第二百七十二話 術後
1
ところが・・その後、藤堂の熱が上がった。
傷口が炎症を起こして腫れ上がっている。
環は消毒して炎症止めの薬草を塗ると、身体のあちこちに温石を持たせて、足をお湯で搾った布で温めた。
薫が作ったおかゆは食べることが出来ず、重湯を口に運んで飲み込ませるので精一杯だ。
「あっちぃ・・」
藤堂がうわ言を言っている。
環は額のオシボリを取るとタライの水に入れて搾り直した。
それをまた額に置く。
すると・・
「さびぃ・・」
うつぶせた藤堂の歯がガチガチいってる。
「熱いとか、寒いとか・・」
環は泣きたくなってきた。
しばらく悩んだ後で、意を決したように立ち上がる。
藤堂が寝ている布団の中に滑り込むように入ると、藤堂の身体に寄り添う。
背中の傷に触らないよう、自分の手で藤堂の手を包み、自分の足を藤堂の足に重ねる。
頬を、藤堂のむき出しの肩にピッタリと付けた。
すると・・
ガチガチ震えていた藤堂の身体が静まり、呼吸がゆっくりと落ち着いた。
環はホゥーッと息をつくと、そのまま目を瞑る。
眠りに落ちた。
どの位、眠ってたのか・・
目が覚めると、南部が座っていた。
布団のわきであぐらをかいている南部を見て、環が飛び起きる。
「な、南部先生!」
「おはようでやす」
南部は軽く笑って、覗き込んだ。
環が飛び起きたせいで布団がめくれ上がり、包帯を巻いた藤堂の背中が丸見えになっている。
「まぁんだ傷塞がっでねぇみでぇだなや」
血が沁み付いているサラシを見て、南部は少々難しい顔をした。
「先生・・来てくれたんですか」
環は心底、安心した声を出す。
「ああ、土方さんがら呼ばれでな」
藤堂の額のオシボリを手に取り、タライの水で搾った。
「藤堂くんのごどば助けろてな。そんで・・藤堂くんが生ぎでらごど、誰さも言うなど」
「え?」
環が訊き返す。
「死んだごどにするっでごっだな」
南部が答えた時・・藤堂が目を覚ました。
「オレ・・生きてんのか?」
低い声だ。
「藤堂さん」
環が身体を向き直す。
「もう大丈夫ですよ」
すると・・
「くそ・・」
藤堂が忌々しげにつぶやいた。
2
お昼過ぎ、土方の部屋に訪問者があった。
「派手にやってくれたもんだぜ」
廻り方同心、井上大助だ。
「奉行所は蜂の巣つついたみてぇな大騒ぎだ。奉行所だけじゃねぇ・・お上も」
言葉を一瞬止めてから、続けた。
「御陵衛士は天皇の墓守だ。それを手にかけたとあっちゃ、タダじゃ済まねぇぜ」
「・・先に仕掛けて来たのは向こうだ。こっちは振りかかる火の粉を払っただけだ」
土方があくまで淡々と答える。
「御陵衛士がナニ仕掛けたって?」
大助は戯言を軽く受け流す。
「やつらは近藤さんの暗殺を企てていた。内偵した間諜が掴んだ情報だ」
土方が勝手な予想をさも事実のように口にした。
言ったもん勝ちである。
「どうだか」
大助は引っ掛からない。
ケッと横を向いた。
「朝廷が騒いでらぁ。さすがに今回ばかりはタダじゃ済まねぇぜ、土方さん」
大助が大真面目に語ると、土方がせせら笑った。
「おもしれぇ」
あくまで挑戦的な態度を崩さない土方に、大助が諦めたように息をついた。
「どうやら・・オレの出る幕ぁねぇなぁ」
よっ、とつぶやいて大助が立ち上がる。
前に視線を向けたままで、座ってる土方に問いかけた。
「死体をいつまで晒しとくんですか?仏さんが風邪ひいちまうぜ」
伊東、服部、毛内の死体は、新選組の隊士の死骸と共に油小路の路上で寝ている。
気温は低く・・朝は霜が降りていた。
「生き残った連中が引き取りに来るまで、こっちで預かっておくさ」
土方がサラリと答える。
「預かる・・」
大助が眉をひそめた。
(野晒しを預かるとは言わねーよ。ふざけんな)
忌々しげに息をつく。
「なに言ってもムダみてぇだな」
土方は黙ったままだ。
「邪魔したな」
大助は障子に手をかけると、思い出したように立ち止まった。
「平助は・・」
声が低い。
「生きてるんですかい?」
土方が顔を上げた。
「あ?・・転がってるよ。四つ辻に」
大助は身動きしない。
「逃げなかったんだろうよ・・なんせ"魁先生"だからな。仕方ねぇさ」
土方が殊更軽い口調で答える。
カラッ・・ピシャンッ!
大助が無言で部屋から出て行った。
3
薫が屯所から出て四つ辻に行くと、抗争現場の周囲を新選組の隊士がガードマンのように取り囲んで、人っ子ひとりも通れないようになっていた。
離れた場所を恐る恐る町民が通り過ぎていく。
すると・・
「近寄るなと言ってるだろう!」
野太い怒声が響いた。
見ると・・
中学生くらいの女の子が、現場を見ようと近寄って、隊士に蹴散らされている。
薫が近寄って行くと、真っ赤に泣き腫らした顔で必死の形相だ。
「すみません。あたしの知り合いなんです」
薫は顔見知りの隊士に声をかけ、女の子の肩に手を置いた。
「危ないから向こうに」
女の子は戸惑った顔をしたが、薫に肩を押されて、仕方無くその場から離れる。
「大丈夫?」
道の端に2人並んで立つと、女の子は薫より20cmほども小さい華奢な少女だ。
「へ、へぇ・・」
小さく頷いた。
胸元に両手をあてて簪(かんざし)を握り締めている。
寒さで手がかじかんでいるせいか、簪についた鈴がチリンチリンとか細い音を立てた。
「危ないから、もう近づかない方がいいよ」
薫が優しく諭すが、少女は黙ったままで返事をしない。
「ね?」
もう一度繰り返す。
「けど、うち・・」
「え?」
「確かめんと・・」
少女が簪を握り締める。
「藤堂はん、生きとるんか・・」
薫が目を見開いた。
少女の両肩に手を置いて、顔を覗き込む。
「・・藤堂さんの知り合い?」
少女がハッとしたように顔を上げると、真正面から薫と目が合った。
慌てて視線を外すと、ポツリポツリと答える。
「うちは・・ただの料理屋の女中どす」
顔を下に向けると、声が震えた。
「藤堂はんはお客はんで・・うちはなんも」
「大丈夫?」
薫が覗き込むと、少女はつぶらな瞳に大粒の涙を溜めていた。
「けんど・・藤堂はん死んだりしたら、うち・・」
涙を必死に堪えているのが分かる。
「藤堂はん・・優しいて・・優しいて」
ズルズルと崩れるようにしゃがみ込むと、そのまま顔を伏せて堪え切れずに泣き出した。
薫はボーゼンとしている。
(藤堂さん・・まさか中学生にチャライ真似したのーっ?)