第二百七十七話 雲居の雁
1
三浦休太郎(紀州藩・公用方)の身辺警護に付いていた斎藤が屯所に呼び戻された。
「薫と環が・・」
斎藤が険しい表情を見せる。
「ああ・・今、シラミ潰しに当たってるところだがな。おめぇ・・連中の居所に心当たりはねぇか?」
部屋には土方と斎藤の2人だけだ。
「そりゃ、匿ってるとしたら・・薩摩の中村辺りじゃねぇですか」
斎藤が淡々と答える。
「平助も同じことを言ってたが・・どうも」
土方が眉を寄せた。
「・・中村って男の風聞を聞く限り、女子供を攫ったりするたぁ思えねぇ」
斎藤が頭をやや傾げる。
「篠原達が単独で動いてるってことですか?」
「それもねぇな」
土方がハッキリ言った。
「大和屋に入り込んだ内通者といい、屯所に入り込んだ偽者といい・・どう考えても、そこらの浪士崩れに出来る芸当じゃねぇ。どこか組織の力が働いてる」
「へぇ・・」
斎藤が眉を寄せる。
薩摩の中村以外に篠原達に力を貸すとしたら・・戒光寺の堪然くらいしか思いつかないが・・。
高僧が婦女誘拐に手を貸すとは、さすがに思えない。
「三浦さんの身辺警護はどうだ?」
突如、土方が話題を変えた。
「今のところは、特に何も・・」
斎藤は言葉少なに答える。
「そうか」
土方が息をつく。
「だが・・土佐藩が、坂本暗殺の黒幕は紀州藩だと決めつけてるから、油断は出来ねぇぞ」
「はい」
斎藤が頷くと、廊下から声がかかる。
「お話し中にすみません。急ぎ申し上げたいことが」
山崎の声だ。
「入れ」
土方が答えると、障子がスラリと開く。
膝をついた山崎がスルリと入って来る。
斎藤の隣りに座ると顔を上げた。
「雲居の雁が判明しました」
(雲居の雁?)
斎藤は、イミが分からず眉を寄せる。
「どこだ?」
土方が低い声で訊いた。
「おそらく・・高台寺近くの、通称・雲居寺(くもいでら)のことかと」
2
「ウンコジ?」
永倉がつっこんだ。
「雲居寺(うんこじ)。通称・雲居寺(くもいでら)と呼ばれてますが」
山崎が受け流す。
「通称かぁ。まー、そんな名前じゃ、誰もマトモにゃ呼べねぇもんなー」
原田がつぶやいた。
「天台宗の寺院ですが、いまは廃寺です」
山崎が受け流す。
「雲居(くもい)は分かったが、雁はなんだったんだ?」
土方が訊くと、山崎が首を傾げた。
「おそらく・・"雁"と"狩り"を引っ掛けただけかと」
「ほう・・"雲居の狩り"か」
土方の声に薄く怒りが滲む。
部屋には、土方、山崎、斎藤、永倉、原田、沖田が座を囲んでいる。
「さて・・どうするか」
土方が首を傾げると、沖田がすぐ言った。
「どーするも、こーするも。さっさと、そのウンコジ行って見張り倒して助けるしかねぇでしょ」
「向こうの戦力が読めねぇからな」
土方が息をつく。
「後ろで糸を引いてるヤツがいるはずです」
山崎が続けた。
「まぁなー。仏さんと交換とか書いてたけど。丑の刻に行きゃ、どうせ、飛んで火にいる夏の虫だろうなー」
永倉が大きく身体を伸ばす。
伊東たちの亡骸を月真院に運んでいけば、待ち構える伏兵が襲い掛かって新選組を一網打尽にしようとするはずだ。
当然といえば当然である。
伊東の亡骸を引き取りに来た御陵衛士を、潜んでいた新選組が襲ったのと同じことだ。
期限の刻が来る前に、薫と環を助け出すのがベストなのだが・・如何せん情報が少な過ぎる。
「山崎。そのウンコジの様子はどうだ?」
土方が顔を向けると、山崎が声を低くした。
「寺の中はわかりませんが・・出入り口付近には見張りが交代で付いているようです。周囲の住人の話だと、昨日辺りからとつぜん人の出入りが多くなったと聞いてます」
「なるほどな。どうやら本命で間違いねぇようだな」
土方が頷いた。
「んで・・どうすんだよ」
斎藤がつぶやくと、永倉が腕を組む。
「よっしゃ。オレがウンコジに突撃かけるか」
すると・・
「いや」
土方が制止した。
「新八と左之は、オレと一緒に月真院に行ってもらう」
永倉と原田が顔を上げる。
「隊は二手に分ける。ウンコジには斎藤と・・」
土方が沖田の方を見た。
「総司。おめぇが行け」
"どうせ止めてもムダだし"という表情だ。
「山崎は両隊の連絡役だ」
「は」
山崎が頭を下げる。
「丑の刻までに2人を助け出せなかったら・・そんときゃ、何が何でも連中全員殺すしかねぇな」
土方の台詞を聞いて、原田がトボけた声を出した。
「こっちがやられる可能性も大アリだけどなー」
「ウンコジかぁ・・匂うぜ」
斎藤がつぶやく。
山崎は思った。
(すっかりウンコジだ。どうして誰もクモイデラって呼ばないんだ)
3
仮眠を取って戻ってきた一二三が、屯所の塀に跳び上がった。
足を蹴って屋根に跳ぶ。
音はしない。
屋根の中央で拾門(ひろと)が寝そべっていた。
さっきまで陰っていた月灯りが雲間から零れ、屋根が照らされている。
拾門がムクリと起きた。
「寝たかよ」
「まぁまぁ」
一二三が答えると、拾門が首をコキコキ鳴らす。
「んじゃ、次はオレの番だな」
「変わったことは?」
一二三の問いに、拾門がアクビ混じりに答えた。
「ん~・・別に」
「なんか変な雰囲気だけど・・建物が殺気立ってる」
一二三の言葉を、拾門がトボけた口調で流す。
「新選組は年がら年中、殺気立ってるぜ」
ダルそうに立ち上がった拾門が、思い出したように言った。
「ああ、そーいえば・・娘が攫われたなー」
一二三が一瞬、真顔になった。
「・・娘?」
「薫と環の2人」
拾門は世間話の口調で続ける。
「薬屋に化けた連中に連れてかれた」
「・・っ」
一二三の顔が険しくなった。
「誰が・・」
「御陵衛士だよ。手を貸してるのは土佐藩だ。谷さんの甥っ子の保馬と陸援隊の曽和が連れ去った」
拾門は他人事の口調だ。
「どこに・・」
一二三の問いに、拾門は肩をすくめた。
「さぁ、知らねーな。オレはこっから離れてねーし」
一二三が無言のまま、暗闇で拾門を睨む。
「お前・・なんで、あの娘のこと気にかけてんだ。まさか、惚れてるわけじゃねぇだろ」
拾門が言い捨てた。
一二三が黙って横を向く。
ポツリとつぶやいた。
「ゴン太に似てるから」
「は?」
「谷さんのとこ行って来る」
一二三が踵を返して、ヒラリと屋根から跳び降りた。
「ゴン太?」
屋根に残った拾門がつぶやく。
「ゴン太って・・あの、野良犬のゴン太?」
首を傾げた。