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第二百五十三話 九月


 シンの望みも虚しく、伊東が九州から帰京した。


 ガッカリしていたら、今度はすぐ名古屋に向かうと言い出した。

 地元の地理に明るい篠原を同行しての出張だ。


 シンはホッと息をつく。

 (また長旅になればいいのにな・・)


 だが、名古屋は九州ほど遠くない。

 長逗留は期待出来ないだろう。


 (そういや・・)

 洗濯物を干す手が止まる。


 (慶応3年って・・)

 シンの頭に浮かんだのは、油小路の変よりずっと有名な歴史上の大事件だった。


 (近江屋事件が起きるよな)

 そのままボンヤリ立ち尽くす。


 近江屋事件・・土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎が、京の近江屋で暗殺される事件である。


 (慶応3年の11月15日)

 日付もハッキリ記憶している。


 大政奉還が成されてから一月後のことだ。


 (たしか・・伊東さんは中岡慎太郎と面識あるとかって、斎藤さんが言ってたな)


 もし・・自分が伊東に近江屋事件のことを告げたらどうなるのだろうか。

 まともに取り合ってもらえない可能性が高いが、ひょっとして・・情報の一つとして坂本・中岡サイドに伝わるかもしれない。


 そうなったら・・


 坂本龍馬が近江屋に泊まることを止めたら?

 見張りを増やして暗殺者を返り討ちにしたら?

 逃亡ルートを事前の確保して逃げおおせたら?


 様々な可能性が頭に浮かんだ。


 だが・・自分は絶対にリークすることはしないと分かっている。


 史実はその時代に生きる人のもの、彼らの現在であり未来だ。

 そこに生きている人間が自ら選び、形作るものだ。


 それを変えられるのは彼ら自身であり、未来から来た異邦人が干渉するのはグロテスク極まりない所業と思われる。


 これに関して・・シンの葛藤には出口が無い。

 答えが最初から出ているからだ。


 歴史を変えることはしない・・絶対に。

 誰かが殺されることが分かっていても、口をつぐんで見ているだけだ。


 だが・・もしもそれが、自分にとってかけがえのない人だったら?


 黙って見ていることなど到底できないだろう。

 きっと全力で助けようとする。


 シンは分かっている。

 どんな正論を立てようと理屈をこねようと、死ぬと分かってる人間を見殺しにしているのに変わりない。


 「暗殺より見殺しのが、よっぽど卑怯だよな・・」

 つぶやきが漏れた。







 祇園の料亭『小川』の一室。

 藤堂の目の前には鈴がチョコンと畏まっている。


 番頭に言って「食事の世話を」と呼んだのだ。


 藤堂が無言で茶碗を差し出す。

 「おかわりくれ」の意味だ。


 「は、はい」

 鈴は慌てて手を伸ばすと、茶碗を受け取っておひつのゴハンをコテコテと盛り付ける。


 三角に大きく持った茶碗を藤堂に手渡すと、藤堂が苦笑した。

 「すげぇ大盛り」


 「す、すんまへん」

 鈴が慌てて謝ると、藤堂が笑う。

 「いーよ、食うから」


 藤堂はこのところ『小川』にちょくちょく足を運んでは鈴を呼んでいた。

 下心は全く無い。


 藤堂に童女趣味は無いし、妙齢の女性にしか興味が無い健全な男性だ。


 だが、鈴のことはどうにも可愛い。

 小柄で黒目が大きくて、ふっくらとした頬っぺたが、つきたての餅のように美味しそうだ。


 丸くてチンマイ小動物を見ると癒されるように、ペタンと座る鈴の様子を見ているだけで癒される気がする。


 「お茶」

 「は、はいっ」


 藤堂が言いつけると、鈴が慌てて立ち上がる。


 湯呑に茶を注ぐ鈴を見て、藤堂はいちいち感心する。

 (うーん、新鮮だなぁ)


 背丈も態度もデカい薫や環と違って、鈴は言い返して来ないし実に素直だ。

 小言も言わないし、万事に控えめである。


 今まで藤堂の周りにいた女は、薫と環と遊女くらいだ。

 つまり・・どちらかというと生意気な女としか接してこなかったので、鈴のように従順で大人しやかな娘が珍しい。


 (けど、女って本来こーゆーもんだよな。オレの周りがたまたま気の強ぇのばっかだけで)

 そんなことを考えながら飯をかき込む。


 「どんぞ」

 鈴が差し出すお茶を藤堂が受け取ると、ニッコリ笑った。

 「ありがとよ」


 ググッと一気に飲み干すと、ハァーッと息をつく。

 「うまかった。ごっつぉーさん」


 カランと箸をお膳に投げる。

 お膳の皿は空っぽで、見事に完食されていた。


 「この店は料理がうめぇのがいいやな」

 爪楊枝をくわえながら藤堂がつぶやくと、鈴が嬉しそうに笑う。

 「ありがとはんどす」


 「おめぇ、郷(くに)はどこだ」

 腕組みして、爪楊枝で器用に歯の清掃をしながら藤堂が訊いた。


 「大住村どすけんど・・」

 「ふーん、知らね」

 「はぁ・・」


 鈴と遣り取りする内容のない会話が、近頃、藤堂の楽しみになっている。







 「辛ぇ(カレー)の食いてぇな」

 沖田にさりげなくねだられた。


 薫はウコンをゴリゴリ擦っている。

 (やっぱ沖田さんコドモだ。子どもはみんなカレー好きだもん)


 先日、特製カレーもどきを食べて以来、沖田はいたくお気に入りだ。


 「しょうがない」

 つぶやきながらゴリゴリ擦り続ける。


 (ほんとは・・シンにも食べさせたいけど)

 ふと思いついて手が止まった。


 薫が現代料理を作る時、いつも最初に試食するのは環とシンだった。


 (どうしてるかな)

 不思議なことだが、シンは薫と環より年上なのに、まるで小さい男の子のように心配でならない。


 もしも自分に家族がいたらこんな感じかもしれないと思う。

 環とシンはやっぱり特別な存在なのだ。


 「月真院に様子見に行けないかなぁ」

 ひとりごとが漏れる。


 すると・・


 「ダメだ」

 いきなり後ろから声がした。


 驚いて振り向くと・・


 「土方さん」


 炊事場の土間に続く板の間に土方が立っている。

 稽古着姿で汗まみれだ。


 「あの下っ端が気になってんだろうが、月真院に行くのは許さねぇぞ」

 土間に降りて来ると、ひしゃくで水を掬ってゴクゴクと飲み始めた。


 「・・シンもう戻れないんですか?」

 薫が眉間に皺を寄せると、土方がフーッと息をついて袖で口元を拭く。

 「さぁな」


 シンが斎藤と共に間諜として御陵衛士に潜入しているのは隊内でも極秘事項なのだ。


 「生きてりゃなんとでもなるさ」

 「はぁ?」

 薫が困惑顔で首を傾げる。


 「逢えるんじゃねぇのか、そのうちな」

 土方の遠回しな表現は、薫にサッパリ通じてない。

 (なにテキトーなこと言ってんのよ、オッサン!)


 「ああ・・それと」

 土方が思いついたようにつぶやいた。

 「今度、江戸に行くんだがな」


 「江戸?」

 「ああ、隊士の募集にな」

 「はぁ」


 土方が屯所を留守にすると聞いて、チョッピリ寂しさが込み上げる。

 イジる相手がいなくなるからだ。


 「姉貴に辛ぇ(カレー)食わせてぇんだ。少し寄せといてくんねぇか」

 土方の申し出を、薫は即座に却下した。

 「ダメです」


 「え?」

 土方が眉をひそめる。

 「なんでだ?」


 ~ 未来のものを屯所の外に持ち出さないこと ~

 シンにきつく言い渡されていることだ。


 「日持ちしませんからダメです」

 若干嘘である。


 ルーにする前のパウダー状のカレー粉なら日持ちはする。

 だが、カレー粉だけではおそらく料理の仕方は分からないだろう。


 「そうか・・」

 土方は素直にガッカリした。


 「それに・・カレーは腐るとウンコに変わります」

 物凄い大嘘である。


 「えっ!?」

 土方が目を剥いた。


 『まさか』という顔つきで、そのまま踵を返す。


 板の間に引き返す土方の背中を見ながら心の中でつぶやく。

 (もしかして本気にしたかな?)





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