第二百五十一話 秋の味覚
1
「これがウコンか」
薫がつぶやく。
出入りの薬種問屋から、あるだけ全部卸してもらったのだ。
薬屋の話では、ウコンは薬効成分としての効能のほかに、下染め用の染料としても重宝されているらしい。
薫は掌に載せてマジマジと見つめた。
黄土色の生姜のような見た目から、あの・・カレー臭が香っている。
「いい匂い・・」
薫は念願だったカレー作りにチャレンジすることにしたのだ。
ターメリック(=ウコン)の他に、唐辛子、生姜、胡椒、陳皮、月桂・・それっぽい香辛料を思いつく限り混ぜてみようと思っている。
もしカレー粉が出来れば、様々な料理にカレーの風味づけをすることが出来る。
「よいしょっ・・」
環から借りた薬研(やげん)を目の前に置いた。
[薬研:薬種(草・木・根・等)を挽いて細粉する道具/別名:くすりおろし]
炊事場の台の上には、集めた香辛料が並んでいる。
「皮もOKなのかなぁ・」
薫が思案していると、後ろから声をかけられた。
「おい」
振り向くと、板の間に市村鉄之助が立っている。
(げ)
薫は思わず顔をしかめた。
鉄之助は炊事場に降りて来ると、スタスタと薫に近付く。
「土方副長からの命令や。プリンの作り方をオレに伝授しろ」
鉄之助がぶっきらぼうに言い捨てた。
「はぁ?」
薫は眉を上げる。
「なんでアンタに教えなきゃなんないのよ」
「副長命令やて言うてるやん」
鉄之助は不機嫌そうに顔を反らした。
「オレかてイヤなんやで」
薫はわざとらしく鉄之助を眺めると、プイッと顔を背ける。
「あたし忙しい」
ムッとする鉄之助に背を向けると、ウコンをまな板に乗せて、皮つきのままで薄くスライスしていく。
「おい」
鉄之助が声をかけても、薫の方は完全スルー。
「おい!」
さらに大声を上げる鉄之助を尻目に、薫は黙々と作業を続ける。
鉄之助の怒りが空気に乗って伝わって来るが"へ"でもない。
「くそっ」
口汚い捨て台詞を残して、鉄之助が板の間に上がっていく足音が聞こえた。
足音が完全に無くなると、薫が振り向いた。
「べーだ」
ペロリと舌を出す。
スライスしたウコンをつまむと、首を傾げる。
「う~ん・・やっぱ、乾燥させた方がいいかなー」
2
「う~ん・・」
こちらも唸っている。
屯所に井上大助が来ていた。
沖田と碁盤を挟んでいる。
「・・長ぇな」
沖田が催促すると、大助が頭を掻いた。
「ちょっと待てってば」
掌でイライラと碁石を弄ぶ。
「あ~・・」
沖田が膝をかかえると、通りの方から声が聞こえてきた。
「やきいもぉ~・・やきいもぉ~・・栗よりうまい十三里~」
「お」
沖田は顔を上げると、財布を引っ張り出してすぐ立ち上がる。
「買ってくる」
言い捨てると、すぐさま廊下に出て行った。
昔から焼き芋に目が無い。
大助は碁石で頭を掻きながらつぶやく。
「秋だなぁ・・」
しばらくすると、籠を手にした沖田が戻って来た。
すると・・
後ろに、やはり籠を抱えた薫と環が引っついている。
「えへへ」
軽く会釈しながら2人が部屋に入って来た。
全員、芋売りの声に惹かれて表に出た口らしい。
「なんだよ、おめぇらもか」
大助が苦笑した。
3つの籠から丸々とした焼き芋が美味しそうに湯気を上げていた。
「ほれ」
沖田が大助に1本渡すと「お」と言いながら受け取る。
焼き芋が嫌いな江戸っ子はまずいない。
薫と環も、それぞれ手を伸ばして匂いを嗅いでいた。
「おいしそ~」
言いながら、2人がポロポロと皮を剥くと・・
「なんで皮取ってんだ」
大助が突っ込んできた。
「え?」
見ると・・沖田も大助も皮つきのままでかぶりついている。
「皮・・食べるの?」
薫が訊くと、大助が頷く。
「あたりめぇだろ」
環は眉をひそめた。
「食べたことない・・」
「はぁ?どこの姫さんだよ、おめぇら」
大助が呆れ顔でつぶやく。
「皮、うめぇぞ」
沖田はパクパク皮ごと食べる。
環は首を傾げながら、恐る恐る皮ごとかぶりついてみた。
「おいし・・」
1口食べると、思わず笑みがこぼれる。
「ほんと?」
薫も続いて皮ごとかぶりついた。
「あ、ほんとだー。おいしー」
皮のパリパリ感と中身のホクホク感が、好い感じのバランスである。
「皮はやっぱ捨てがたいかもね・・」
薫はブツブツつぶやいた。
3
祇園の料亭『小川』の一室。
「藤堂はん・・どないしたん?」
天神の夢里(ゆめさと)が声をかけると、藤堂が立ち上がった。
「ションベン」
障子をスラリと開けると、ちょうど廊下の向こうから鈴が歩いて来る。
手には、お銚子や小皿を載せた盆を抱えていた。
「よぉ」
藤堂が気安く声をかけると、鈴が驚いたように顔を上げる。
急いで近付いて来ると、背の高い藤堂を見上げた。
「先だっては・・ありがとはんどした」
素直な言葉を、藤堂はどうでもいいように受け流す。
「オレなんもしてねーけど」
すると・・
鈴が一瞬固まって、顔を真っ赤に染めた。
開けた障子から部屋の中が見えている。
部屋の中央には、床入り用の朱い緋無垢を胸元まではだけた夢里が、物憂い表情で髪を整えていた。
朱い布団は寝乱れていて「さっきまでヤッてました」と物語っている。
「おーっと」
気付いた藤堂が、慌てて障子を閉めた。
鈴は顔を真っ赤にして俯く。
見ると・・耳まで真っ赤になっていた。
藤堂はポリポリと頭を掻いた。
(ちっとマズかったなー)
料亭のお運びなどしていれば、こうゆう場面に遭遇することはあるだろうが・・いかんせん鈴はまだ幼い少女である。
「よし。ちょっと来いよ」
言いながら、鈴の腕からお盆を取り上げて廊下に置いた。
「なにしはるんどすえ。ウチ叱られますよって」
鈴が慌ててお盆を持ち直そうとしゃがみこむと、藤堂がその腕を掴む。
そのままグイグイ引っ張って、一階に下りていった。
玄関前で足を止めると、袖から財布を取り出す。
「焼き芋買ってきてくんねぇか。番頭にはオレから言っとくからさ」
「はぁ?」
鈴が顔を上げる。
「ひとっ走り頼むぜ」
藤堂は財布から小銭を取り出すと、鈴の小さな手に握らせる。
「これで買えるだけ全部」
「はぁ・・」
鈴はワケの分からない様子で頷くと、困惑した表情で店から出ていく。
祇園の出入り口には木戸番屋があって、副業で駄菓子屋を営んでいた。
秋から冬にかけては焼き芋を作っている。
しばらくして、お使いから戻った鈴がキョロキョロしながら階段を上がった。
2階の廊下に立つと、部屋の前で藤堂が柱に寄りかかってダラしなく座り込んでいる。
「あの・・」
鈴が声をかけると、藤堂が顔を上げた。
「お、買ってきたか」
ノッソリ立ち上がると、障子を開ける。
部屋の中にには誰もいなかった。
朱い布団もすでに片づけられている。
「なんもしねぇから、入れ」
藤堂は鈴の背中をポンと叩くと、そのまま部屋に入った。
芋の入った籠を抱えた鈴が後に続く。
「そこに座れよ」
藤堂に促され、鈴がペタンと正座した。
藤堂の前にオズオズと芋と釣り銭を置く。
「ふーん・・」
藤堂は籠から芋を1本取ると、鈴に差し出す。
「ホレ、熱いうちに食え」
鈴は「え」とつぶやいたまま固まっている。
「ほら、冷めちまうだろ」
そう言って鈴の前に芋を置くと、自分も1本籠から抜いた。
フゥーフゥーと息を吹きかけると、ガブリとかぶりつく。
「うめぇ」
鈴もなんとなく釣られて芋を手にすると、パクリと食いついた。
「おいし」
「だろ」
藤堂が自慢げに笑った。