第二百八十七話 空の下
1
土方は「有言即実行」タイプだ。
つまり・・
「傷は塞がったな」
上着を肌蹴られた藤堂の後ろに立って、巨大なミミズが斜めに這っているような傷口を眺めた。
後ろに山崎が控えている。
土方に小さな風呂敷包を手渡した。
受け取った土方が、無造作にそれを突き出す。
上着に袖を入れながら藤堂が眺めた。
「・・なんですか?」
「近藤さんから餞別だ。黙って受け取れ」
さらに突き出す。
「ほら」
土方が低い声で付け足すと、藤堂が黙って受け取った。
風呂敷の中身は、当座の着替えと金子である。
持った感じで藤堂にも中身の予想がついた。
「二度と京に戻ってくるな」
土方が低い声でつぶやくと、藤堂が挑戦的に見返す。
「オレが言うことを聞くと?」
「さぁな・・オレぁ、近藤さんから言われただけだ。あとは好きにしろ」
くだらなさそうに土方が横を向いた。
「裏切り者の命を救って、密かに逃がすなんざ・・狂気の沙汰だな」
藤堂が、ぶら下げた風呂敷を握りしめる。
「不本意か?」
土方がせせら笑った。
「勝負に負けた男が、一人前の口きくんじゃねぇ」
そのまま板の間を降りると、入口で振り返る。
「今夜、九つ(深夜0時前後)になったら・・この部屋の錠を外すから出て行け」
土方の後に山崎が続き、扉が閉められて薄暗がりになった。
蔵座敷の中は行燈ひとつがだけ灯っている。
藤堂が風呂敷を握り締めた。
(なにやってんだ・・)
土方が部屋を出る前に、刀を奪い取って、伊東の仇を討つべきだった。
なのに・・床に根が張ったように足は動かない。
自分は、時に負けたのかもしれないと、ふと思った。
試衛館の頃から過ごした時が長すぎて、敵だと割り切ることが出来ないのかもしれない。
そして・・それは、近藤や土方も同じかもしれなかった。
2
山崎が、藤堂が今夜解放されると言った時、シンは思わず訊き返した。
「え?」
甘ちゃんのシンは、藤堂がこのまま新選組に戻るのではないかと思っていたのだ。
「念のために伝えておく」
渡り廊下でバッタリ会った山崎が言った。
藤堂が屯所に幽閉されていることを知っているのは、幹部数人と、現場にいたシン、薫と環だけだ。
「薫と環は・・知ってるんですか?」
シンが訊くと、山崎が答えた。
「言ってないよ。沖田くんにも」
正解だ。
沖田は無理に起き出してくるかもしれない。
「・・・」
シンが黙り込んでいると、さらに言った。
「お前は、結果的にずっと平助くんと行動を共にしていた。だから伝えておく」
そう言って、山崎が歩き出す。
それを見送りながらシンがつぶやいた。
「藤堂さん・・どうするんだ」
拳を握りしめる。
玄関の方に走り出した。
門を抜けて外に出ると・・人影の無い道を薄く雪が覆っている。
ズンズンと踏みしめて、前に進んだ。
少しして、足を止める。
「いるよな」
見上げると・・「天満屋」の看板が提灯に照らされていた。
枕木を叩いて呼び出すと、下男が出て来る。
シンの顔を見ると、すぐに中に入れてくれた。
月真院から脱走した時に、斎藤とともに天満屋に身を隠していたので、店の人間とは顔馴染みなのだ。
二階に通されると・・斎藤が部屋の隅で座っている。
目を瞑って壁に寄りかかっているところを見ると、どうやら眠っているようだ。
斎藤はこのところずっと、紀州藩の三浦安太郎の身辺警護に張り付いている。
すると・・
「なんの用だ?」
目を瞑ったまま斎藤が声を出した。
(起きてたのか)
声をかけていいかどうか躊躇していたシンは拍子抜けする。
「・・藤堂さんが今日、屯所から解放されるそうです」
いきなり切り出した。
時間が無いし、斎藤が回りくどいのを嫌うためだ。
斎藤がパチリと目を開く。
ムクリと身体を起こした。
シンに顔を向けると、妙なものを見る目つきで眺める。
「・・だから何だ?」
「いや・・」
言いよどむ。
シンが見る限り、斎藤が一番藤堂と仲が良かった。
間諜として御陵衛士に潜入して、立場を偽っていることに、斎藤が呵責を感じていたのは分かっている。
「もう・・会えないかもしれない」
シンが言うと、斎藤はフイと顔を前に向けた。
「関係ねぇよ。あいつはもう新選組でもなんでもねぇ。好きにしたらいいさ」
シンがなおも言葉を探していると、斎藤が腕組みして壁に寄りかかる。
目を瞑るとボソリとつぶいやいた。
「もう帰れ。隊務の邪魔すんな」
(・・意地っ張り)
シンは諦めて立ち上がる。
「分かりました。・・なんか伝えることがあれば」
斎藤から返事は帰って来なかったので、そのまま障子を閉めて部屋を後にした。
3
九つの鐘が鳴り終わると、蔵座敷の扉が開かれた。
「平助くん」
入って来たのは山崎だ。
藤堂が無言で立ち上がる。
手には・・土方が渡した風呂敷を持っていた。
「こっちに」
山崎が誘導する。
あらかじめ人払いした廊下から、すぐに庭に降り立った。
「それに履き替えて」
山崎が示したのは、石段に並べられた雪駄だ。
「こっちだ」
山崎の後を、藤堂は黙ってついていく。
雪がヒラヒラ舞っている。
少し歩くと・・裏門の前に永倉と原田が立っていた。
「いよぉ」
原田が手を振っている。
「冷えるなぁ」
永倉の吐く息が白い。
「新八っつぁん・・左之さん」
藤堂がつぶやくと、2人が近づいてきた。
「これ着ろ」
永倉が、自分が着ている綿入れ半纏を脱ぐ。
藤堂が黙ってると、永倉は勝手に藤堂の肩に半纏を被せた。
「これも着ろ」
原田も着ていた外套を脱ぐ。
藤堂の頭にバサリと被せた。
藤堂が頭を振ると、外套が下に落ちる。
「なにすんだよ」
小言を言って外套を拾うと、今度は半纏の上から外套を着せかけた。
すると・・藤堂が肩から外套と半纏を外してくる。
「オレはあんたらの仲間じゃねぇ」
2人に差し戻した。
永倉と原田が一瞬黙り込む。
すると・・
原田が息をついた。
「ああ、もう仲間じゃねぇ。ただの昔の知り合いだ。それじゃダメか」
藤堂が差し出した外套と半纏を、永倉がもう一度、藤堂の頭に被せた。
今度は頭を振らなかったので、被せられたままだ。
「生意気な坊主だぜ。目上の言うことは素直にきけって教わらなかったか」
永倉が腕を組む。
山崎が、藤堂の頭から外套と半纏を外して丁寧に着せ掛けた。
「オレは・・御陵衛士に戻るかもしんねぇ」
藤堂が低い声でつぶやく。
「好きにしろ」
「そうそう」
「ご勝手に」
永倉と原田と山崎が順番に答えた。
ギィ・・
原田が通用門を開ける。
「また逢おうぜ、平助」
永倉が空を見上げた。
「おう、どこにいてもひとつ空の下だ」
「粋な台詞ですね」
山崎が茶化しながら、スルリと腰から脇差を抜いた。
藤堂に差し出す。
「君の刀だよ。副長が鍛冶屋に研がせた。刃こぼれも無い」
藤堂の目が開く。
無意識に受け取っていた。
「今度は・・本気の勝負だな、平助」
永倉が言った途端・・藤堂の目頭が熱くなる。
そのまま通用門を出ると、原田がカラリと言った。
「次会うまで生きてろよ」
藤堂が歩き出す。
行先は決まっていない。
藤堂の姿が見えなくなるまで、3人は門の前に立っていた。
そして・・
この約束が果たされることは無かった。
藤堂が新選組の隊士と生きて言葉を交わすのは、これが最期である。