第二百八十四話 翌朝
1
ところが、翌朝になっても沖田は目覚めなかった。
「はぁ・・」
薫が息をつく。
炊事場で釜を洗っている。
朝飯の後に平隊士が皿洗いをしてから、薫と環が炊事場の細かい清掃を行うのだ。
「薫、ずっとため息ついてばっかだよ」
環に声をかけられ、薫が慌てて顔を上げる。
「ご、ごめん」
・・沈黙。
沖田の部屋に出禁になった2人に出来るのは、心配することだけだ。
(沖田さん・・ずっと眠ったまま)
薫が洗い物の手を止めて握りしめた。
「・・土方さんのうそつき」
薫のつぶやきに、環が眉をひそめる。
「え?」
「朝になったら沖田さん起きて来る、なんて・・簡単に言ったくせに」
薫がやや険しい顔つきを見せると、環が目を開いた。
「土方さんが?」
「うん」
コクンと頷いた薫を見て、環の顔に笑みが浮かぶ。
「土方さんらしい」
クスリと笑うと割烹着で手を拭いた。
「薫のこと励ましてるんじゃない?ど下手くそだけど」
すると・・
「まだ飯残ってる?」
板の間にシンが立っている。
「あ、シン。ゴハンはあるよ。オカズはもう無いけど」
薫が見上げると、シンがしゃがみ込んだ。
「あ~・・オムスビとオシンコと味噌汁のセットとか出来る?」
「朝ゴハン食べて無かったの?」
薫がおひつの蓋を取って、ご飯を覆う手拭を外す。
「オレじゃないよ。南部先生」
そのまま板の間に体育座りした。
「沖田さんにずっと付き添ってて、寝たのが明け方だったから。ついさっき目を覚ましたんだ」
「そっか・・」
薫が塩むすびを握り始める。
沖田の部屋に続く廊下はごく限られた人しか通れないので、奥の様子が分からない。
「シン」
環が急須にお茶の葉を入れる。
お盆の上に湯呑みとお箸をセッティングしながら訊いた。
「沖田さん・・大丈夫だよね」
一瞬、空気が止まる。
「死なないよね?」
環が見上げると、シンが平坦な口調で答えた。
「ああ」
環がホッと息をつく。
「はい」
薫がオムスビセットのお盆を差し出すと、シンが立ち上がって受け取った。
「サンキュ」
炊事場の薫と環に見送られ、廊下を進む。
(沖田総司は・・近藤勇が死んだってことを知らなかったってエピソードを聞いたことあるよな)
立ち止まって頭を振った。
シンは、沖田がいつ死ぬのかは知らない。
近藤が鳥羽伏見の戦いで捕らえられて処刑されることは知っているし、土方が函館戦争で戦死するのも知っている。
だが・・沖田に関しては曖昧な物語要素の強いエピソードだけが残っていて、ハッキリしたことは分からない。
(沖田総司は江戸で病死するって読んだ気がするけど)
重苦しい気持ちが込み上げる。
(その時が来たら・・どうすりゃいんだろう)
2
シンと入れ替わりで土方が炊事場に現れた。
「おい」
声をかけられ、驚いたように2人が振り返る。
(あ、ホラ吹きオッサン)
薫が口を引き結んだ。
「飯はまだ残ってるか?」
土方がおひつに目をやる。
薫は上目遣いで固まったままだ。
(沖田さん起きないよ、嘘つき・・沖田さん起きないよ、嘘つき・・沖田さん起きないよ、嘘つき)
オーラを飛ばしている薫の替わりに、環が慌てて答える。
「あ、ありますよ。まだ」
「そうか・・環、平助に朝メシ持ってけ」
薫のオーラを完全スルーの土方が不愛想に言いつけると、環が目を開いた。
「え・・?あ、わかりました」
実は・・薫と環が攫われてから、藤堂は食事に手をつけていなかった。
ハンストではない。
御陵衛士のしたことは自分も同罪だと、自責の念に駆られているのだ。
土方に言われ、環はオムスビセットと包帯持参で奥の蔵座敷に向かう。
閂を外して中に入ると・・
横向きに転がって、壁を睨んでいる藤堂が目に入った。
「藤堂さん」
環が声をかけると、ビクンとしてから起き上がる。
戸口で立っている環のことを眺めた。
薫と環が助け出されたことは源三郎から聞いて藤堂も知っていた。
「ゴハンもってきました」
環が歩を進めると、藤堂がゆっくり立ち上がる。
環の目の前で立ち止まってシゲシゲと見下ろすと、ふいに右手を伸ばした。
そのまま空を掴むように握り締め、手を下ろす。
「・・ケガは無かったか」
ポツリと訊いた。
「はい」
環がクスリと笑う。
「藤堂さんの方が大ケガしてるでしょ。包帯替えなきゃ」
「・・・」
下した手を握り締める。
なんとなくたまらない感情に襲われるが、環に触る資格は無いと思ってるので身動きしなかった。
すると・・
環が藤堂の横をすり抜けて、部屋の中央に腰を下ろす。
「はい、特製モーニングセット。・・あ~、もうランチの時間かなー」
藤堂が振り向いて首を傾げた。
「相変わらず・・オメェ、言ってること分かんねぇ」
3
「あの下っ端からは、もうなんも出て来ねぇなぁ」
土方が息をつく。
「はぁ」
山崎がチラリと見上げた。
奥座敷に土方と山崎が座っている。
環の強姦未遂犯は、屯所の北側の倉に入れられ土方からマンツーマンで拷問を受けていた。
ちなみに・・北の倉は、原田と永倉が「土方の趣味の部屋」とアダ名をつけている建物である。
木刀で痛めつける他、水責め、火責め、心理作戦と、なかなかのバリエーションだ。
(あの下っ端・・最初っから全部白状してたけどな)
山崎が畳に目を落とす。
1、男が陸援隊の隊士であること
2、指示しているのは土佐藩の谷干城であること
3、御陵衛士の残党が薩摩藩邸に匿われていること
4、娘たちを攫う計画に薩摩藩は直接関わってはないこと
そして・・陸援隊は、坂本龍馬殺害実行犯を新選組、黒幕を紀州藩と断定しており、谷干城を筆頭に土佐の勤王派が報復を目論んでいること。
ほんの少し痛めつけただけで、男はペラペラと知っていることを吐き出した。
それでも、土方の木刀を振るう手はいっこうに休まらず、男は血まみれで倉に転がされている。
そばで見ていた山崎が制止しなければ、そのまま殺してしまっていたかもしれなかった。
「いかがいたしますか」
山崎が低い声で尋ねると、土方が平坦な口調で答える。
「もう用はねぇ。捨ててこい」
「は」
山崎が頷いた。
この日の夜更け・・土佐藩邸近くの辻にみすぼらしい駕籠が止まった。
人足2人が駕籠から男を引きずり出す。
男の右腕はおかしな方向に向いて、着物の袖ごと背中で縛られていた。
顔は血まみれでほとんど判別がつかない。
死体ではないが、半殺しだった。
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「行方知れずの下っ端が戻ったぜよ」
曽和伝左衛門がいきなり障子を開け放った。
向かい合わせで座っていた谷干城と谷保馬が立ち上がる。
「まことがかえ」
干城が訊くと、曽和が首をすくめた。
「おう。そこの辻に捨てられちょったき。ぼこぼこの血まみれでのう」
干城が険しい顔つきで黙り込む。
「あ~あ・・月真院じゃ待ちぼうけ。人質取り返されたことも気づかんち。呆れたもんちや」
保馬が辛口コメントをつぶやくと、干城が怒りを滲ませた。
「黙らんか」
保馬がブスッと顔をしかめる。
月真院で新選組を待っていたのは御陵衛士だが、後方に陸援隊が助っ人で参加していた。
保馬と曽和は干城とともに土佐藩邸で待機である。
丑三つの鐘が鳴った後に、御陵衛士とケガ人を抱えた陸援隊がバツの悪い表情で戻ってきた時、保馬と曽和は冷めた眼差しで迎えに出た。
「頭を失った尻尾ぁ、行く先分かんくなるきに」
曽和が低い声でつぶやく。
「中岡さんを失くした陸援隊も、伊東を失くした御陵衛士も、もはや烏合の衆じゃきのう」
干城が睨んでいるのも気にも留めず曽和が続ける。
「あん男・・土方がいる限り、新選組にゃあ勝てんぜよ」