聞のせいで、借りる人間がいないため荒れ放題だ。
ガラリと引き戸を引くと、足元に小さく埃が立つ。
大助は無表情に部屋を見渡した。
玄関前では、弥彦が気味悪そうに中を覗き込んでいる。
中に入るつもりは全く無いようだ。
「おめぇはもう戻れ。オレぁ、もうちょい調べていく」
大助は背を向けたままで弥彦に指示を出した。
「へぇ」
弥彦は素直に頷くと、ホッとした顔つきで今来た方向へ戻っていく。
残った大助は部屋の中を歩き回り、板の間や炊事場や窓などを念入りに見て回った。
「ふーん」
首を傾げる。
薄く積もった埃が、ところどころ拭きとられたように無くなっていた。
「どうやら・・お客さんが来てたみてぇだな」
板の間に腰を降ろす。
(赤鬼が最後に現れたのは6日前だ。その前は7日前に姿を見せている。なら・・)
今夜ここで過ごせば、子の刻を過ぎると次の7日目だ。
「待ってみるか・・」
大助は粘ることにした。
(ガキばっか選んで姿を見せてんのは、町に噂を広めるためか)
腕を袖に仕舞いこんで背中を丸める。
日が暮れ始めて気温が下がってきていた。
「鬼の誘いに乗ってやらぁ」
小声でつぶやくと、白い息が立った。