第二百九十一話 天満屋
1
中井の刀を弾き飛ばして、斎藤が階段を駆け上がった。
「大石さん、頼んだぜ」
「ああ」
ボソリと応えた大石が前に割り込む。
斎藤が中二階の障子を開けると、狭い部屋の真ん中で三浦休太郎と関甚之助が仁王立ちしていた。
「おーう、がいにあらくたいっちゃあ!」
斎藤が苦い顔をする。
(何語だよ)
三浦が脇差から剣を抜くと、腰をかがめ、吠えた。
「うぉぉーっ!」
『どっからでもかかってらっしゃい』オーラ全開の三浦を見て、斎藤が舌打ちする。
(なにヤル気出してんだ、このオヤジ)
「三浦さん、裏の勝手口から抜けてください」
斎藤が厳しい声音で言いつけた。
「あほげ」
三浦は心外そうな顔つきだ。
入口と逆の窓の方にノシノシと歩き出す。
「おい、ちょっと、どこへ」
斎藤が声をかけるが、そのまま三浦は窓の桟に足をかけ、あろうことか飛び下りた。
「とうっ!」
「あ、おい!なにすんだ、オヤジ」
斎藤が慌てて駆け寄る。
続いて、関甚之助が飛び下りた。
「とうっ!」
「おいって!!」
斎藤が下を覗き込むと、三浦と関は無事に着地している。
ケガは無いらしい。
三浦はすでに剣を構えていた。
そして・・その周囲を陸援隊の隊士たちが取り囲んでいる。
「げ」
斎藤が顔を歪めた。
新選組は会津候から三浦休太郎の身辺警護を言い付かっているが、当の三浦本人は警護されているという自覚が無い。
腕に覚えがあるので、自分の身は自分で守れる気でいる。
斎藤達新撰組のことなど助っ人程度にしか思っていない。
「くっそオヤジぃ」
斎藤が窓の桟に足をかけて、勢い良く蹴った。
ドンッという音とともに中庭に降り立つ。
ちょうど・・三浦の真後ろに着地した。
「いってぇ・・っ」
斎藤の顔が歪む。
足の裏がジンジンと痛い。
「おう、斎藤~。てちくらわすどぉ~っ!」
三浦がドラ声を張り上げた。
「・・うっせーよ」
斎藤が忌々しげにつぶやく。
すると・・
勝手口がぶち破られるように開いた。
「うぉぉっ!」
戸に寄りかかる形で転がり出たのは・・中井庄五郎だ。
2
「うぐぐ・・」
中井は左腕を押さえている。
二の腕を切られたようだ。
斎藤が、中井と三浦の前に割り込んだ。
フラフラと中井が立ち上がる。
振り返ると・・斎藤の背に立っている三浦を凝視した。
「おのれが・・三浦か」
斎藤が剣を構えた。
「覚悟ぉーっ!」
中井が身体ごとぶつかってくる。
沈んだ中井の背後に、大石鍬次郎が立っていた。
大石が真横に刀を振る。
斎藤が走り出した。
大石が中井の首半分を斬ったと同時に、斎藤の剣が胸に突き刺さる。
「ぐ・・あ」
中井の身体が崩折れた。
大石と斎藤は、すでに刀を引き抜いている。
斎藤が振り向くと、三浦が大声を張り上げながらブンブン刀を振り回していた。
中庭にワラワラと男達が詰め掛けている。
ザッと見渡しても、陸援隊の方が明らかに数で圧倒していた。
「くそっ」
舌打ちしながら、斎藤が取って返す。
三浦のそばに梅戸勝之進がいるのが見えたが、周囲を囲まれている。
梅戸が三浦を庇うように奮闘しているが、反対側の男が隙を突いて斬り込んだ。
「うぉっ」
三浦が顎を斬られ、地面に転がる。
そのまま男が剣を振り上げた。
「覚悟!」
キンッ
振り下ろされた刀を、滑り込んだ斎藤の剣が受け止める。
地面に倒れている三浦に跨るような恰好で、斎藤がギリギリと刀を押し返す。
すると・・
「おりゃあっ!」
脇にいたもう1人が、斬りかかって来た。
刀と刀で押し合いしている斎藤は、死にもの狂いで目の前の男の腹を膝で蹴り飛ばす。
「ぐっ」
身体を前に折り畳んだ男の首に、斎藤の剣が突き刺さったのと同時に・・脇から来た男の刀が振り下ろされた。
(しまっ・・)
とられた・・と思った瞬間、真横に大男が立ち塞がっていた。
梅戸勝之進である。
斬りかかって来た男と斎藤の間に、仁王立ちで立ちはだかっていた。
「ぐぁぁーっ!」
梅戸が顔面を押さえて崩折れる。
「くそっ!」
梅戸を斬った男が、悪態をつくのが聞こえた。
「・・っ」
斎藤は梅戸の身体を跨ぐと、一瞬で男の首に剣を突き刺す。
「ぐぅっ」
くぐもった声と同時に、男の身体が倒れた。
「梅戸さんっ!」
斎藤が膝をついて梅戸の肩を掴むと、野太い掠れた声が聞こえる。
「斎藤組長・・ご無事す・・か」
月灯りに照らされた梅戸の顔は、真っ赤な果物が破れたようだった。
「梅戸さん・・っ」
3
今夜は、原田隊が夜間の見廻りに出ているので、永倉は一人呑みをしている。
徳利に直接口をつけて、豪快なラッパ呑みスタイルだ。
水のように呑み干して徳利を殻にする。
畳の上には、すでに3本転がっていた。
「失礼しまーす」
廊下から声がかかり、障子がスラリと開く。
膝をついた格好でシンが部屋に入って来る。
「熱燗追加でーす」
居酒屋の店員のような挨拶をして、徳利を載せたお盆を永倉の側に置いた。
「おう、おっせーよ」
永倉が上機嫌で手を伸ばす。
お盆を置いたシンが立ち上がろうとすると、いきなり永倉に手を引っ張られた。
「すぐ帰ろうとすんなって」
「はぁ?」
シンが振り返る。
永倉がマジマジと顔を覗き込んだ。
「う~ん、オメェ・・よく見ると、下手な女よりキレイな面してんなぁ」
「はぁぁ?」
シンが眉を寄せると、永倉が肩に手を回して引き寄せる。
「よっしゃ、酌しろ。酌」
「は?やですよ、なんでオレが」
シンが永倉の身体を押しのけようとするが、掴まれた肩はビクともしない。
(なんだ、このスケベ親父・・まさか両刀じゃ)
シンが顔を引き攣らせて必死の抵抗をすると、いきなり身体が自由になった。
永倉が手を離したからだ。
「ジョーダンだよ、ジョーダン。本気にすんなって」
ゲラゲラ笑っている。
(・・ったく、酔っ払い)
シンがホッと息をついた。
すると・・
「入るぞ、新八」
廊下から声がかかり、同時に障子が開いた。
井上源三郎が立っている。
「天満屋が襲撃された」
源三郎の言葉を聞いた瞬間、永倉が立ち上がって廊下に出た。
「土佐藩かよ」
「わからん」
源三郎も後に続く。
部屋に残されたシンが、呆然とした顔で立ち上がった。
(・・天満屋事件だ)
「今夜・・だったのか」
両手をギュッと握り締める。
顔を上げ、後を追うように部屋を飛び出した。