第二百五十九話 カルボナーラ
1
「ベーコンが無いからなぁー」
薫がうなった。
うどんパスタはさして難しくないが、カルボナーラにはやっぱりベーコンを入れたい。
「やっぱ無理だよなぁ・・」
首を捻る。
ベーコンは豚肉の燻製だが、手間がかかるし工程が長い。
豚肉を血抜きして、塩漬けにして、塩抜きして、風乾燥して、熱乾燥して、燻煙して、また熱乾燥。
薫は燻製の知識が無いので、到底、作れる自信が無かった。
行き当たりバッタリでテキトーに作ってみても、豚肉をダメにしてしまうだけだ。
(ベーコンなんて江戸時代にあるわけないもんね)
ふぅっと、息をつく。
薫は知らなかったが、この時期すでにベーコンは日本に伝わっていた。
オランダ人が、ハム、ソーセージ、ベーコンを長崎に持って来て、オランダ屋敷で作られるようになっている。
だが・・正式に普及するのは第一次世界大戦後にドイツ人捕虜が最新の製法を伝えてからだ。
「よし、諦めよう」
簡単に諦めた。
薫はカルボナーラに瓢亭(ひょうてい)玉子をトッピングしようと決めている。
環のハートを瞬殺できるメニューだと見込んでいた。
のんびり燻製の研究などしていたら、せっかくの卵が痛んでしまう。
今日中にピカピカツルツルの卵を消費してしまいたい。
「秋だし、キノコは沢山あるから。キノコのカルボナーラでいんじゃない?」
独り言をつぶやいて、炊事場の籠にドッサリと入ったキノコを見た。
あるもので調理するのは薫の得意技である。
「牛乳・・蘇・・小麦粉・・塩・・胡椒」
ホワイトソースの材料を順番に台に並べた。
「玉ねぎが無いからなぁ~・・」
ポリポリと頭を掻く。
「ま、長ネギでいっか」
卵が大好きな環の喜ぶ顔が浮かんで、ついつい鼻唄も出て来る。
「フンフン~♪」
すると・・
「あら、薫。なに作ってんの?」
板の間から、ゴローが下りてきた。
「あ・・ゴローママ。稽古終わったの?」
薫はしゃもじでホワイトソースを伸ばしながら、顔だけ振り向く。
「まだまだぁ~。もぉ、しんどくってぇ。お冷やいただきに来たのよぉ~」
ゴローは汗だらけだ。
「それ、なぁに?」
「ホワイトソース」
「ほわいとそぉす?」
「うん」
薫の言葉を聞いて、ゴローが息をつく。
「アンタってわかんないことばっかり言う子よねぇ~」
薫は黙ってしゃもじを動かした。
「ま、そこが可愛っちゃ、可愛いんだけどねー」
ゴローはそう言って、薫のオデコをコツンと突く。
薫がテレ笑いを浮かべると、ゴローがふと真顔になった。
「そういえば・・総司ちゃん。・・なんだか具合良くないみたいねぇ」
「え?」
薫が顔を上げると、ゴローが息を付く。
「ここんとこ稽古中にしょっちゅう、いなくなるのよ・・さっきも」
薫は黙り込んでしまった。
(また・・道場裏で、ひとりで咳き込んでるのかな)
2
薫の心配を他所に、沖田は夕餉の席にはちゃんと姿を現した。
何食わぬ顔で座っているので、一見して体調を崩しているようには見えない。
『体調悪くない』の演技が板に付いているので、信用できないのだが。
「今日は新しいウドン作ってみました」
薫は努めて明るい声を出した。
部屋にはいつもの試食メンバーが座っている。
うどんのカルボナーラは、ほぼ予想通りに仕上がった。
皿に盛られたパスタの中央には、瓢亭の半熟卵が2つに割られてトッピングされている。
(注:瓢亭の半熟卵は、外側の白身が茹で卵で、中の黄身がほぼ生のタイプです)
「カンドー・・グスン」
環の声がやや潤んでいる。
「お嬢、そんなに嬉しいのか?」
原田の問いに、環は素直に頷いた。
「うん。だって・・カルボナーラ大好きなんだもん」
「"軽ぼオナラ"?・・変な名前だな」
永倉が、少し首を傾げる。
「どう聞いて、そうなるんですか」
好物のイメージを損ねる発言に、環が抗議した。
「いーから、食おうぜ~」
原田がヘラヘラと仕切る。
この一声で、みなが箸でうどんを食べ始めた。
「うんめぇ~っ」
永倉が声を上げると、原田も頷く。
「おー、イケル、イケル」
すると・・
静かに食べていた土方が、ふと箸を動かす手を止めた。
「左之、さっきの話だが・・」
「ん?ああ・・中村屋のことか?」
原田が顔を上げる。
[※中村屋(旧:柏屋)は八坂神社の表参道に向い合せる二軒茶屋のひとつで、「中村楼」の源泉となった料理茶屋です]
「ああ。あっこは土佐藩の常店だからな。どこぞに匿われてる坂本が・・ノコノコ現れる可能性もある」
土方の言葉に、薫と環が顔を上げた。
(坂本って・・もしかして、坂本龍馬のことかな)
声には出さず、2人で顔を見合わせる。
「十番隊が見廻りの担当だ。人を増やして、付かず離れず監視に当たれよ」
土方のセリフに、原田は軽く答えた。
「ああ」
早食いの原田は、うどんをズルズルと啜って、皿をカラにした。
カランと箸を皿に投げると、息をつく。
「っつーか・・見廻組がベッタリ張り付いてるし、西臭ぇ連中が出待ちしてるしで。なんかもう、満員御礼って感じだぜ」
「いいから陣取れ。遅れを取るな」
土方も食べ終えて、爪楊枝を口に含んだ。
すると・・
「ごっつぉーさん」
沖田が、カラになった皿に両手を合わせて、小さく背を丸めて拝んでいた。
薫が腰を浮かして声をかける。
「沖田さん、おかわりは?」
「げっぷ」
沖田が一言で答えた。
「けど・・」
爪楊枝をくわえて、行儀悪く肩膝を立てる。
「この、なんとかオナラって、うめぇじゃねぇか。また作ってよ」
「カルボナーラですっ」
薫と環が異口同音で声を上げた。
3
それから3日後の夜。
藤堂は祇園の『小川』に来ていた。
斎藤とシンが逃走した日から、祇園に繰り出すのは初めてだ。
小部屋でひとり、手酌でお銚子を傾けながら酒を呑む。
一昨日、つまり斎藤とシンが逃げた翌日・・藤堂は伊東に伴われて、河原町にある醤油屋『近江屋』に行った。
土蔵に潜伏している、土佐の坂本龍馬に会うためである。
潜伏場所を変えるよう勧めるのが目的だった。
坂本は、あちこちから命を狙われているのだが、伊東は、新選組と見廻組の情報収集能力を最も危険視している。
一か所に長居するのは危険極まりないと考え、坂本と懇意の中岡慎太郎を通して、面会を申し入れた。
伊東は中岡とは面識があるが、坂本と直接の遣り取りをしたことがない。
だが、薩長が徳川に成り代わるのでなく、あくまで朝廷主体の政治を推し進める坂本の考えに、伊東は大いに共感していた。
武力倒幕を避けて政治的な解決を望む考えも、この2人は良く似通っている。
伊東は坂本の命を守ろうと、中岡に粘り強く交渉し、やっと面会の約束を取り付けた。
「君も一緒に来たまえ、藤堂くん」
伊東に言われて付いて行ったが、藤堂も坂本という男には興味があった。
藤堂は一時期、北辰一刀流の名門・玄武館(※北辰一刀流の開祖・千葉周作の道場)の門弟だった。
坂本は千葉道場(※千葉周作の弟の道場)の門弟だった時期がある。
(土佐の坂本って、剣の腕はどうなんだ・・?大したことねぇのかなぁ)
道すがら、呑気にそんなことを考えていた。
藤堂にとっての"漢(おとこ)"とは、卑怯な振る舞いをしないものだ。
つまり・・鉄砲などの飛び道具は、漢が持つ武器ではないと思っている。
実際、戦国時代は、武士が使うのは槍や剣であって、鉄砲は身分の低い足軽が使う武器だった。(※なので「足軽鉄砲隊」の名称)
"一騎打ち"という言葉が美化されており、飛び道具などは下の下の武器である。
名門道場の門弟でありながら、実戦で真剣を抜くことはなく、鉄砲で護身する男が、藤堂には今一つ理解できない。
だが・・本人に会って、その印象が変わった。
(あの男の武器は、どうやら剣じゃねぇなぁ)
ハッキリ言って、坂本はほとんど伊東の言葉に耳を傾けることなく、ひたすら饒舌だった。
「ちぃっと、風邪気味やき」
そう言って、ドテラを着込んだ大男が、手拭でズルズルと鼻をかみながら、アメリカやイギリスの進んだ政治の在り方をエンエンと喋りまくる。
(あの男ぁ・・攘夷でもなんでもねぇや)
藤堂は、クイッと酒を煽った。
この時期の坂本は海外渡航を熱望している。
若かりし頃の攘夷熱など、勝海舟に出会った時に、チリのよう霧散した。
(鉄砲ってのは、頂けねぇが・・面白ぇ男だよな)
なんとなく酒が進む。
坂本は、子どものように吸収し、子どものようにアケスケで、子どものように自由だった。
藤堂は、その自然体な姿をうらやましいとさえ感じる。
それは・・どこか自分が己れを偽っているような気がするからだった。
(あんな、ガキみてぇに憎めねぇ男もいるんだな)
剣術に優れ、弁術に優れ、倒幕活動をしながら幕臣(勝海舟)の弟子にもなっている不可思議な時代の寵児。
そして・・
これから一刻(いっこく/2時間)ののち・・近江屋に暗殺者が押し入り、坂本龍馬が惨殺される。