第二百六十話 真夜中の訪問者
1
藤堂がなんとなく坂本のことを思い出していると、廊下から声がかかった。
「お酒、お持ちしました」
鈴の声である。
「おう、待ってたぜー」
藤堂が威勢の良い声で答えた。
スラリと障子が開いて、鈴が出来るだけ正座を崩さないようにして入って来た。
「冷えますんで」
お盆にお銚子が2本載っている。
熱燗をつけてきたのだろう。
廊下に面した中庭に目をやると、いつの間にか小雨が降り始めている。
「ちょうど良かった、カラんなっちまったとこだったぜー」
藤堂がお銚子を逆さにして振って見せると、滴がしたたった。
鈴は静かに障子を閉めると、中腰でお盆を運ぶ。
こぼさないように神経を集中しているのが、なんとも初々しい。
「あれ、着けてねぇの」
藤堂がちょっとガッカリした声を出した。
「なんどす?」
鈴が顔を上げると、藤堂が頭を指差している。
「簪(かんざし)だよ。この前、やったろ」
「あ・・」
鈴が思わず俯く。
この前、藤堂が鈴に簪を買って来たのだ。
桜の花弁の細工が施された小さい鈴がついた簪である。
チリンチリンと音が鳴るのは、根付には多いが、簪は珍しい。
店先でふと目に止まり、なんとなく手が出た。
深い意味も無く「ほら、やる」と、鈴に手渡したら、無言で目を潤ませているので、ちょっと驚いた。
「今日、藤堂はん来る前に着けてみたんやけど・・なんやチリンチリン鳴って、みんなから、うるさい、ゆわれて」
鈴がシドロモドロで答える。
確かに、頭を揺らす度に音がしたらうるさいかもしれない。
「そっか、うるせーか。失敗だったなー」
藤堂が、ハハハと笑った。
「あ、で、でも・・大事に持ってますさかい」
鈴が慌てたように口走る。
「着けねぇで持ってたって、しゃあねぇだろ」
藤堂はアホくせぇという顔でつぶやいた。
「はぁ」
鈴は素直に頷く。
藤堂が簪を鈴に買ったのは、大した理由は無い。
もともと女の子を喜ばせるのは好きなのだ。
それに・・鈴は一目でお下がりと分かる古いボロボロの着物ばかり着ている。
「若ぇ娘っこがもったいねぇな」というのが、藤堂の感想だった。
藤堂は、両手を後ろの畳につけて身体を後ろに伸ばした。
あぐらを崩し気味にした姿勢で、鈴を眺める。
「なんどす?」
困惑顔で鈴が首を傾げると、藤堂は体勢を戻して背を丸めた。
「・・なんか似てると思ったけど、やっぱそうだ」
「は?」
「ハナコだ・・薫が飼ってた子豚」
「は?」
鈴はややポカンとしている。
藤堂はなんだか楽しそうだ。
「屯所で子豚飼ってたんだよ。ハナコっての」
「ハ、ハナコ?」
「うん。似てんだ、おめぇとハナコ。丸くて小っこいとこが」
「子豚・・」
鈴が繰り返すと、藤堂が楽しげに答える。
「ああ」
鈴がふいに立ち上がった。
「お?」
見上げる藤堂を尻目に、ガックリ肩を落として障子の方へ歩き出す。
「おい、どした?」
藤堂が声をかけると、鈴が小さく振り返った。
「なんや・・藤堂はんってイケズやね」
「は?」
今度は藤堂がポカンとしている。
障子が閉められると、部屋には藤堂がひとり残された。
ボリボリと頭を掻いている。
「どしたんだ?」
2
この日の深夜、新選組の屯所に訪問者があった。
24時間体制で門に見張りを立てているが、この訪問者は相変わらず顔パスで入ってくる。
東御役所の廻り方同心、井上大助だ。
「こんな夜更けにどうした。大助」
玄関先に出た土方の後ろには、永倉と原田と山崎が立っている。
さらに、大アクビをしながら、沖田が廊下に出て来た。
「土佐の坂本が殺されました」
前置き無しで大助が言い捨てる。
土方も、さすがに顔つきが変わった。
「坂本が・・?」
永倉と原田が同時に声を出す。
「どこでだ?」
山崎の問いに、大助が低い声で答えた。
「河原町の近江屋です。一緒にいた陸援隊の中岡が斬られて重傷」
「・・下手人は?」
土方が冷静な声で訊くと、大助は首を振る。
「逃げられた後ですよ」
大助は珍しく険しい表情だ。
「現場はいま大騒ぎです。あっちこっちから聞きつけて野次馬が集まってらぁ」
玄関に降りようとした永倉の肩を、大助が手を置いて押し留めた。
「行かねぇ方がいい」
「なんでだよ?」
永倉が怒気を孕んだ声を出すが、大助は手を外さない。
「現場に集まってる連中のほとんどが、新選組の仕業だと思ってんだ」
「なんだと・・?」
土方が眉を上げる。
近江屋は土佐藩邸の目と鼻の先にある。
剣豪の坂本に奇襲をかけて、周囲に気付かれることなく瞬時に仕事を終えて逃げおおせるなど、ごく限られた殺しのプロにしか出来ない。
動機だけで考えれば、心当たりが多すぎて絞り込むのは難しいが、暗殺を実行出来る人物は自ずと限られてくる。
「ふーん・・疑われてるってわけね、オレら」
柱に寄りかかった沖田が口を挟む。
この場の空気にそぐわない明るい声だ。
「山崎。近藤さんに報せろ」
「は」
土方の命令で、山崎はすぐに玄関を出て暗闇に姿を消した。
「大助」
土方が呼ぶと、大助が顔を上げる。
「なんです?」
「坂本を殺ったのはウチじゃねぇぞ」
土方の目が暗闇の中で底光りしている。
大助は息をついた。
「さぁ、どうだか。ま・・ヤツぁあっちこっちから狙われてたけどな」
土佐の坂本が殺され、中岡が瀕死の重症を負ったなれば、政局への影響は計り知れない。
坂本と中岡の信奉者達が、死にもの狂いで犯人探しをするだろう。
「バカなことしたもんだぜ、坂本を殺すなんざ」
大助がポツリとつぶやいた。
「オメェはそう思うのか」
土方が低い声で問いかけると、大助が返す。
「ああ。笑えるぐれぇの大バカだぜ」
すると・・
土方がおもむろに玄関に降りた。
大助の横を通り過ぎて、門に向かって歩き出す。
表を警備をしている隊士に声をかけた。
「火を消せ。中に入って閂をかけろ。・・朝になるまで誰も入れるなよ」
3
その夜、幹部は誰も眠らなかった。
変装した監察方の隊士が河原町に潜んで、聞き齧った内容を次々に報告してくる。
大助は、あれからいったん戻ったが、丑の刻が終わる頃、また屯所に姿を現した。
「どうやら連中・・新選組を下手人にするつもりらしい」
奥の部屋であぐらをかいた大助が、蝋燭の明かりの中で薄笑いを浮かべる。
「ほぉ」
土方は驚いた様子も無い。
部屋には土方と大助の2人だけだ。
近藤は黒谷の会津本陣に行ったきり留守だ。
土方が息をつく。
新選組に容疑が向けられるのは当然のことだろう。
このまま真犯人が見付からなければ・・。
「鞘と下駄が残ってたらしい。黒蝋(くろろい)の鞘が一差しと下駄が二足。下駄のひとつにゃ"中"の焼印。もうひとつにゃ瓢箪(ひょうたん)柄が入ってたと」
大助の言葉を土方が拾う。
「"中"の焼印と、瓢箪柄?」
「中村屋の下駄と瓢亭の下駄じゃねぇのかって話だ」
大助がボソリと答えた。
「中村屋の下駄は坂本が履いて帰ったんだろ」
土方が言い捨てると、大助が続けた。
「問題は・・瓢亭の下駄だよ。坂本が瓢亭に出入りしてたって話は聞かねぇ」
「・・何が言いてぇ?」
土方が低くつぶやく。
「先斗町(ぽんとちょう)の瓢亭(ひょうてい)は・・長州藩邸や土佐藩邸が近ぇのに、新選組が良く出入りしてる店だ」
大助の言葉を、土方が遮る。
「・・だから?」
「下手人は新選組だって、鬼の首獲ったみてぇな騒ぎんなってるぜ。土方さん」
大助は奇妙に明るい声だ。
「あほう。瓢亭の下駄履いて殺しに行って、わざわざ現場に残すマヌケがいるか」
土方が一喝した。
「たしかに・・オレもおかしいとは思ってんでさぁ、へへっ」
大助が肩を揺らして笑った。
「それと・・現場に残ってたって下駄。オレたち同心は誰も見ちゃいねぇ。土佐と薩長の連中が言ってるだけだ」
「・・なんだ、そりゃ」
土方が眉をひそめる。
大助が顎に手をあて、首を捻った。
「どうも、こうも・・色んな連中が騒ぎ出して、奉行所がまともに調べることも出来ねぇ有り様だ。土佐藩邸に運ばれた中岡は、話は出来るようだが・・それもこっちまでは聞こえてこねぇ」
土方は険しい顔つきで聞いている。
「新選組が下手人になりゃ喜ぶ連中が多いってこった。なぁ、土方さん」
大助の言葉を、土方がアッサリ返した。
「だろうな」
「それと・・」
大助がおもむろに言った。
「現場に伊東さんが来てましたよ」
「伊東が?」
「ま・・あの人ぁ、薩摩の中村とツーツーだからな。オレより先に現場に来てたぜ」
大助は苦笑している。
「んで・・」
大助が、どう言ったものかと、顎をポリポリ掻いた。
「残ってた鞘を見て・・"新選組の原田左之助のもんだ"っつったらしい」
土方が一瞬、目を見開く。
「はぁっ?」
声を上げた。