第二百八十二話 雪
1
(どうしたんだ?)
一二三が屋根の上で足を止める。
屯所を出発した土方の後をつけていたのだが、河原町通りで黒い集団が止まった。
視線を飛ばすと、暗闇を走って来る姿が見える。
(あれは・・山崎?)
合流すると、黒い集団のほとんどが、今来た道を引き返し始めた。
(・・助け出されたか)
息をつく。
土方と永倉と原田は、山崎と一緒にそのまま進行方向に歩き始めた。
(月真院に行くのか?・・なんで)
一二三が首を傾げる。
雲居寺は月真院の目と鼻の先にあるので、方向が一緒なだけなのだが、一二三は薫と環が雲居寺にいることを知らない。
(どうするんだ?)
取りあえず、後をつけてみることにした。
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風に雪が混ざってきたので、薫と斎藤は本堂に入ることにした。
階段を上って本堂の扉を開けると・・環とシンが並んで寝転がっていた。
「眠ってんじゃねーかよ」
斎藤がやや呆れた声を出す。
後ろから薫がヒョイと顔を出した。
「ほんとだ」
斎藤の横をすり抜けて、環の側に膝をつく。
「なんだろ・・なんか良い香り」
環とシンは並んでスースーと寝息を立てている。
「環。環、起きてよ」
薫が耳元で声をかけると、頭が動いて環が薄目を開けた。
「・・うん?」
「良かった。大丈夫?」
薫に訊くと、環がキョトンとした顔で身体を起こす。
「おい、起きろよ」
斎藤がしゃがみ込んで、シンの耳を掴む。
「いてっ」
シンが眉をしかめて、目を開けた。
「任務の最中に寝てんじゃねぇ」
斎藤の怒りを含んだ声で、シンが慌てて起き上がる。
「えっ?」
横でボーッとしている環に目をやった。
「・・大丈夫か?」
コクンと頷いて、環が首を傾げる。
「あれ・・?・・えーと」
頭の中が混濁していた。
中年男に襲われかけたところまでは覚えているが、そこから先は靄に包まれたように記憶が曖昧になっている。
まるで・・遠い昔に起きた出来事が記憶の隅に追いやられて、なかなか呼び戻せくなってしまったような感覚に近い。
頭に手を当てて、何が起きたかを思い出そうとするが、上手く引き出すことが出来なかった。
(・・"おやすみ"って、誰かに言われたような・・)
「環?」
薫が心配気に覗き込むと、環がつぶやく。
「なんか不思議・・気持ち悪いの消えちゃったみたい」
2
月真院の前を通らないように、迂回した土方達が雲居寺に着いた時は、雪が本降りに変わっていた。
「さっびぃなー」
永倉が背中を丸める。
「身体動かしてりゃ、あったまるけどな。ちっと肩すかしだったよな」
原田が答えた。
吐く息が白い。
「こっちです」
山崎が誘導して参道に出た時、倒れている人影が見えた。
「殺してねぇだろうな」
土方の問いに、隣りの山崎が答える。
「致命傷は負わせてません」
倒れている人影に目線を落とした土方の顔色が変わった。
「総司!」
「え?」
山崎と永倉と原田が声を出す。
白い雪が黒い着物に薄く降り積もっていた。
うつ伏せた横顔は・・沖田だ。
「総司!」
声をかけるが返事は無い。
月灯りで仄暗く照らされた横顔は、口元が赤く染まっている。
手の平にも赤い血が着いていた。
「斬られたんじゃねぇな・・」
「ああ・・どうやら」
永倉と原田がしゃがみ込む。
「おい、総司、総司!」
永倉が耳元で叫ぶと、瞼がピクリと動いた。
「総司、返事しろ!」
原田が肩をゆすると、薄く目が開く。
だが・・すぐに目は閉じられる。
土方が片膝をついて、沖田の腕を自分の肩に回して背中を支えた。
「掴まれ、総司」
「土方さん。オレが担いでくよ」
永倉の言葉を、土方が即座に流す。
「いや、オレがおぶっていく。このバカを背中にのせてくれ」
永倉と原田が沖田の身体を持ち上げて、土方の背中にのせた。
「よっしゃ」
掛け声をかけて立ち上がった土方に、ぐったり力の抜けた沖田が背負われている。
「いくぞ、総司」
歩き出した土方の後ろに、永倉と原田が続いた。
3
斎藤が振り返った。
「足音だ・・誰か来る」
すぐに扉の横に背中をつけて耳をそばだてる。
砂利を踏みしめる足音が、階段を上る足音に変わった。
「オレだ」
山崎の声だ。
斎藤が息をつくと、扉がギギィと開いた。
月灯りを背に山崎が立っている。
「土方副長が着いた。永倉さんと原田さんも一緒だ。・・それと、沖田くんが倒れた」
「え?」
薫が立ち上がる。
「沖田さんが?」
山崎に駆け寄って訊いた。
「門の近くで倒れてたんだが・・おそらく、斬られたのじゃないだろう」
山崎が言い切る前に、薫が走り出した。
環も立ち上がる。
「薫ちゃん、環ちゃん」
山崎が声をかけるが、2人は止まるそぶりもなく、階段を降りて参道を走り始めた。
(斬られたんじゃないってことは・・)
薫の頭に、いやな考えが浮かぶ。
参道を進んだ2人の目に入ったのは、人を背負った土方と、後ろに並んでいる永倉と原田の姿だった。
「土方さん!」
薫が声を上げて駆け寄る。
土方の肩に載せられた頭は・・沖田だ。
「沖田さん・・」
薫が手を伸ばすと・・
「触るな」
土方に制止された。
薫が延ばした手をビクンと止める。
「ケガじゃないんですね」
環の問いかけに、土方が答えた。
「・・おめぇらは自分の心配してろ」
言葉が出なくなった2人を土方が眺める。
「どうやら間一髪だったみてぇだな」
環を見て言った。
環が怪訝な顔をする。
危険な目に逢った実感が消え失せていたからだ。
土方が薫に視線を移した。
「おめぇは剥かれなくて済んだみてぇだな」
茶化すような口調に、薫がカッとする。
「ほ、ほっといてください!」
「ああ、分かったよ」
土方がアッサリ踵を返した。
「新八、左之。後ぁ頼むぜ」
「ああ」
永倉と原田が手を振りながら本堂の方に歩き出す。
本降りに変わった雪の中に・・薫と環が残された。