第二百八十五話 出禁
1
南部と交替で山崎が沖田の様子を診ている。
沖田の側であぐらをかいていたが・・おもむろに立ち上がってスラリと障子を開けた。
「いつまでそうしてるつもりだい」
やや離れた廊下の先に・・薫が立っている。
「え、あっ・・と」
薫が仰天した顔を見せた。
(気付いてたんだ・・)
顔を伏せる。
沖田の具合が気になって、廊下の手前で様子を伺っていたのだ。
「・・すみません」
うなだれて戻ろうとした薫に、山崎が声をかける。
「待ちなさい」
バツの悪い顔で振り返った薫に、山崎が言った。
「そんなに気になるなら、少し様子を見て行くといい」
「え?・・でも、土方さんが」
とまどった様子の薫に、山崎が続ける。
「構わないよ」
慌てて近付いた薫が、心配気に山崎を見上げた。
「・・いいんですか?」
「医療班の責任者はオレだ。オレが副長に叱られればいいだけだ」
サラリと答える。
「でも、それじゃあ」
言い募ろうとした薫を、山崎が柔らかく遮った。
「沖田くんが寝てる姿を見られるのをいやがるからだろう。副長は過保護すぎる」
山崎に背中を押されて薫が部屋に入ると、後ろで障子が閉められる。
「南部先生が戻るまで頼むよ」
薫が振り返ると、すでに山崎の影は障子に映っていない。
顔を戻すと、狭い部屋の真ん中に沖田が寝ている。
呼吸をしていないのかと思うほどの静かさだ。
物音を立てないように側に腰を下ろす。
沖田の顔を眺めた。
思ったほど顔色は悪くない。
髪がやや乱れているが、綺麗な寝顔だ。
(沖田さん)
薫は無意識に自分の手を握り締める。
布団の方に目をやると、端から沖田の指先がはみ出ていた。
(・・手が冷えちゃう)
はみ出た手を布団に仕舞おうと沖田の手に触れると、温かさが感じられる。
そのまま沖田の手を握り締めた。
(生きてる・・)
ギュッと目をつむると、勝手に涙が溢れて来る。
(生きてるよぉ・・)
涙がドンドン溢れて来ると、今度は鼻水が出て来た。
「うっ・・グスッ」
左手で涙を拭き、鼻水をすすり上げる。
「きったね・・」
「・・え?」
突然、聞こえた声に、驚いて目を開けた。
「ハナ垂らすな・・きたねーな」
沖田が薄目を開けている。
薫が握っている右手を、沖田が握り返していた。
「沖田さん・・?」
グシャグシャの顔で薫がつぶやく。
「沖田さん!」
そのまま沖田の首元にしがみついた。
「うっ・・よせ」
沖田が、本当にイヤそうな顔で身をよじるが、抵抗空しく振り払えなかった。
2
食事を終えて戻ってきた南部の目に入ったのは・・沖田の布団の隣りで丸まっている薫の姿だった。
「・・お?」
驚いた顔で見ていると、沖田が薄く目を開けて南部を見た。
そのまま・・また目をつむる。
南部が声を出さず部屋から出ると、廊下の先に土方が立っていた。
後ろには山崎が控えている。
南部が2人の前に進む。
「沖田くん・・目ぇ覚めだみでぇだ」
土方が目を開く。
「本当か・・先生」
「おう」
南部が嬉しそうに顔をクシャクシャにした。
「どうやら、薫ちゃんに起ごされだみでぇだ」
「あ?」
土方が目を開く。
「・・すみません、副長。オレが薫ちゃんを部屋に入れました。廊下で様子を伺ってたもんで」
後ろから山崎が答えた。
「・・なんで勝手なことをした?」
土方が低い声を出すと、山崎が頭を下げる。
「申し訳ありません。命令違反の処分は受けます」
土方が不機嫌に眉をしかめると、南部が口を挟んだ。
「まぁまぁ、土方さん。オレも、薫ちゃんど環ちゃんどご呼ぼがど思っでだどごだった」
土方が視線を投げると、南部が頭を傾げる。
「人間の身体ってな不思議なもんだで。気持ぢが元気になれば、身体も元気になるがらなぁ」
今度は山崎が口を挟んだ。
「元気なふり、じゃないですか?沖田くん、桁外れの見栄坊だから」
すると・・土方が突然、踵を返したため、山崎が慌てて身体を引いた。
「・・土方さん、沖田くんの様子見ねでいんだが?」
南部が声をかけると、土方が足を止める。
「・・後にする」
振り返って山崎を見た。
「・・南部先生の顔を立てて・・今日んとこはお咎めは無しだ。・・だが、次はねぇ」
「は」
山崎が頭を下げる。
土方の後ろ姿を見送ると、南部が口を開いた。
「素直でねな・・喜んだりせば、格好悪ぃどが思ってんだがや?」
「副長は感情表現がかなり不自由です」
山崎が表情を崩さず答える。
3
「はい、出来ました」
環が軽く傷口を叩くと、藤堂が声を上げた。
「いてっ」
モソモソと着物を着るのを、環が笑って見ている。
「経過良好ですよ。すごい回復力」
実際、藤堂は昔から傷の治りが早い。
ケガをして故障リストに入っても、すぐにスタメンに戻るタイプである。
包帯を交換する前に、環が軽く身体を拭いてくれたので、小ざっぱりした表情だ。
「悪ぃな・・世話かけちまって」
藤堂が小さな声でつぶやくと、環が耳に手をあてる。
「え、何か言いました?」
藤堂がもう一度口を開こうとすると、環がグイッと耳を近づけた。
「えー、なに、なに?」
「おめぇ・・」
藤堂が苦い顔を見せた時、入口の扉が開いた。
土方が立っている。
入口を眺めている藤堂を見て、環が振り返る。
「総司が目を覚ました」
土方が前置きなしに言った。
環が立ち上がる。
「・・ホントですか?」
「ああ」
土方が頷くと同時に、環が板の間から降りた。
そのまま土方の横を通り過ぎて、入口を抜け出る。
横目で見送った土方が、今度は藤堂に目をやった。
無言で歩を進めると、板の間に上がる。
「具合はどうだ?」
見下ろして土方が訊いた。
「おかげさまで、傷はもう塞がってますよ」
藤堂が軽く腕を回す。
痛そうに顔をしかめると、腕を下ろした。
「そうか・・じゃあもう、出ていけ」
土方の言葉を聞いて、藤堂が見上げる。
「・・逃がすんですか?」
「近藤さんが、おめぇを助けろと命じた。だが・・ここに置いてちゃ、処分するしかねぇ」
土方が腕を組んだ。
藤堂は御陵衛士の残党である。
何人も例外は許されない。
「オレを逃がして・・また篠原さん達と一緒になったら、どうするんです?」
藤堂が片膝を立てて見上げた。
「勝手にしろ」
土方がポツリとつぶやく。
「だが・・次は容赦しねぇ。近藤さんが止めても・・おめぇが敵に回るなら・・次は殺す」
そう言い捨てて、板の間を降りた。
扉を閉める土方の背中を見て、藤堂が拳を握りしめる。
「くそっ・・」