第二百六十五話 待ち伏せ
1
(嘘だろ・・)
土方は、やや呆気に取られている。
伊東の酒豪ぶりにだ。
一斗樽はすでに四分の一減っている。
[※一斗樽は一升瓶10本分]
近藤も土方も酒に弱いので、ほとんど伊東一人で空けていた。
(強ぇってのは聞いちゃいたけど・・)
土方と近藤が目を合わせる。
新選組の宴会で伊東が淡々と酒を呑む姿は目にしているが、よもやこれほどとは思わなかった。
酒に酔わせて腰砕けにしてやろうと思ったが、何杯呑んでも伊東はシラフのままである。
「いやぁ~、いい酒だ」
当の伊東はご満悦だ。
今日の昼、監察方の尾形俊太郎が御陵衛士の屯所を訪れた。
「国事について意見交換したい」という近藤の書状を携えて。
黒蝋(くろろい)の鞘を伊東に見せると、尾形が声をひそめた。
「坂本のことば・・おっどみゃあ、いっちょん覚えなかんね。隊ば上げち調査中ばい。伊東どんにゃあ、2、3、伝えちょうことあっどね。局長ん言伝ばい」
このエサに伊東は食いついた。
服部や篠原の制止も聞かず、単身で近藤の休息所にやってきたのだ。
警戒心を潜ませた伊東を、近藤と土方が恭しくもてなす。
極上の酒を用意して。
ところが・・伊東は全く酔い潰れる気配はない。
時間と酒だけが空しく消費される。
「正直、僕も少々困っていてね・・あの鞘の一件は」
突如、伊東が核心に触れた。
近藤と土方が真顔になる。
「土佐藩、谷干城・・彼は新選組を目の敵にしている。現場に残った鞘を見せられて"新選組の物じゃないか"と問われたが、"黒い鞘など誰でも持ってる"と答えたら、"襲撃者の一人は伊予弁だった"と言うので、"原田くんなら伊予出身だがね"と言っただけなんだが」
伊東は苦い顔をしている。
どうやら谷干城は、最初から新選組と決めつけて犯人捜しをしている。
客観的な捜査などする気はないのだ。
「なるほど」
土方がつぶやいた。
伊東が「鞘は原田のものだ」と言ったわけではないらしい。
だが・・
(どのみち・・こいつは許さねぇ)
土方の考えは揺らがない。
伊東の最も許しがたい罪は、新選組を2つに割ったこと。
この一点である。
「伊東さん。下手人が見付かるまでは、お互いに協力し合おうじゃねぇか」
土方がお銚子から酒を注ぐと、伊東が一気に呑みほした。
「もちろん。我らはもとは同じ釜の飯を食った者同士だ」
2
「りんごと言ったら、みーかーん♪」
「はい、ドボン!」
環に遮られて、薫が不満気な顔をする。
「えー?なんでー?」
「りんごとみかんに関連性無いじゃない」
「同じ果物じゃん」
「広過ぎるよ」
環が沖田に顔を向けると、沖田も首を左右に振った。
「ちぇー」
薫が口を尖らせる。
部屋の外に出るなと言われたので、時間潰しに連想ゲームを始めたのだ。
「はい、罰ゲーム」
環が中腰になる。
しかめ面で目をつむる薫のオデコを人差し指で弾いた。
「痛っ」
薫が手をオデコにあてる。
「デコピン、痛いって」
さっきから薫ばかりが負けている。
「原田さんがいてくれたらなー・・絶対勝てるのに」
薫がブツブツ文句を言うと、沖田が立てた膝に顎を載せた。
「左之さんじゃ弱過ぎて勝負になんねぇよ」
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その頃・・隣りの隣りの部屋では。
「すずめ」
「めだか」
「カラス」
「スイカ」
「か・・」
シンが言いよどむ。
頭に浮かんだのは、缶コーヒー、缶切り、カラオケ、カルパッチョ、etc。
(ぜんぶダメだ・・えーと)
「か・・柿!」
「金目鯛」
(金目鯛~っ?)
「い、イカ」
「金縛り」
(金縛り~っ?)
「リンドウ」
「うさぎ」
「ぎ・・」
また言いよどんだ。
「ぎ・・銀シャケ」
恐る恐る口にする。
(イケるのか?これイケるのか?)
「毛皮」
(イケた!ってか、わ?)
「わ・・ワラビ」
「び?」
初めて斎藤が言いよどんだ。
「び」
考え込んでいる。
「毘沙門天・・じゃねぇ・・うーん」
「あの、オレちょっと・・厠に行きたいんですけど」
「ダメだ。小便なら庭でやれ」
「なんで・・っ」
シンが思わず腰を浮かせると、その瞬間、腹に鈍い痛みが走った。
「ぐっ」
背中を丸めたシンが畳の上に転がる。
斎藤が立ち上がった。
鞘に収まったままの刀身でシンに当て身を食らわせたのだ。
「貧乏神」
冷めた目つきでシンを見下ろす。
「続きはゆっくり考えろよ」
言い捨てて部屋から出て行った。
3
木津屋橋通り。
出動隊士10名を永倉と原田が率いていた。
醒ヶ井通りでも、山崎と島田が隊士8名を率いて待ち受けている。
伊東の帰り道を2方向で待ち伏せしているのだ。
「さびぃなー」
「ああ」
原田が見上げると、満月からやや欠けた月が登っている。
気温が下げるほど、空気が澄んでいくような気がした。
「さっきからずっと立ちっぱなしだぜー」
「もうションベンも出ねぇよ」
すでに小一時間も待機している。
大石は目をつむり、板塀に寄りかかったまま身動きもしない。
永倉も原田も、この大石鍬次郎という男が苦手だった。
迷いなく淡々と殺しを行うこの男を、土方はよく暗殺任務に使っている。
大石は永倉より1つ、原田より2つ年かさで、剣の腕前は隊の中でも群を抜いていた。
だが、他人と深く交わることをせず1人でいることが多い。
容貌は整っていると言えなくもないが、切れ長で吊り上がった目と薄い唇は、なんとなく蛇を彷彿とさせる。
「に・・してもなぁ」
「なんとか・・な」
永倉と原田は思案している。
近藤から言い含められていることがあるのだ。
出動前に永倉と原田だけが別室に呼ばれた。
「これは・・オレの個人的な頼みだ。平助だけは・・なんとしても」
近藤はそのまま言葉を飲み込んだ。
藤堂だけは生かせ、という意味だ。
近藤は試衛館時代からずっと藤堂のことを可愛がっている。
すると・・
「新八っつぁん、左之さん」
それまで黙っていた大石が、薄目を開けて2人を見ている。
「なんだ?」
永倉が応えると、大石は板塀に寄りかかったままで首を傾げた。
「なんだかヤル気がねぇようだな。気乗りしねぇんなら、オレが替わって仕切ってもいいぜ」
「あ?」
原田が険しい声を出すと、永倉が制止した。
「よせ、左之」
「チッ」
原田が忌々しく舌打ちする。
すると・・
道の向こうに小さな灯りが見えてきた。
近藤の休息所を後にした、伊東の提灯である。