第二百七十三話 鈴
1
しゃがみこんで嗚咽する少女の向かいに、薫もしゃがんだ。
ヒック、ヒック、としゃくり上げる声が少しずつ小さくなっていく。
「あのぅ~・・まさか藤堂さんに口説かれちゃったとか?」
薫のデリカシーの無い質問に、少女が驚いたように顔を上げる。
「まさか・・っ。け、けったいなこと、ゆわんとてください」
ビックリしたせいで涙が止まったようだ。
「ご、ごめん」
薫が慌てて謝る。
「藤堂はん・・いっつも焼芋買うてくれて・・」
鼻を啜りながら、少女が語り出す。
「お店の料理もウマイウマイゆうてくれて・・」
薫はため息をついた。
(・・シロだな)
まるで容疑者扱いである。
「藤堂はん・・死んでしもたん?・・どこにいるん・・?」
膝に顔を埋めて、少女が小さな声でつぶやく。
薫は手を握りしめた。
藤堂が新選組の屯所で手当を受けていることは「外部に絶対に漏らすな」と、土方からキツイ緘口令がしかれている。
(ごめん・・言えないんだ)
零れそうになる言葉を、あやうく飲み込んだ。
「あの・・名前、訊いてもいいかな?」
薫が覗き込むと、少女がノロノロと顔を上げる。
「うち・・鈴、言います」
懐かしい呼び名を耳にした。
(鈴・・)
どうにも親近感が込み上げる。
「許せへん・・ウチ新選組、絶対に許せへん」
少女が憎しみに籠った声を出した。
「でも・・藤堂さんは、もともと新選組の人だよ?」
薫が取り成そうとすると、少女がキッと顔を上げる。
「せやったら・・なんでこないなヒドイことでけるん?・・おやしいやろ?」
薫は黙り込んでしまった。
自分もそう思ってるからだ。
それに・・
薫には分かった。
少女の瞳に宿る光は・・
(このコ・・藤堂さんのこと好きなんだ)
自分より5つ6つほども年下に見える少女が、小さな身体に恋心を滲ませている。
薫は不思議なモノを見る思いでいた。
(おミツさんと同じだな・・)
だが・・沖田にしろ藤堂にしろ、好きになったところで成就出来る相手ではない。
それでも・・
(好きになっちゃうものなのかな?)
薫には分からない。
「あのね・・」
そっと鈴の耳元に口を寄せた。
薫が囁いた言葉を聞いて、鈴が目を開く。
「ほんま・・?」
「うん。でも・・誰にも言っちゃダメだよ。・・一生」
薫は人差し指を唇にあてて、シーッとした。
鈴がコクリと頷く。
「じゃあね」
薫が立ち上がると、鈴も慌てて立ち上がった。
戻りかけた薫の背中に声がかかる。
「あ、あの・・あんさん、誰やのん?」
「あたし?・・あたしは」
振り返った薫が笑った。
「薫だよ」
「・・カオルはん?・・藤堂はんが話してはった」
鈴が簪を握り締める。
「じゃあねー」
大きく手を振って、薫は踵を返した。
2
環が新しいサラシを持って戻ると、藤堂が壁際に寄りかかって身体を起こそうとしていた。
「藤堂さん、ダメです!」
環が驚いて板の間に上がる。
「傷口が開いちゃう」
サラシを脇に置いて、藤堂の肩に手をかける。
「・・さわんなっ」
払い除けられた。
「藤堂さん・・」
見ると・・藤堂の背中からは、また新しい血が沁みだしている。
(これ以上、出血したら・・)
環は口を引き結んだ。
「安静にしてください。でないと・・」
「・・ほっとけよ」
藤堂はゼェゼェしながらも、強気の口調だ。
「ジッとしててください。今、包帯替えますから」
伸ばした環の手を、藤堂が払い除ける。
「ほっとけっつってんだろ・・さわんな」
「藤堂さん・・」
環は困惑していた。
土方や沖田や斎藤と違い、藤堂は気難しくも無いし人懐っこい性格だ。
こんな風に拒絶されるのは初めてだ。
興奮しているせいで余計に出血している。
部屋の真ん中にある空っぽの布団はドス黒いシミだらけだ。
意識が戻ってから、藤堂は白湯を飲むことすらも拒絶していた。
「ほっといたら死んじゃうでしょ」
環が弱々しくつぶやく。
力泣く座り込んで俯くと、藤堂が荒い息遣いのままで答えた。
「・・上等だ。背中に傷のある男なんざ・・生きてる価値がねぇ」
環が顔を上げる。
「本気でそう思ってるの・・?」
藤堂は答えない。
染みだした血が壁を汚していた。
「お願い、サラシ交換させて。止血しないと」
環が膝立ちして手を伸ばすと、藤堂がまた払い除ける。
「さわんな」
「いい加減にしてよっ!」
突然、環がキレたように叫んだ。
「二言目には、ほっとけ、さわんなって・・こっちは心配してるのに・・っ」
言葉が詰まったのは涙が込み上げたせいだ。
溢れた涙がダラダラと頬を伝う。
藤堂が顔を向ける。
「・・泣くな」
藤堂が左手を伸ばした。
環の頬に手をあてると、その涙を指で拭う。
「泣くな、環」
環が堪えようと目をギュッと瞑ると、余計に大粒の涙が零れ落ちた。
3
藤堂が抵抗を止めたので、環はやっと包帯を交換することが出来た。
止血点のサラシをキッチリ結び直す。
出血は取りあえず治まった。
血で汚れたサラシを持って環が部屋を後にすると、藤堂がひとり部屋に残される。
ガチャン・・
閂を外す音がして扉が開いた。
環が戻ってきたのだろうと思い、藤堂はうつ伏せた姿勢のまま顔を上げないでいた。
だが・・
足音を聞いて、すぐに男のものだと分かった。
顔を上げて見ると・・
「斎藤・・」
つぶやいた藤堂が起き上がろうとすると、すぐに制止される。
「寝てろ」
斎藤は板の間に上がると、立ったままで藤堂を見下ろした。
「弱ってんなぁ」
「・・っ!うるっせ」
藤堂がうつ伏せたまま毒づく。
「・・そのまんまで聞けよ」
斎藤がしゃがみ込んだ。
「オレぁ・・はじめっから間諜として御陵衛士に潜入した」
藤堂は黙ったままで動かない。
「おめぇを騙してたってこった・・ずっとな」
斎藤が淡々と言った。
「・・それがどうした」
藤堂がアホらしそうな声を出す。
「任務なんだ。当然だろ」
「ああ・・悪かったなんて思っちゃねぇ」
斎藤がアッケラカンと言った。
藤堂が低く声を出す。
「なにが言いてぇんだ、てめぇ」
「これだけ言いに来たんだよ。・・邪魔したな」
斎藤は立ち上がると、板の間から降りて扉の前に立った。
「おめぇ・・欺かれたことより、生かして連れて来られたことにムカッ腹立ててんだろ」
藤堂は黙ったままだ。
「けど・・筋曲げてまで、おめぇを助けた近藤さんのことは責めんなよな」
斎藤が扉を開けた。
「ま・・伊東さんの仇討ちするってんなら止めもしねぇけど」
バタン・・
扉が閉まると、部屋の中が静まり返る。
「くそ・・」
藤堂がギュッと拳を握りしめた。
-『悪かったなんて思っちゃねぇ』-
それが・・斎藤の精一杯の謝罪の言葉に聞こえた。