第二百八十三話 撤収
1
(なるほど・・ここなら近いし、いざとなれば人質を盾に取ることが出来るな)
立木の上に潜んでいた一二三が、太い枝の上にしゃがみ込んで頬杖をついた。
雲居寺は、月真院とは高台寺を挟んだ目と鼻の先にある。
御陵衛士と陸援隊の主力は月真院で新選組を待ち構えているが、戦いが不利になった時のために、人質を後方に待機させていた。
(ふーん、陸援隊の下っ端か)
立木から見下ろすと、参道の付近に数人の男が転がっている。
沖田達に倒された陸援隊の隊士だ。
(中岡が死んだら、陸援隊はどうしようもないな)
立ち上がって首を傾げる。
「にしても」
小声でつぶやいた。
「オニーチャン、大丈夫かなぁ」
沖田を背負った土方が山崎を従えて門をくぐるのを先ほど見送ったばかりだ。
すると・・本堂の方から声が聞こえる。
「とっととズラかるか」
「おう。連中に感づかれる前に退散だ」
本堂の方向から永倉と原田が歩いて来る。
永倉は米俵のように男を一人担いでいた。
「この人達はこのまま?」
原田の後ろを歩いている環が、転がっている男達を見ながら質問する。
「ああ、ほっとけ」
「情報源は1人だけでいいとさ」
永倉と原田が答えると、環の隣りを歩く薫が見上げた。
永倉が担いでいるのは、環を襲おうとした、あの中年男だ。
(絶対・・許せない)
黒い言葉がつい口をついて出そうになるのを危うく飲み込む。
沖田に咎められたせいだ。
「今、騒ぎを起こすのは避けたいところだからな」
斎藤が突如、低い声でつぶやいたので、薫が驚いた顔で振り返った。
「え?」
「伊東を粛清したことが思ったより朝廷を騒がせてる。会津候が間に立ってくれてるがな」
斎藤がボソボソと続ける。
「そうなんですか」
環が不安げな声を発した。
「こんな状態で火種が点いちゃシャレになんねぇ」
斎藤の迷惑気な口調に、薫と環はシュンとしてしまった。
(迷惑かけちゃったんだ。土方さんにも他のみんなにも。・・沖田さんにも)
薫の脳裏に、グッタリと土方の肩に頭を載せた沖田の姿が思い浮かぶ。
ゴォーン・・
原田を先頭にして、雲居寺の門を全員くぐり終わった時、ちょうど丑の刻を報せる鐘が鳴り始めた。
2
薫と環を救出して、御陵衛士と陸援隊に待ちぼうけを食わせる形で屯所に帰還した時には、すでに丑一刻を過ぎていた。
「環ちゃん、薫ちゃん、無事だっだが」
廊下の奥から走って来るのは、南部と源三郎だ。
「無事で戻って安心したよ・・本当に」
源三郎が目を細める。
このオジサン2人は、どちらも薫と環が攫われた責任を感じて、飲まず食わずで待機していた。
「すまねがっだ・・ほんとになぁ」
南部が深々と頭を下げるものだから、薫と環は仰天してしまった。
「や、やめてください。南部先生」
環が身体を屈めて頼むと、南部が少し頭を上げる。
「オレがうかうか薬屋さ行っだりしたせいで」
「いや・・ワシのせいだ。きちんと護衛もつけずに2人を外に出してしまった」
源三郎が顔を下げるので、薫が慌てて遮った。
「2人のせいじゃないですよ。不用心だったのはあたし達なんですから」
本心である。
「あの・・沖田さんは」
薫が訊くと、南部と源三郎が目を合わせた。
「奥の部屋に寝かせている」
源三郎が答えると、すぐに薫が踏み出す。
すると・・
「待ちなさい、薫ちゃん。総司はいま眠っている」
源三郎に引き止められた。
「トシと山崎がついてるから、今日はもう休みなさい」
「でも・・」
振り返った薫に、南部が声をかける。
「んだ。オレもついでっがら・・心配しねで休めばいい」
「うるさくしませんから、ちょっとだけ」
薫が言い募ると、南部が困ったように頭を掻いた。
「いや、土方さんがら誰も沖田くんの部屋さ入れるなってお達しでな」
「え?」
薫と環が目を開く。
「ワシらと南部先生以外は、誰も部屋に入れるなとトシが言ってる」
源三郎の言った"ワシら"に、薫と環は入ってないらしい。
少しの沈黙の後、環が口を開いた。
「沖田さん、ケガは無いんですか?」
「ああ。ワシの診たどご、どっごもケガはしてねな。かすり傷ひとつもめっからんがっだで」
南部が答えると、環が続ける。
「・・労咳の発作ですか?」
南部が黙り込んだ。
「ああ・・おそらくずっと我慢してたんだろう。昔っからとんでもねぇ見栄坊だからなぁ・・あいつぁ」
源三郎が腕を組むと、南部が息をつく。
「容態は良ぐねな・・」
薫は目の前が暗くなった気がした。
3
部屋に戻って床に就こうとしたが、目が冴えて眠れない。
横を見ると環は静かに目を瞑っているが、眠ってないことがすぐに分かる。
薫は環に背中を向けて目を瞑ったが、どうしても頭が冴えて起き出してしまった。
コッソリ部屋から抜け出すと、草履を履いて庭に降りる。
屯所の中は深夜を過ぎてもガヤガヤと人が動いている。
普段でも交替で見廻りがいるが、今日は特にザワついていた。
見上げると、雪は止んでいる。
白い息を吐きながら玄関の方に向かう。
特に目的があるわけではない。
沖田の容態が気になっているが、こんな夜中に部屋に行ったら、なんとなくストーカーっぽい。
『部屋には入るな』という言いつけを薫は仕方なく守っていた。
玄関に続く敷石を歩いていると・・向こうから人が歩いて来る。
灯篭の灯りに照らされた姿は・・土方だ。
薫が立ち止まって見ていると、気付いた土方が不愛想な顔つきで近付いて来る。
「なにやってる」
顔つきと同じ不愛想な口調で詰問してきた土方に、なんとなくバツが悪い表情で薫が答えた。
「散歩です」
「・・夜中に歩き回るのは散歩じゃねぇ、徘徊だ」
土方が決め付けると、薫が困って目を伏せる。
(徘徊って・・老人じゃないんですけど)
「ガキはションベンして、とっとと寝ろ」
土方が言い捨てると、薫が妙な顔をした。
(・・どっかで聞いたセリフ)
「なんだ?」
土方が横目で見ると、薫がつぶやく。
「土方さんって、沖田さんと似てますね」
「あん?あんなきかねぇガキと一緒にすんじゃねぇよ」
土方が心外な顔で否定した。
(そういえば・・)
唐突に思いつく。
(助けてもらったお礼、言ってなかったな)
「あの・・ありがとうございます」
薫が突然、頭を下げたので、土方が面喰った顔をした。
「あん?」
「助けてくれたのに・・"ほっといて"とか言っちゃって」
薫の言葉を聞いて、土方が眉をひそめる。
「おめぇを助けたのは総司と斎藤と山崎だ。オレじゃねぇ」
「でも・・」
薫が頭を上げると、土方が言った。
「礼ならアイツらに言え」
(なんか・・お礼の言葉を受ける気持ちぜんぜん無いみたいだな)
薫は諦めた。
「沖田さんは・・眠ってるんですか」
薫のさりげない質問に、土方が答える。
「夜中は寝てんのが当たり前だろ。朝んなりゃ起きてくる」
(・・すごいポジティヴ)
なんとなく、さっきまでの重苦しい気持ちが薄れていく。
(なんか・・土方さんと話してると楽)
薫は土方を眺めた。
「なんだ?なに見てんだ、気色悪ぃ」
土方が怪訝な表情をすると、薫が慌てた顔で答える。
「すみません。あの、なんか・・良かったかも。土方さんと話して」
「はぁ?」
「ありがとうございます」
変なものを見るような顔つきの土方に、一方的にお礼の言葉をぶつけると、薫は部屋に戻って行った。