第二百七十四話 大和屋
1
屯所に戻った薫は、少し早めに夕餉の準備にかかった。
ケガ人には片手で食せるオニギリ、病人にはお粥である。
まともに食事を摂っていない藤堂に、最初に持って行くことにした。
閂を外して蔵に入ると、うつ伏せた藤堂が静かな寝息を立ている。
息苦しい様子は見られないので、薫はホッと息をついた。
「どうしようかな・・」
思わずもらすと、藤堂がピクリと動く。
「・・ん?」
目を覚ました藤堂が顔を上げた。
「あ・・ご、ごめんなさい。起こしちゃって」
薫が板の間に出来るだけ静かに上がると、藤堂が布団から起き上がる。
「いいから、寝ててください」
薫が慌てて制止するが、藤堂はまるで平気な顔であぐらをかいた。
(メチャクチャ痛いくせに・・すっごい見栄坊だなぁ)
藤堂のカッコつけにつくづく感心する。
「お食事持ってきました」
薫がお盆を引き寄せると、藤堂が小さく頷いたように見えた。
(え?・・なに、この素直さ)
薫は訝しい気持ちを顔に出さないように茶碗にお粥をよそう。
「はい、頑張って食べてください」
茶碗を差し出す。
素直に受け取った。
両手は自由に動くらしい。
サラサラと上手にお粥を流し込んでいる。
「・・お茶」
藤堂に言われて、薫が慌てて急須からお茶を注ぐ。
「は、はい」
ゴクゴクとお茶を一気飲みすると、藤堂がフーッと息をついた。
「ごっつぉーさん」
見ると・・梅干し入りのお粥はキレイに完食されていた。
「おそまつさまです」
薫が小さく頭を下げる。
顔を上げると、藤堂の顔をマジマジと眺めた。
「なんだよ・・」
藤堂が不機嫌な声を出すと、薫が小さく笑う。
「いや、なんか・・久しぶりだなーって思って」
藤堂が息をついた。
「ふん」
「そういえば・・」
薫がふと思い出したようにつぶやく。
「さっき、北側の通りに女の子が来てて・・藤堂さんのこと探してましたよ」
「あ?」
「鈴ちゃんっていう女の子」
「・・鈴?」
藤堂が眉をひそめる。
「『小川』の鈴かな」
「料理屋の女中さんだって言ってました」
薫の頷くと、藤堂が頭を振った。
「やっぱり・・なんだって、わざわざ」
(それは・・藤堂さんのことを心配して)
薫は心の中で答えた。
「ふーん・・」
藤堂は気の無い表情で、ボリボリ頭を掻いている。
「なんか用でもあんのかな?」
本気で首を傾げる藤堂を見て、薫はガックリした。
(こんな人好きになっても実りが無いよ、鈴ちゃん)
女遊びしまくってるくせに、女の子からの好意には見事なまでに鈍感になれるという、都合の良すぎる体質の男を前にして、妙に悟った気分になってしまう。
「あーもう・・お皿片さなくっちゃ」
小さくゴチりながら茶碗と箸を盆に載せて立ち上がると、冷めた声で藤堂に言った。
「大人しく寝ててくださいね。あんまり環のこと困らせないで」
藤堂はダラけた姿勢のままでチラリと見上げる。
「薫・・おめぇ」
「なんですか?」
「しばらく会わない間に・・なんかババむさくなったな」
藤堂のしみじみとした口調に、薫が思わず眉を吊り上げる。
「はぁぁっ?」
2
薫が病室に戻ると、環と南部が漢方薬の調合をしていた。
薬研(やげん)を使って、ゴリゴリと生薬を擦っている。
「手伝うよ」
戸を開けてすぐ、薫が声をかける。
「薫」
振り向いた環の頬が赤い。
くすりおろしは結構な重労働なのだ。
「ちょんどえがった。2人だば手ぇ足りねぐて」
南部がニッコリ笑う。
ケガ人が大勢いるため、化膿止めや痛み止めの内服薬(桔梗・芍薬・大棗・甘草・等)と、外傷に効く外用薬(紫根・ウコン・雪割草・等)が大量に必要だ。
「よっしゃ」
薫は腕まくりすると、環に替わってゴリゴリと薬草をおろし出す。
擦りあがった生薬を南部が調合し、環が一包ずつ包むという流れ作業になった。
「いま、薬種問屋呼びに行がせでっがら」
南部がつぶやくと、薫がため息をついた。
「あ~・・じゃあ、まだまだこの作業続くんですね~」
すると・・
廊下から声がかかる。
「入るよ」
スラリと障子を開けたのは井上源三郎だった。
「表に薬屋が来てるが」
「お、そうが。待っでらっだ」
南部が立ち上がると薫と環も続いた。
玄関近くの客間の廊下に、浪人風の男が立っている。
客間に入ると町人姿の若い男が下座に頭を下げて畏まっていた。
脇に置いている駕籠の中に漢方薬が入ってるのだろう。
「あれ?」
南部が首を傾げた。
「見ねぇ顔だなや」
町人姿の男が顔を上げた。
「すんまへん。番頭はん方はみなお留守で、わてが遣いで参りましてん。大和屋の見習いでごぜぇやす」
「んだが。そりゃ、ごぐろうさん」
南部がにこやかに応える。
膝を進めた南部が低い声を出した。
「廊下さ立ってんのぁ用心棒がねぇ?」
「へぇ・・なんせ高ぇ薬ばかりで。なんぞあったら大変ですさかい」
見習いも低い声で答える。
漢方薬は高価な商品であり、大量に運ぶ時には腕に覚えのある護衛がつくことがあった。
「さっそぐだけんじょ、見せでけろ」
南部が催促すると、見習いが駕籠を引き寄せ、覆っていた布を取り払った。
駕籠の中にこんもりと薬草が詰まっている。
「これだけあれば・・」
環が息をつく。
(薬屋さんか・・)
薫はふと思いついた。
「あの・・労咳に効く滋養強壮の秘薬とか無いですか」
見習いがやや目を開いた。
「滋養強壮でっか・・?本日は切り傷に効く薬を所望と伺っとりましたんで、生憎」
「薫」
環にたしなめられて、薫が慌てて手を振る。
「あ、ご、ごめんなさい。もしかして高麗人参とかだとスッゴイ効くのかなーって思って」
「高麗人参」
南部が呆れた声を出す。
「高麗人参でっか・・そらぁ難しいでんなぁ」
見習いが困った顔をした。
「なんせ桁違いに高級で・・値段聞いたら目ん玉飛び出るくらいでっせ」
(そ、そっか・・そんなに)
薫はすぐに諦めた。
南部が笑って言った。
「"人蔘飲んで首括る"ってな。薬は高げばいってもんでね。あれぁ、熱上がってがら飲めば、もっとひでぐなるんだど。もどがら身体の弱え人が続けで飲めばいんだべどもなぁ」
つまり、発熱時などには逆に服用は避けた方が良いということである。
「南部先生、高麗人参使ったことあるんですか?」
環が訊くと、南部が頷いた。
「ん?あるで。会津で高麗人参作ってっがら」
「え、会津で?」
薫と環が目を丸くする。
(そうなんだ、へぇ~)
感心したように南部を見る2人に、見習いが声をかけてきた。
「良ろしかったら・・お店までご足労願えれば、ええ薬が見つかるかもしれまへんで」
「え?」
薫と環が反応する。
「近頃、長崎から南蛮渡来の蘭方薬を仕入れとりますんで」
見習いの言葉に、今度は南部が反応した。
「ほぉ・・長崎がら」
「効能がハッキリせん薬もあって・・あんまり外には出しとらんようですけんど。蘭方医の南部先生がいらっしゃるんやったら間違いおまへん」
見習いの申し出に、2人が南部の方を見た。
「うーん・・」
南部が難しい声を出す。
「ワシはいいども、2人を外に出すのは・・どうもなぁ」
「大丈夫です」
2人同時に答えた。
「用心棒さんもいることだし」
薫の言葉に、南部が息をつく。
「そっが・・わがっだ。んだば、一緒に行ぐべ」
ノッソリと立ち上がった。
「まぁ・・蘭方の薬さなば、興味あるがらなぁ」
3
見習いを先頭に、南部、環、薫、用心棒という順番で屯所の門をくぐった。
まだ未の刻だが、この時期は日が落ちるのが早いので早足で進む。
「さびぃな~」
南部がブルルと首を震わす。
町に近付くと、先頭の見習いがクルリと振り向いた。
「すんまへん、ちょっと」
視線の先に小さな鳥居がある。
神社を素通りはできないのだろう。
見習いに続いて鳥居をくぐると、狭い参道の先にこじんまりとした神社があった。
お賽銭を上げて柏手を打つ見習いの後ろで、薫と環も手を合わせる。
「ほれ、もう行ぐべ」
先を急ぎたい南部が声をかけるが、見習いは振り向かない。
すると・・
「ぐっ」
うめき声とともにドサリと崩れる音がした。
驚いた薫と環が振り向くと、後ろにいた用心棒の足元に南部が倒れている。
「南部先生!」
駆け寄ろうとした環の腕が掴まれた。
ギリギリと捩じられる。
「うっ・・」
環が見ると、見習いの男が両手首を掴んでいた。
「環!」
声を上げた薫も背後から用心棒に押さえ込まれている。
太い二の腕が、薫の顎の下から締め上げるように羽交い絞めにしていた。
「うっ」
「ぐっ」
みぞおちに拳を入れられた環が、腹を押さえて膝をつく。
首に手刀を入れられた薫が、ユラリと崩れるように倒れた。
「案外と簡単じゃったのう」
用心棒がつぶやく。
「そやにゃぁ」
見習いが冷めた顔つきで答えた。
イントネーションが変わっている。
気絶した2人を担ぎあげると神社の奥の林にズンズン入って行く。
参道には・・南部1人が残された。
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その頃、屯所に訪問者があった。
「薬屋?」
源三郎が頓狂な声を上げている。
「はい。大和屋の番頭が頼まれた品を持ってきたと」
門番の隊士が伝える言葉に、源三郎の形相が変わる。
急いで門に出ると、いつも来ている番頭が立っていた。
「あ、井上さま。えらい遅うなって申しわけありまへん。用意していた薬が出がけに無くなる騒ぎが起きて・・慌ててかき集めてきましたわ」
番頭がペコペコと頭を下げる。
「さっき来たのは・・誰だ?」
源三郎が険しい表情で訊いた。
「は?」
番頭はポカンとしている。
「さっきの男たちは一体誰なんだ!?」
源三郎が凄まじい形相で番頭の胸倉を掴む。
「い、井上さま。ど、どないしたんでっか。わ、わてには何のこっちゃ、分かりまへんがな」
番頭が半泣きで抗議すると、源三郎が手を緩めた。
「環ちゃん、薫ちゃん・・南部先生」
低い声でつぶやく。
外はすでに日が暮れていた。