第二百六十一話 容疑
1
「知らねぇなぁ、下駄なんざ」
原田は呑気なものだ。
ガッチガチのアリバイがあったからだ。
新選組の主だった面々は、坂本が暗殺された時刻に角屋で会合を開いていたのだ。
斎藤とシンが間諜として御陵衛士に潜入していたことと、御陵衛士と新選組が全面抗争になるかもしれないことを、土方が幹部の面々に伝えていた。
「瓢亭(ひょうてい)で下駄借りて帰ったことぁあるけどなぁ」
原田が間延びした声でつぶやく。
当時は、店先で脱いだ草履や下駄を、他の客が履いて帰ってしまうことが良くあった。
そのため、料理屋は大抵、貸し下駄を用意してある。
「鞘は・・どっかに置いたり、盗まれたりしてねぇか」
土方の声が低く響いた。
「ねぇなぁ~」
原田はヒラヒラと手を振る。
暗殺犯に仕立て上げられようとしているのに、全く動じていない。
土方が息をつく。
「ったく・・良いようにデッチ上げやがって」
「ホントは・・殺っちまったんじゃねぇの、左之さん」
沖田がクスクス笑った。
「うるせー、総司」
原田が不貞腐れた声を出す。
「どーするよ、左之。オメェが下手人つーことんなったら」
隣りの永倉が茶々を入れると、原田が永倉の頬を掴んで押し戻す。
「るっせー。てか、殺ってねーよ」
「土方さん。なんか、良いように作られちまうんじゃねぇですか?」
あぐらを組んだ沖田が、身体を横に曲げて膝の上に頬杖をついた。
顔は笑ってるが、目が笑ってない。
「させるか」
土方がボソリと返す。
「にしても・・」
永倉が忌々しげにつぶやいた。
「伊東のヤロー・・ふざけたこと抜かしやがって」
「落とし前はつける」
土方がそう言ったすぐ後に、廊下から声がした。
「副長」
山崎の声だ。
「入れ」
土方が応えると、スラリと障子が開く。
足音も立てずに山崎がスルリと入って来る。
「どうだった?」
土方の問いに、山崎が低い声で答えた。
「土佐の谷干城(たにたてき)が、中岡から聞いた話だと・・刺客は十津川郷士を名乗っていたそうです」
「後は?」
土方の催促に、山崎が首を振る。
「腕が立つのと複数人だって以外、下手人に繋がるような話はありません。あと・・谷の言うこともアテになりませんね。ヤツは思い込みの激しい男だと聞いてますから」
「そうか」
土方は息をついた。
「刺客の狙いが坂本だったのか中岡だったのかによって、下手人の目星が変わってきます。坂本なら・・薩摩や長州も容疑者だ」
山崎が低い声で続ける。
「山崎さん、伊東さん元気だった?」
沖田が明るい声で訊いた。
「そう見えたな。中村半次郎と一緒にいたよ」
山崎が答えると、沖田がニコニコ笑う。
「へぇ・・お元気そうでなにより」
「総司。こんな時にふざけんな」
土方がたしなめると、沖田が肩をすくめた。
「はい、はい」
「だが、これで伊東がオレたちをハメようとしてることはハッキリした」
土方が部屋の中を見渡す。
「伊東を・・殺す」
部屋に声が響いた。
2
翌日、朝から町は大騒ぎだ。
瓦版の号外が出され、土佐の中岡慎太郎と坂本龍馬が襲われたニュースが駆け巡っていた。
幕府や薩長の上層部では坂本を危険人物とマークしていたが、一般には陸援隊の中岡が名を知られており、その中岡が瀕死の重症とあって巷は大騒ぎだ。
そして・・不動堂村の屯所はすでに臨戦ムードである。
門前の警備は強化され、稽古の時間を削って市中見廻りの人数を倍に増やした。
幹部は、夜が明けてからやっと仮眠を取り始めている。
薫と環は外出禁止を申し渡され、必要以外は屯所の部屋から出るなと釘を刺された。
「・・・」
環はずっと無言だ。
昨日、薫と環はほとんど眠っていない。
夜中の騒ぎで目を覚まして、それ以降は部屋の中でまんじりと過ごした。
「坂本龍馬・・本当に暗殺されたんだ」
薫がつぶやくと、環が顔を上げた。
「・・史実だもん」
2人、顔を見合わせる。
「京都はこれからどうなるんだろ」
薫は膝を抱えた。
「確か・・大政奉還の後に王政復古の大号令、その後に戊辰戦争、廃藩置県・・こんな順番だったと思うけど」
環は授業で覚えた年表を連ねる。
正直、余り役立つ情報は無い。
高校1年の教科書に龍馬暗殺や新選組のことは載っていない。
環は2年からの選択授業では世界史を選ぶつもりでいたし、NHKの大河ドラマも、女性が主人公の時は見ていたが、男性が主人公の時は興味が無かった。
坂本龍馬についても、薩長同盟と大政奉還の立役者くらいしか思い浮かばない。
あとは・・TV番組に出て来る坂本龍馬の立ち姿の写真くらいだ。
(でも・・どうして殺されなきゃいけないんだろ)
暗殺やテロが日常的に横行する幕末の倫理観は、平成育ちの2人と大きく掛け離れている。
坂本龍馬が殺されたことも、土方以下、幹部の面々は「どっかのバカがフライングしやがって」ぐらいのものだった。
「怖いよね・・幕末って」
環がポツリとつぶやく。
「え?」
「人がさ・・簡単に死ぬじゃない?すごく簡単に殺されるし・・なんかちょっと、狂ってるっていうか・・」
環のつぶやきを聞いて、薫の顔が歪んだ。
「環、後悔してる?屯所に残ったこと」
「してないよ、だって・・」
環は奇妙に明るい声を出す。
「他に行くとこないじゃない。それに・・きっと、変わらないよ。どこに行っても」
薫は、立ち上がって環のそばに座ると手を取った。
「もうすぐシンが帰ってくるよ」
土方から斎藤とシンが帰隊すると聞いたのだ。
2人は最初から間諜として御陵衛士に潜り込んだのだと。
「そしたら・・また一緒に頑張ろう。3人で」
そう言って握りしめる薫の手を、環が強く握り返す。
「薫・・」
「うん?」
「もうすぐ始まるよ・・戦争が」
3
その夜・・土佐藩邸の奥庭は下弦の月に照らされていた。
縁側に立っているのは、土佐藩小目付役、谷干城だ。
手に篭目手裏剣を持っている。
「ひさにこんかったのぅ」
谷が声をかけると、一番奥の庭木が揺れた。
木の影から現れたのは・・一二三だ。
「ひさしぶり、谷さん」
一二三が薄笑いを浮かべる。
黒い着物が夜闇に溶けるようだ。
「おぼこいの、ひさにこんかったじゃが。そん、めんこはなんじゃ?」
谷が自分の頭を指差す。
一二三の額にはキツネのお面が着けられていた。
「これ?こないだ、夜祭りで買ったんだよ。顔隠すのにもってこいだから」
一二三の声は、夜風に吹かれるように違う方向から響いて来る。
「もう一人は?」
谷が問いかけると、庭木の後ろから振り返るように拾門(ひろと)が現れた。
「いるぜ」
「谷さん・・中岡さんどうなの?」
一二三の問いに、谷は黙り込んだ。
「まさか、もう死んだのか?」
拾門が訊くと、谷がカッと目を見開く。
「死ぬるかぁっ!」
絶叫するような声だった。
「中岡はがいぞね・・死ぬるなんちゃ・・許さんぜよ」
ブツブツと言いながら、手裏剣を握り締めている。
手から血が流れ出していた。
「坂本を殺した刺客・・中岡さんは見たんでしょ?」
一二三が視線を送った。
「・・知らんツラやったき、誰がっちゅうんは中岡も分からんちや」
谷は瞼が腫れ上がっている。
泣き続けたせいだろう。
「じゃが・・残った鞘の持ち主ぁ新選組の原田左之助やき。高台寺党の伊東がゆうたが。ヤツが・・坂本を殺ったが」
谷の肩は怒りで震えている。
すると・・
「原田は違うでしょ?」
一二三が頓狂な声を出した。
「あ?」
谷が顔を上げると、拾門もしゃがんで手を振っている。
「ない、ない。原田はねーよ」
「なんでじゃっ?」
谷が声を荒げるが、一二三も拾門も「当たり前でしょ」という表情(かお)だ。
「なんでもなにも」
「すぐ分かんだろ?」
「・・・」
2人の態度が勘に触ったのか、谷が持っていた篭目をいきなり放り投げた。
拾門はしゃがんだまま手を伸ばしキャッチする。
「あっぶねぇなー」
「とにかく、わしゃあ・・新選組ば許さんぜよ」
谷の言葉には強く堅かった。
他人から何を言われても、耳を貸す気は微塵も無い真っ直ぐさである。
「暗殺は、実行犯と黒幕がいるもんだけどね」
一二三は困ったように首を傾げた。
「黒幕ぁ分かっちょるきに」
谷の言葉に、拾門が顔を上げる。
「いちおう聞くか・・」
「紀州藩の三浦休太郎ぜよ。やつぁ、いろは丸沈没で坂本に恨みば持っちゅう」
谷の眼が夜闇の中で鈍く光った。
「ふーん」
拾門は立ち上って、ほんの少し前に出る。
「オレらは興味ねーよ、政治(まつりごと)なんざ」
今度は・・一二三が歩を進めた。
拾門より少し前に出て、立ち止まる。
「興味があるのは小判だけ」
一二三がニッコリ笑う。
天使のような笑顔であった。
吐き出す言葉がそれを汚す。
「地獄の沙汰も金次第ってね」
谷は諦めたように息を付くと、迷いの無い声で言った。
「新選組は潰すき・・三浦も殺すねゃ。銭に糸目はつけんき・・力貸しとうせ」