第二百六十二話 動揺
1
翌日の早朝、大助が屯所に顔を見せた。
奥の部屋で土方と2人差し向っている。
「近藤さんは?」
大助はあぐらを組んで、袖に両腕を入れていた。
「二条城だ」
土方は不機嫌極まりない。
(呼び出しかぁ)
大助は腑に落ちた。
大助の考えを読み取ったように、土方が口を開く。
「土佐藩が老中に、坂本を殺ったのは新選組だろうと申し立てたらしい」
チッと土方が舌打ちをした。
「近藤さん・・取り調べ受けてんですか?」
大助は「ま、仕方ねーだろーな」という表情だ。
「・・ああ」
土方がボソリと答えた。
「奉行所から・・新選組全員の裏取れって言われちまいまして」
大助は苦笑いを浮かべている。
「勝手に調べろ」
土方が吐き捨てた。
「お言葉に甘えて、勝手にさしてもらいます。どうも、このヤマ・・長丁場になりそうでね」
大助が顎に手をあてる。
「動機を持った連中が多すぎらぁ」
土方は無言のままだ。
「土佐藩は、紀州の三浦が新選組を使ったって騒いでますが・・奉行所じゃあ、薩摩と長州が御陵衛士を使ったんじゃねぇかって疑ってるし」
大助が声を低くした。
「おおっぴらにゃ言えねぇが・・幕府の保守派が見廻組にやらせたって噂まで出てる有様だ」
坂本は寺田屋事件の時に、伏見奉行所の同心を2名ピストルで射殺しているため、殺人容疑で指名手配されていた。
ふと・・それまで黙っていた土方がおもむろに口を開いた。
「前の日・・坂本は永井玄蕃殿と会ってる」
「永井玄蕃って・・若年寄の?」
大助が顔を上げた。
「なんでそんなこと・・」
「永井殿の身辺警護は新選組が請け負ってる」
土方が淡々と続ける。
「永井殿に聞けば・・前の日に坂本が何を話していたか、分かるかもしんねぇ」
「・・・」
今度は大助が黙り込んだ。
(そっか・・坂本龍馬は勝海舟のほかに永井玄蕃ともツーツーだっけ)
その永井と懇意の坂本を、永井の身辺警護をしている新選組が狙うとは・・やや考えにくい。
大助は大げさに息をついた。
「う~ん・・」
「どうした?」
突如うなり出した大助を、土方が訝しげに見る。
「いや・・ま、端(はな)から伊東さんの言うこたぁ、マトモに聞いちゃねぇけど」
大助がニヤニヤ笑った。
「・・現場にあった刀の鞘が左之のモンだってやつか?」
土方が忌々しそうにつぶやく。
「ああ」
大助が息をついた。
「槍使いをわざわざ屋内戦に出張らせるなんざ・・よっぽどバカじゃねぇ限り、やんねぇよ」
槍の威力が発揮されるのは、むろん屋外である。
狭い屋内では脇差ですらも振り回すのは難しい。
「第一・・あの人ぁ暗殺向きじゃねぇ」
大助が笑いながら首を傾げる。
「ま・・」
ふと思いついたように付け足した。
「大石さん辺りならアリかなって思ったけどよ」
2
大助が帰った後、奥の部屋に幹部の面々が呼ばれた。
土方が、開口一番言い放つ。
「落とし前をつける」
永倉、原田、沖田、山崎が、真向いに並んでいた。
次に、島田、大石・・と、順番に座っている。
「御陵衛士を殲滅する」
土方のセリフで、一瞬、場が静まった。
「いつ?」
永倉が訊くと、土方が一呼吸置いて答える。
「明日」
「!」
あまりに急な話で、みな動揺を隠せない。
「襲撃すんのか?」
原田が訊いた。
「いや・・近藤さんの休息所に伊東を招び出す」
土方が答えると、今度は沖田が突っ込む。
「招んだって・・来るかなぁ?伊東さん」
「来る」
土方が確信的に言い切った。
「表向きはなんでもいい。・・伊東には、坂本の暗殺犯の目星がついたとでも言えば・・ヤツは来る」
薩長との交流が深くなった伊東は、幕府側の情報ルートが断たれている。
「伊東を殺して・・仇討に来た連中は皆殺しだ」
土方の言葉を聞いて、永倉と原田が同時に声を上げた。
「皆殺しって・・」
「平助は・・」
場が静まり返る。
「近藤さんが戻ったら、すぐに打合せだ。手順は追って報せる」
土方が立ち上がった。
「解散だ」
そう言って、幹部の間を割り入るように部屋から出て行った。
「・・チッ」
永倉は舌打ちをして立ち上がる。
原田も立ち上がった。
釣られるように他の面々も立ち上がる。
沖田は・・座ったままだ。
廊下に出かかった大石鍬次郎の背に声をかけた。
「楽しそうだね、大石さん」
障子に手をかけたまま、大石が立ち止まる。
クルリと振り返ると、酷薄そうな顔に嗤いを浮かべた。
「悪いか?」
「ぜんぜん」
沖田が明るく答えると、大石はそのまま部屋から出て行った。
部屋には沖田がひとり残った。
柱に寄りかかり、立てた片方の膝に頭をグッタリと持たせている。
「・・グッ」
むせるように咳が込み上げ、口元を覆った掌に唾液が飛び散った。
「ゴホッ・・ぐ・・ゴホッ・・」
身体を揺らして咳き込んでいると、畳の上にポタポタと滴が落ちる。
真っ赤な血が床を汚していた。
3
座布団を片付けに来た薫の耳に、廊下の先から咳が聞こえて来る。
小走りで奥まで行くと、勢いよく障子を開けた。
「沖田さん!」
部屋の隅で、沖田が背を丸めて座り込んでいる。
ゼェゼェと肩で息をして、着物と床は血で汚れていた。
「沖田さん!」
薫は思わずヒィッと声を上げると、慌てて沖田に駆け寄る。
「だっ、大丈夫ですか!」
沖田の肩に手を添えた途端に突き飛ばされた。
「きゃっ」
「・・さわんな」
「沖田さん・・」
畳に尻もちをついた姿勢で薫が声を出す。
混乱していた。
ハッキリしているのは・・沖田にいうことを聞かせることなど出来ないということだった。
「ゴホッ・・っ」
沖田がまたむせ始める。
薫は立ち上がろうとしたが・・出来なかった。
沖田が、薫の左足首を掴んでいるからだ。
「誰も・・呼ぶな」
ゴホゴホとむせながら、沖田がつぶやく。
「ゴホッ・・」
一瞬、沖田の手が緩む。
薫はすぐに足を引き抜いて立ち上がった。
すると・・
「・・待てって」
「・・っ」
今度は左腕を掴まれた。
「痛・・」
薫の顔が苦痛に歪む。
掴まれた腕は、骨に食い込むような力で引き止められ、腕が千切れるような錯覚に襲われる。
物凄い力で腕を引かれて、後ろに倒れ込むと、沖田が片方の手で薫の身体を支えた。
そのまま畳に倒れ込んだ薫の身体を覆うように、沖田が上になって薫の顔の横に両手をつく。
「言うなよ・・誰にも」
沖田の口元は血で濡れていた。
至近距離で見る血の痕から目が離せない。
「沖田さん・・」
ギュッと目をつむった。
目尻から涙が溢れている。
その涙で毒気が抜けたのか、沖田の身体から力が抜けた。
腕が自由になった瞬間、薫が思いきり沖田の身体を突き飛ばす。
勢いよく立ち上がって部屋から走り出た。
沖田は壁に身体をもたれ、そのまま畳の上にズルズルと身体を横たえた。
「くそ・・」