第二百六十四話 出動
1
翌朝。
斎藤とシンが屯所に姿を現した。
門前から山崎が中に誘導する。
朝の準備に追われていた平隊士達が、皆一様に驚き顔で眺めていた。
山崎を先頭に斎藤とシンが進んでいくと、慌てて頭を下げる。
部屋に通されてから、しばらくして土方が現れると、一番奥に腰を下ろした。
「ご苦労だったな」
「ただいま戻りました」
斎藤が、ぶっきらぼうな口調で答える。
「下っ端、おめぇも元気そうだな」
土方に声をかけられ、シンはやや戸惑い気味に俯いた。
「はぁ・・」
本当は・・ぜんぜん元気じゃない。
近江屋事件の日から、シンは塞いだままだった。
天満屋の一室でまんじり過ごしたが、その日に起こる筈の事件のことで頭が一杯だった。
翌日に山崎から事件の一報を知らされた時は、驚いたフリをする気力も無かった。
胸の中では、黒い自責の念がグルグルと回っていた。
「下っ端、おめぇはもう部屋で休め」
土方の言葉で、シンが顔を上げる。
「え?」
「山崎、こいつ連れてけ」
「は」
土方に言われて、山崎が立ち上がった。
促されるようにシンも立ち上がる。
山崎の後に続いて廊下に出ると、向こうの方から声が聞こえた。
「シン!?」
薫と環が立っている。
風呂場で顔を洗って戻ってきたところらしい。
髪の毛の先が濡れていた。
「シン!」
すごい勢いで2人が駆けて来るのを見て、山崎が「お」とつぶやいて、身体を廊下の端に寄せる。
「おかえりぃーっ!」
薫と環が同時にタックルした。
シンの首っ玉を左右からガッシリ抱え込む。
「うっ」
シンがうめいても、2人は全く力を緩めない。
「良かったぁー」
「待ってたよぉー」
「薫・・環・・」
シンは痛そうに顔を歪めながら、ホッとしたような表情をする。
すると・・
「あのさ」
薫が突然、腕の力を緩めた。
「早速だけど、かつおぶし削るの手伝ってよ」
今度は環が腕の力を緩めた。
「さらしのアイロンがけお願い。火熨斗ってけっこう重いから」
「あ?」
シンはキョトンとしている。
「さ、行こ」
薫と環が両脇を押さえて、シンを引きずって行く。
囚われの宇宙人のような後姿を眺めながら、山崎がつぶやいた。
「あれも・・両手に花って言うのかな」
2
日中、薫と環はシンに引っ付いて、屯所を留守にしていた間のことを聞きまくった。
そして、シンが留守の間に自分たちがいかに不便だったかを言いまくった。
屯所の中の不穏なざわつきも、おかげで気付くことなく日が暮れた。
「土方さん、戻り遅いのかな?」
薫がふとつぶやくと、夕飯の後片付けを手伝っていたシンが顔を向ける。
「ああ、今日は遅くなるってさ。近藤さんの休息所で宴会だと」
「宴会?」
薫が訊き返した。
「うん」
シンはしゃがみこんで、洗い終わった皿を片付けている。
「沖田さん・・残してるなぁ」
環が息をついた。
目の前のお膳には、食べ残しの冷めた御粥が入った茶碗が載っている。
薫は無言だ。
沖田の食事は環が運んでいる。
薫は沖田の部屋に近付かないようにしていた。
(沖田さん・・怒ってんだろうな)
口止めされたのに土方を呼んだことを、沖田は許してないような気がしている。
「そういえば・・夕飯の後、みんな大広間に集まってるけど、なんかあったのかな?」
環が不思議そうにつぶやいた。
シンの手が止まる。
皿を置いて立ち上がった。
(まさか、今日・・なのか?)
イヤな予感がしている。
(だから・・斎藤さんとオレが隠れる必要も無くなったのか?)
「どうしたの?」
薫が首を傾げるが、シンは答えずに炊事場から飛び出した。
「え・・?ちょっと、シン」
「どこ行くのー?」
薫と環の声が聞こえたが、止まらなかった。
部屋に戻ると誰もいない。
どうやら幹部はみんな、広間に集まっているようだ。
シンは私物を入れた風呂敷をほどいた。
その中に、蝋燭の灯りに照らされた乳白色が見える。
ショックガンだ。
袖に忍ばせると、部屋から中庭に降り立った。
そのまま立ち止まる。
(って・・どこ行きゃいんだ?)
シンの知識は浅い。
伊東甲子太郎が新選組に惨殺されることは、歴史ドキュメンタリー番組で見て知っているが、大まかなことしか覚えていない。
("油小路の変"っていうからには・・油小路なんだろうけど)
頭の引き出しを必死に探る。
(油小路って広いんだよな・・いったいどこで)
不動堂村の屯所から天満屋を通り過ぎて西本願寺まで、ずっと油小路である。
(確か・・呼び出されて酒呑まされて、帰りに襲われるんだったよな。なら屯所の近く・・)
TV番組の再現シーンを思い出す。
(いや・・だったら、屯所に伊東さんがいねぇのもおかしいよな。屯所じゃなければ・・)
必死に頭を巡らせる。
「あ」
ふと思い当たった。
(もしかして土方さんの宴会って・・)
頭の中で何かがつながり、確信した。
伊東は今まさに、近藤の休息所で歓待を受けているのだろう。
(近藤さんの休息所は・・七条だ)
門に行きかけた時・・後ろから声をかけられた。
「どこに行く?」
振り返ると、廊下に人影があった。
「斎藤さん・・」
「外に出るな」
斎藤が庭に降りて来る。
「あの、オレ・・」
言いかけた瞬間、斎藤に肩を掴まれる。
細身の身体に不釣り合いな馬鹿力でシンの腕を引っ張り、そのまま部屋に戻る。
「いてっ・・放してください、斎藤さん」
腕を引かれたシンが抗議の声を上げるが、斎藤は一顧だにしない。
そのまま元いた部屋に戻ると、やっとシンの腕を放した。
「座れ」
仕方なくシンは畳に座り直す。
斎藤は向かいにあぐらをかいて座り込むと、両手首を膝上に置いた。
「しりとりでもすっか?」
「はぁ?」
3
「環ちゃん、薫ちゃん」
炊事場で声をかけられ振り向くと、井上源三郎が板の間に立っている。
「なんですか、井上さん」
環が割烹着で手を拭きながら近付いた。
「総司に持ってくんだが、一緒に上がらないか?」
源三郎の手には、木桶が握られている。
2人が首を傾げると、源三郎がニッコリ笑った。
「水飴だよ。総司は昔から、食欲無くても甘いものだけは食うから」
「はい」
明るい声を出す環の隣りで、薫は黙ったままだ。
「行こう、薫」
環が促すと、薫が戸惑った顔をした。
「うん・・でも」
「早く、早く」
環は気にせず、薫の手を引っ張る。
環に手を引かれ、源三郎の後に続いた。
奥の部屋に来ると、沖田が寝ている。
咳は治まり、ひとまず落ち着いていた。
「総司、具合どうだ?」
源三郎が布団のそばに腰を下ろすと、沖田が薄目を開ける。
「寝過ぎで頭痛ぇです」
かったるそうに上半身を起こすと、桶に目を遣った。
「お前の好きな水飴だぞ、食えるか?」
源三郎の問いかけに、沖田が素直に頷く。
「うん」
「よし」
源三郎が嬉しそうに、沖田に水飴の入った湯呑を握らせた。
後ろに座っている薫と環にも手渡す。
「ほい」
沖田がふと口を開いた。
「源さん」
「なんだ?」
「これって・・目くらましですかね?」
「・・なんのことだ?」
源三郎は何食わぬ顔で水飴を食べ始めた。
薫と環は2人の遣り取りを不思議そうに眺めている。
薫は水飴をすくいながらチラリと沖田の方を見た。
すると・・視線を感じた沖田が顔を向けて、目が合ってしまった。
(げ)
薫はすぐに目を伏せる。
源三郎が試衛館時代の話をするのを聞きながら、4人で水飴を食べ進めた。
すると・・
「ごっつぉーさん」
源三郎が立ち上がる。
「ワシは用事があるんで、もう外す。環ちゃんと薫ちゃん、総司を見張っててくれよ」
「はい」
環が頷いた。
「総司、大人しくしてろよ」
源三郎が笑いながら声をかけると、沖田はヒラヒラと手を振った。
「はいはい」
源三郎が部屋を後にすると、沖田が両手を頭の後ろに組んで寝転がる。
「あ~・・口ん中、甘ったりぃ」
「あの・・お茶、淹れてきます」
薫が立ち上がろうとすると、沖田がすぐに制止した。
「いい。おめぇら・・部屋から出んな」
「は?」
薫と環が顔を見合わせる。
(なんだろ・・なんか不自然な感じ)
この時・・広間に集まっていた隊士が油小路七条に出動した。
御陵衛士殲滅の命を受けて。