第二百七十一話 金創
1
部屋に戻った沖田に起こされて、環と薫が連れてこられたのは、母屋と離れた蔵造りの一室だった。
渡り廊下でつながった一番奥に位置していて、今まで2人は入ったことが無い。
沖田が戸口の外にかけられた閂を引き抜くと、後ろの2人に声をかけた。
「入れ」
先に入った環がいきなり立ち止まったので、薫が後ろから覗き込む。
途端に声を上げた。
「藤堂さん・・っ」
薄暗い部屋の板の間に見えたのは・・
うつ伏せに寝かされた藤堂。
口にサラシを巻いた箸を咥えて、猿ぐつわをかまされたように見える。
着物は切り裂かれて上半身が丸出しだ。
薄灯りの中で、山崎が背中の傷を縫っている最中だった。
向かいの土方が蝋燭で山崎の手元を照らしている。
原田が両腕を押さえ、永倉が両足を押さえ込んでいた。
麻酔無しの縫合手術で、藤堂が痛みの余りうめき声を上げている。
猿ぐつわは、食いしばって歯を折らないようにしているようだ。
沖田は腕を組んで冷めた顔つきをしているが、薫は目の前の凄惨な光景と、部屋に籠る血の匂いで吐き気が込み上げてきた。
「う・・」
思わず口元を手で押さえる。
「環」
土方が声をかけると、環がビクンと身体を震わせた。
「はい」
「山崎の補助をしろ」
「・・分かりました」
環はすぐに板の間に上がって、山崎の後ろに座った。
「ここ、ハサミで切ってくれ」
山崎の指示に環が無言でテキパキと従う。
「薫」
土方が声をかけた。
「え?」
薫がビクンと顔を上げる。
「おめぇは医療班と一緒に、大部屋の連中の手当しろ」
顔も上げずに命令する。
「は、はい」
薫は言われるまま部屋を後にした。
縫合手術の現場にいても、自分が役立てることが無いのが分かっていた。
不思議なのは沖田だった。
何か手伝うわけでもなく、体調も悪いのに、黙って手術を見つめているのだ。
薫が母屋の大広間に戻ると、部屋のあちこちでケガ人が手当を受けていた。
薫は順番に汚れた布を集めてまわり、替わりの布を用意して回った。
炊事場から酒と水を運び終わると、順番待ちの隊士の消毒を始める。
「今夜、何があったんですか?」
包帯を巻きながら訊いた薫に、いかつい体つきの隊士が目を反らす。
「すんまへん・・ワシの口からはなんとも」
「そうですか」
諦めた。
予想はついている。
(藤堂さんがあんなケガしてるってことは・・御陵衛士と何かあったんだ)
2
一通りの手当を終えて渡り廊下に戻ると、藤堂のいる蔵の前にシンが立っていた。
「シン!」
薫が駆け寄ると、驚いたように振り返る。
「薫・・」
ホッとしたように息をつくシンの首は、ドス黒く変色していた。
「ケガしたの?」
薫が訊くと、シンがあやふやに答える。
「いや・・」
廊下に滴っている血の痕に目を落とす。
「藤堂さん・・運ばれただろ」
「うん・・山崎さんと環が手当してる」
薫が蔵の扉に目を遣ると、それを追うようにシンが振り返る。
「そっか・・」
「なにがあったの?」
薫の問いに、シンが事務的に答えた。
「伊東さんが殺されて、藤堂さんたちが遺体を引き取りに来た。そこに待ち伏せしてた新選組に襲撃されて御陵衛士は壊滅。世に言う"油小路の変"だ」
「油小路の変・・?」
薫は耳慣れない言葉を繰り返す。
「伊東さん・・殺されたの?」
信じられないような顔をしている。
「うん・・史実通りに」
シンの答えに、薫が目を開いた。
「史実通りって・・知ってたの?伊東さんが殺されること」
「うん」
シンがアッサリ頷いた。
「知ってた」
薫が息を飲み込む。
ヒュルヒュルと夜風が2人の身体を凍らせていく。
「オレ、ここ出てくよ」
シンの言葉に、薫が目を見開いた。
「え?」
「藤堂さんが斬られたの、オレのせいなんだ。余計な手出ししたせいで」
シンが言葉を続ける。
「それに・・殺し合い見んのも、もうイヤんなったし」
「シン・・」
薫が歩を進めた。
「行く宛て・・あるの?」
「無いけど、出てく」
シンが笑ったように見えた。
「ごめんな、最後まで一緒にいられなくて」
「ダメ!・・絶対ダメ!」
薫が突如、声を上げたので、シンが驚いたように身を引いた。
「離れちゃダメだよ」
薫シンの両腕を掴む。
「だって」
薫の声が潤んだ。
御陵衛士に行った時とは違う。
離れたら、もう逢えなくなる・・そんな気がする。
「だって・・シンはあたしの・・あたしと環の」
声が喉に詰まった。
(シンは・・あたしと環の・・なんだろう?)
目の前に立つシンの顔を見上げながら薫は自問する。
(分かんない・・)
突然、頭の奥が苦しくなった。
「頭、痛い・・」
両手で頭を押さえる薫を、シンが訝しげに覗き込む。
「おい・・大丈夫か?」
薫は顔を上げるとシンの顔を間近で見つめ、両腕を強く掴んだ。
「いっちゃダメ」
泣きだした薫の頭を、シンがため息をついてポンポンと叩く。
「涙はカンベン」
3
縫合手術が終わった後も、藤堂が目離し出来ない状態のため、環と交代で薫も側についた。
沖田は相変わらず何を手伝うわけでもなく、部屋の隅で黙って座ったままだ。
不思議なことに・・咳き込むことは一度も無かった。
止血で縛り上げるサラシをマメに交換しながら、薫と環は交代で仮眠を取る。
そうこうしている内に朝になった。
「うーん・・」
いつの間にか寝ていた沖田が目を覚まして伸びをする。
環が寝ている横で、薫が座ったままで舟を漕いでいた。
「おい」
沖田に声をかけられて、薫がビクンと顔を上げる。
「あっ?」
「ヨダレ出てんぞ」
沖田に指摘され、慌てて口元を手で擦る。
ふと見下ろすと、藤堂が静かに寝息を立てていた。
猿ぐつわは外されている。
薫がホッと息をついた。
「うん・・?」
環が目を覚ました。
ノロノロと身体を起こすと、すぐに藤堂に目をやる。
寝ている藤堂の額に恐る恐る手をあてた。
熱を確認した後、手首を取って脈を計り、口元に顔を寄せて呼吸を聴く。
「どお?」
薫が訊くと、環が頷いた。
「熱があるから、まだ安心出来ないけど・・血は止まったし、呼吸もシッカリしてる」
「そう」
薫がホッと息をつく。
沖田がおもむろに立ち上がった。
「沖田さん、どこ行くんですか?」
見上げる薫に、沖田が言葉を落とす。
「部屋に戻るんだよ」
そう言って板の間から降りた沖田の耳に、後ろから声が聞こえた。
「総司・・」
振り返ると・・うつぶせたままで藤堂が薄く目を開けている。
「平助」
沖田が板の間に戻って、藤堂のそばにしゃがみこんだ。
「ここ・・どこだ?・・地獄か?」
藤堂が弱々しい声で訊いてくる。
「少なくとも、極楽じゃねぇなぁ」
沖田が薄く笑った。
「新選組の屯所だよ」
「新選組・・」
遠いものを思い起こすような顔つきで藤堂は繰り返した。
「取りあえず、なんか食えるか」
沖田が言った。
「食って・・ボロボロの身体治せ」
立ち上がると、薫の腕を掴んで一緒に立たせる。
「平助が食えそうなもん、こしらえろ」
薫は無言で頷いた。
部屋から出ていく薫の後ろ姿を見ながら、沖田がボリボリ頭を掻く。
「あ~・・眠てぇ」
そう言って、部屋を後にした。
残されたのは・・藤堂と環の2人だ。
「環・・おめぇが手当したのか?」
藤堂の問いに、環が首を振る。
「いえ・・山崎さんです」
「そっか・・」
そのまま藤堂は目を瞑って息をついた。
「余計な真似しやがって」
環が藤堂の顔を覗き込む。
小さな声で言った。
「おかえりなさい」