第二百六十六話 躯
1
伊東はシッカリした足取りで向かってきた。
永倉と原田、そして大石が待ち受ける木津屋橋通りに。
一番手前の板塀の影に、大石を含めて4人の隊士が潜んでいる。
「ああ、い~い月だ」
夜空を仰いだ伊東が歩を緩めた時、突如、塀の影から人影が躍り出た。
「高台寺党、伊東摂津殿。お命もらい受ける」
抜き身の刀を振り下ろしたのは宮川信吉だ。
宮川は天然理心流道場の門弟で近藤の親戚筋に当たる。
だが・・
伊東は提灯を投げ捨て、宮川の一刀をスルリとかわした。
そのまま後ずさりながら吐き捨てる。
「謀ったか・・」
板塀の影から、さらに3人の男が姿を現す。
伊東の後ろに立ったのは・・
「大石・・」
振り向いた伊東が、前後を挟まれた形で、4人の男に目を配りながらジリジリと後ずさる。
大石は伊東に応えるように、ダラリと下げていた刀を八相の構えに持ち直した。
「辞世の句を詠め」
それには応えず、伊東が無言で刀を抜く。
「むん」
目の前に立った3人の左端に斬り込んだ。
ザシュッ・・
「ぎゃっ!」
脇に斬り込まれた一人が、道端に転がる。
そのまま走り抜けようとした伊東の右肩に、後ろから大石の刃先が刺さった。
「うっ」
伊東は刺された肩を押さえながらも、足を緩めない。
そのまま20mほど走ると・・立ち止まった。
行く手を遮る人影を見たためだ。
「永倉・・原田・・」
永倉と原田が小路の先に立っている。
「"油小路"ならぬ・・袋小路だよ」
「悪ぃな、通せんぼだ」
永倉も原田も構えてはいない。
「原田くん・・鞘の件なら誤解だ。僕は・・君たちが思ってるような事は言った覚えがない」
肩を押さえた伊東が必死の形相で身の潔白を主張する。
「んなこと、どーでもいー」
原田は心底どうでもいい口調だ。
「平助は返してもらうぜ」
永倉が刀を抜いた。
すると・・
後ろの暗がりから声が聞こえる。
「そいつぁ、オレの獲物だぜ」
ゆっくりした足取りでやってきた大石だった。
大石が突如走り出した。
刀を振り上げ・・
「もらった!」
ザシュッ・・
「うっ・・」
左耳から顎にかけて斬られた伊東が、ヨロヨロと後ろに後ずさる。
そして・・
ドスン・・
本光寺の前に置かれた門派石に、腰を下ろす体勢で倒れ込んだ。
「奸賊輩(かんぞくばら)・・」
一言つぶやくと、凝視したように目を見開いたままで首がカクリと下がる。
御陵衛士のリーダー、伊東摂津が絶命した。
2
右の顔面に返り血を浴びた大石が、冷めた目で伊東の躯(むくろ)を見下ろす。
「さて・・」
そうつぶやいて、石の上に横たわった伊東の襟首を掴んだ。
ズルリ・・
襟首を引っ張っぱられた伊東の死体は、目を見開いたままの状態で引きずられた。
「おい」
さすがに原田が声をかける。
「なにやってんだ?」
大石が振り返った。
血だらけの顔面に、目だけが爛々と光っている。
「仏さん、どこ連れてこうってんだ」
永倉が険しい口調で詰問する。
「・・四つ辻だよ、副長の命令だ。死体を晒せってな」
大石はあくまで平静だ。
永倉と原田は無言で大石の後姿を見送る形になった。
すると・・
後ろから、数人の気配がする。
振り返ると・・いつの間にか、土方と山崎が立っていた。
後ろに宮川達も控えている。
「・・仕留めたか?」
土方が問うと、原田が不機嫌に答えた。
「ああ・・大石さんが引きずってったぜ」
永倉と原田の視線の先は、暗闇に包まれた小路が続いている。
土方が低い声で言った。
「山崎・・月真院に使いを出せ。伊東が襲われたってな。遺体が野ざらしになっていると伝えろ」
「は」
山崎が応えると、土方が付け足す。
「襲ったのは・・土佐藩士だと言え」
谷干城が売った喧嘩を、土方は買うことにした。
山崎は一瞬躊躇した表情を浮かべたが、すぐに暗闇に姿を消した。
遺体を晒すのは、幕末にあってしばしば行われているが、見せしめであることがほとんどだ。
遺体を囮にするというのは聞いたことがない。
永倉と原田は顔を見合わせた。
3
沖田は肩膝を立てて頬杖をついていた。
目の前に薫と環が寝ている。
薫は仰向け、環はうつ伏せ、どちらも大の字で寝ていた。
連想ゲームに飽きて、どちらからともなく寝転がってお喋りを始め、いつの間にかスースー寝息を立てている。
沖田は薄物の羽織を2人にかけてやると、そのまま部屋からフラリと出た。
夜気にブルリと身体を震わせる。
後ろ手で障子を閉めると・・廊下の向こうから池田七三郎がやって来た。
「あ、沖田組長」
慌てた様子で廊下を駆けて来る。
「いけません、そんなヒラヒラした恰好で。風邪引いたら、どうしますかぁ」
廊下中に響き渡る大声に、沖田が苦い顔をした。
(暑苦しいやつに見つかっちまった・・)
池田は沖田より5つ年下で、局長附きの平隊士だ。
商人の家に生まれたが、武士への強烈な憧れを抱いて入隊したところは、近藤や土方と通じるものがある。
池田は沖田の前まで来ると背筋を伸ばして立ち止まり、背の高い沖田を見上げた。
「局長から"暖かくして寝ているように"と言付かっております。大人しくお部屋にお戻りください」
リスペクト丸出しの熱心さで諭されて、沖田はややゲンナリした。
「厠に行きてぇんだ」
「さようですか・・では、致し方ないですね」
池田はしぶしぶ身体を寄せて、沖田に道を譲った。
(ったく)
沖田が息をつくと、池田が首を傾げる。
「今夜は、やけに屯所の中に人が少なくて。どの部屋もなんだか薄ら寒いですよ」
沖田が立ち止まった。
(そっか・・出動隊士以外は、何が起きてんのか全く知らされてないのか)
沖田はチラリと池田に視線を走らせると、いつもと変わらぬ明るい口調で言った。
「今夜はさびぃからな。みんな外に飲みにでも行ったんだろ」
軽く笑って、その場を後にした。
この時・・
屯所からほど近い木津屋橋通りで惨殺劇が起きていることを、屯所の隊士達は知る由も無かった。
・・沖田を除いて。