第二百五十二話 念願叶って
1
「よし・・と」
シンは腰に手をあてて息をついた。
洗濯物を全部干し終わったのだ。
気持ちの良い風が吹いている。
(あー・・このまま伊東さん、京に戻ってこなけりゃいいのに)
シンはボンヤリ考え込んだ。
これは、伊東がいない方がいい、とゆう意味ではない。
伊東が京から離れている限り、油小路の変は起きないからだ。
伊東が油小路で惨殺されるのは歴史的事実だが、それがいつ起きるのかシンには分からない。
だが、当の伊東が京にいなければ、起こりようがない。
御陵衛士の隊士たちも無事でいられる。
(斎藤さんはどうすんだ・・)
斎藤とシンは新選組の間諜として御陵衛士に潜入している。
だったら、斎藤は油小路の変が起きる前に抜け出すのだろうか、と考える。
(藤堂さんはどうなるんだ・・)
「わっかんねー・・」
首を振った。
だが・・新選組の情報に乏しいことは、シンにとって喜ぶべきことかもしれない。
山南敬助が切腹したあの日・・シンは八木邸の奥の庭で吐いていた。
山南が脱走して切腹することを知っていて、そのことを誰にも言わなかった自分に反吐が出る思いがして、胸の奥から黒いものが込み上げた。
自己嫌悪という感情である。
また同じ思いをすることになると思うと、足元が冷えてくるような錯覚に襲われる。
すると・・
「やきいもぉ~・・やきいもぉ~・・栗よりうまい十三里~」
通りから焼き芋売りの声が聞こえる。
シンは門から出ると、通りをゆっくり歩く焼き芋売りに声をかけた。
「朝に雷が光った」
焼き芋売りが立ち止まる。
「夜に雷が落ちる」
合言葉を確認すると、シンは袖から一文銭を数枚取り出す。
穴銭には全て細くこよった結び文がついていた。
文には、御陵衛士の隊士のスケジュールや屯所の中の配置、隊士の行きつけの店や屯所に出入りする客の名前など・・細かな情報が記されている。
焼き芋売りに扮した男の名前は市村辰之助。
鉄之助の8つ上の兄である。
御陵衛士が分派してから新選組に加入したので、シンは顔を知らなかった。
辰之助の方も詳しいことを知らされず、ただ物売りの姿(なり)をして指令文を渡すように命じられているだけだ。
「これで買えるだけのイモぜんぶ」
シンが結び文のついた穴銭を辰之助に手渡すと、辰之助が素早く袖に入れた。
「まいどあり」
肩にかついだ桶を地面に置くと、襟の合わせ目から抜いた紙で焼き芋を包む。
「早めに食っとくれやす」
芋を受け取ると、包み紙の内側に文字が見えた。
5日後にまた焼き芋売りが来るまで調べておく指令である。
(オレ・・なにやってんだろ)
芋売りの後ろ姿を見送りがら、心の中でつぶやいた。
2
薫は薄切りにして干したウコンを薬研(やげん)で粉砕していた。
石製の薬研車の握り手に上半身の体重をかけてゴリゴリと擦る。
「よっしゃ」
フィーッと息をついた。
薬研車は重いので、大量に作ろうと思うとそれなりの労働である。
おかげで目の前には、ウコン、唐辛子、生姜、胡椒、陳皮、月桂が、粗いパウダー状になって皿に盛られていた。
カレー粉のメインはターメリック(秋ウコン)である。
こんもりと盛られた黄土色のウコンからは、大人と子どもの心を鷲掴みにするカレーの香りがしている。
「う~ん」
薫は目をつむって息を吸い込んだ。
「ふっ、ふっ、ふっ」
してやったりの笑いを浮かべて、各香辛料を少しずつ混ぜ合わせる。
途中、少しずつ味見をしながら合わせる量を調節した。
「うん、これこれ」
カレーに近い風味になると、薫はいったん手を止めた。
「さぁて・・」
(ジャガイモが無いのがイマイチだけど、あるものでカレー作ってみようかなー)
「小麦粉を入れて、蘇を入れて、牛乳入れて・・」
ブツブツつぶやきながらレシピの構想を練っていると、後ろから声をかけられた。
「それは何だ」
振り向くと土方が立っている。
板の間から炊事場の土間に降りて来た。
「何作ってるんだ」
土方が薫の手元を覗き込む。
「えーと・・カレーです」
「かれぇ・・?」
土方が首を傾げた。
興味深そうに混ぜ合わせた香辛料を眺めている。
土方は薫が作る料理に興味津々なのだ。
「聞いたことねぇな」
土方が真剣そのものの顔つきをした。
「うまいのか?」
「美味しいと思いますけど・・辛いんです」
「辛い?」
土方が顔をしかめる。
近藤、土方、沖田の3人は、口がコドモだ。
甘いものを好み、苦いものや辛いものは食べたがらない。
「だからカレーっていうのかなぁ・・?」
薫が適当な事を言う。
(ぜんぜん違うけどね)
「辛ぇ、か。名前からして喧嘩売ってんな」
土方の言葉を、薫が全否定する。
「食べ物ですから喧嘩は売りません」
薫の言葉が聞こえてないかのように、土方は黄土色の香辛料をガン見している。
「ふーん・・」
「辛いけど美味しいんです。子どもも好きな味だけどな」
薫がつぶやくと、土方が振り向いた。
「ふん・・なら、まぁ、味見くらいしてやってもいいか」
「別に無理に食べなくていいです。どうせ沢山は作れないし。具をいっぱい入れてたって、せいぜい5~6人前位だから」
薫が淡々と答えると、土方が腕を組む。
「まぁ・・売られた喧嘩は買わなきゃなんねぇだろ」
「さっきから、なに言ってるんですか?」
薫が眉をひそめるが、土方は答えず踵を返した。
そのまま板の間に上がると、顔だけ振り返る。
「受けて立つぜ、この勝負」
薫はポカンとしたままつぶやいた。
「はぁ?」
3
「なんか・・これ」
永倉がつぶやく。
「アレに似てねぇか?」
「アレって・・」
原田が訊くと、永倉が繰り返した。
「アレだよ、アレ」
「クソか」
原田が答えると、永倉が続ける。
「そうそう、しかも下・・」
「止めてください!」
環が絶叫した。
部屋には、土方、永倉、原田、沖田、それに薫と環の計6人。
前には、お皿に盛られたカレーライスが並んでいる。
江戸時代に落ちて、初のカレー曜日だ。
具は、ニンジン、ナス、トウモロコシ、豚肉である。
「でも・・うれし~っ!」
環が嬉しそうな声を上げる。
「環が感動するってなぁ・・」
原田がやや驚いた声でつぶやいた。
「ってゆーか・・」
沖田があぐらに頬杖をついて、皿を眺める。
「これ・・なに?」
「カレ」
「辛ぇだ」
薫の言葉に、土方がカブせた。
「辛ぇ?」
原田が訊き返すと、土方が頷く。
「ああ」
「どう見てもアレにしか見えねぇな」
永倉が言うと、環が声を上げた。
「だから、止めてくださいってば!」
「匂いは全然違うけど見た目ソックリじゃん、アレに」
沖田が皿に顔を近づける。
「しつこいです!」
環も声を上げた。
「これ食えるのか?」
永倉の言葉で、場が静まり返る。
「別に無理しなくていいですけど・・」
薫が言いかけると、土方が皿を持ち上げてカレーにシャモジを差し込んだ。
カレーをすくって口に運ぶと、手が止まる。
部屋の全員が土方を見た。
「うめぇ・・」
「え?」
土方は無言で、カレーをかっこみ始めた。
それを見て原田も食べ始める。
「ん?ちょい辛・・けど、うめぇや」
「お、左之。イケるのか」
言いながら、永倉も食べ始めた。
続いて沖田も。
「辛・・けど、ふーん・・食えるじゃん」
薫と環は顔を見合わせて笑った。
「私たちも」
手を合わせる。
「いただきます」
薫は念願のカレーにやっとありついた。
(でもやっぱり・・バーモントカレーが恋しいなぁ)
心の中でつぶやく。