第二百八十九話 コマ回し
1
その後も、土方からのお達しで、薫と環は沖田の部屋に頻繁に出入りしないようにしている。
2人がウロチョロすると、沖田は大人しく寝ていないだろうとの判断だった。
沖田の世話は、市村鉄之助が土方に言いつけられ、かいがいしく食事を運んだりしている。
おかげで薫はふくれっ面だ。
「・・ふーんだ」
大根の皮を剥きながらつぶやいた。
今夜はふろふき大根。
昼から作って夕方まで味を染みこませる。
だが・・せっかく気合いを入れて作っても、美味しそうに食べる顔を見られないのであれば、なんとなく気分が上がらない。
「ふろふき大根、少し寄せておいてもいい?」
環が訊いて来た。
「うん?いいよ。いっぱいあるもん」
薫が頷くと、環が笑顔を浮かべる。
「良かった。明日、南部先生のところに持って行ってあげようと思って」
「南部先生?」
皮を剥く手は休め、薫が顔を向けた。
「うん。山崎さんから聞いたんだけど、先生、体調崩して寝込んでるらしいの」
環は鰹節を削っている。
「風邪引いたとか?」
「寒い中、気を失って身体冷やしたし・・沖田さんの看病で寝不足だったみたいだから」
環が頷いた。
「そっか・・」
薫も心配になってくる。
(おミツさんが辞めちゃったから・・大変だろうなぁ)
すると・・
「おいっ」
板の間から声をかけられた。
すぐさま薫の眉間にシワが寄る。
天敵の声を聞いたせいだ。
「沖田先生の粥、もうさっと固めにしろ」
市村鉄之助が板の間に立って、薫を見下ろしている。
「"ドロドロして水みてぇ"やて、沖田先生がこぼしとったわ」
(うっさい)
薫は無言で見返した。
環は横目で眺めている。
「・・おいっ、聞いとんのかい?返事せぃや」
鉄之助が言い募ると、薫がプイと背を向けた。
「あ~、はいはい。わかったわよ」
薫が手でシッシッと追い払う仕草をすると、鉄之助の顔が見る見る真っ赤になる。
環は息をついて肩をすくめた。
生意気な鉄之助と大人げない薫、どっちもどっちの目クソ鼻クソだ。
2
翌日、環は南部診療所に向かった。
シンの護衛だけでは土方から外出許可が下りなかったので、山崎も一緒だ。
「すみません・・山崎さん」
環が山崎に声をかける。
「いや、オレも先生の様子を見たかったから」
穏やかな口調で山崎が応えた。
後ろにシンが付いてきている。
(オレ・・新選組抜けるとか言っといて・・結局ズルズル残ってるよな)
シンは落ち込んでいた。
今日は少し陽が差していて、いつもより暖かい。
3人でポコポコと雪の残った道を歩いていると、まもなく診療所が見えて来た。
「南部先生、いますか?」
玄関から声をかけても返事が無かったので、山崎が戸に手をかけると、錠は差されていない。
「ごめん」
敷居を跨ぐと、奥の板の間に布団が敷かれて、人が寝ているのが見えた。
「先生」
環が足を早めて板の間に手をつくと、南部がパチリと目を覚ました。
「お?」
「お加減いかがですか?」
環が大人ぶった言い回しをすると、南部が起き上がろうと頭を上げる。
「いいです、寝ててください」
環にやんわり押さえつけられると、南部が諦めたように頭を枕に戻した。
「お~う・・」
「先生、具合はどうです」
山崎が覗き込むと、南部が目を瞑る。
「たいしたごぁだねぇ」
「ふろふき大根持ってきました。おかゆ作りますね」
環はお米も持参していた。
「こりゃこりゃ・・すまねな」
南部が笑い声を漏らす。
重症ではなさそうなので、山崎はホツとした。
この時代は、風邪でも拗らせれば命を落とすことも多い。
炊事場に入った環は首を傾げた。
「あれ?」
微かに甘い香りが漂っている。
見渡すと・・洗い場の台に黒っぽい粉が載った和紙が拡げられている。
甘い香りはそこからが出ているようだ。
「なんだろ・・?これ」
今まで見たことがなかったが、漢方薬の一種だろうと顔を近づけると、あまりに気持ち良い香りで思わず目を閉じた。
すると・・
(この香り・・どこかで)
記憶の奥深くから呼び覚まされるものがある。
(なんか・・誰かが・・"おやすみ”って言ったような)
目を開く。
「・・・」
思い当たったのは、襲われそうになった雲居寺の本堂だ。
シンと並んで座ってる時に、暗闇の中香ってきた花の香り。
("おやすみ、たまきちゃん"って)
眉をひそめる。
「あの声・・」
両手を握り締めた。
3
「結局・・こうなるんだよなー」
シンがつぶやく。
山崎に言いつけられて、買い出しに出てきたのだ。
ふろふき大根と米は持参してきたが、診療所の炊事場にはろくな調味料が置かれてなかった。
ミツがいなくなってからは、たまに手伝いを頼む程度で、住み込みの女中を置いてない。
「お茶っ葉も切れてる」
空っぽの茶筒を覗いて環がため息をつくと、山崎がすぐにシンをパシらせた。
「え~と、お茶と味噌と醤油と・・」
シンがブツブツ反芻しながら、薄く雪に覆われた小道を進む。
すると・・
道の向こうで子ども達が遊んでいるのが見えた。
数人集まって若い男を囲んでいる。
どうやらコマ回しをしているようだ。
子ども達の興奮している声が通りに響く。
若い男のコマ回しの腕前が良いらしい。
尋常でない喜びの声を上げている。
若い男は狐のお面をつけていた。
(狐の面か・・)
シンの脳裏にイヤな記憶が蘇る。
油小路の惨殺現場で出会った、得体の知れない狐の面を着けた男。
シンに足蹴りを食らわして、ショックガンを奪い去った男のこと。
襟元を押さえて身震いした。
(やーなこと思い出したな)
首を振りながら、足早に通り過ぎる。
その時・・
若い男がほんの少し身をよじった。
一瞬の動きだった。
シンが雪道を進むと、なんとなく左側に違和感がある。
「・・・?」
立ち止まった。
違和感の原因は・・左袖だ。
少し重い。
「えっ?」
慌てて左袖を右手で掴んだ。
いつの間にか袖に固形物が入っている。
すぐさま袖に手を入れるとと、乳白色に鈍く光るショックガンが出てきた。
シンは言葉を喪ったように、ただ黙って手の平を見つめる。
(あいつ・・あの時の・・)
慌てて振り返ると、いま来た道を戻った。
さっき見た子ども達が楽しそうに声を上げている。
真ん中でコマを回しているのは、さっき見物していた年長の男の子だった。
狐の面を被った男は、すでにいない。
(わざわざご丁寧に返してくれたってことか・・?)
袖に忍ばせたショックガンを握り締める。
(・・いったい、誰なんだ?)
辺りを見渡す。
雪が降り始めていた。