第二百五十話 茶屋
1
斎藤はこの頃、浮名を流している。
祇園に気に入った妓(オンナ)が出来て、ちょくちょく足を運んでいるというものだ。
女遊びが苦手と思われていたのに、随分変わったものだと藤堂が茶化した。
この夜も・・祇園の茶屋『千本』の二階に来ていた。
斎藤の前に座っているのは・・
「山崎さん、板についてきたよなぁ・・そのカッコ」
斎藤が薄暗がりの中から眺める。
山崎は不寝番(ふしんばん)の 姿(なり)をしていた。
[注:不寝番は遊女の見張り役。火の用心。揉め事の仲裁役]
ほっかむりを外すと、バサリと髪が落ちる。
襟元は大きく開いて、袖から片腕を抜いていた。
ここのところ斎藤は、山崎との遣り取りが増えてきている。
「土佐の坂本が、薩摩と密約を結んだって情報が入った」
あぐらをかいて腕を組んだ山崎が、淡々と話し出した。
「見廻組がやっきになって探している」
山崎は斎藤の潜入任務を知っている数少ない隊士である。
「伊東が九州に立ったのは、攘夷派との密会が目的だろうな」
山崎の言葉に、斎藤は相槌を打った。
「ああ・・」
「連中が本気で倒幕をやるってんなら・・全面戦争になるのも時間の問題だろうが」
山崎はあくまで淡々としている。
「その前に・・こっちに火がつくかもしれん」
「こっち?」
斎藤が胡散臭い表情で見ると、山崎は苦笑した。
「伊東の立場が微妙だってことだ」
「あ?」
斎藤が顔を上げると、山崎が含んだ笑いを浮かべる。
「元新選組参謀、つまり大幹部。攘夷派の連中からすれば、憎んでも足りない新選組の親玉だったんだ。そう簡単に信用するとは思えない」
「だから?」
斎藤の問いかけに、山崎が簡潔に答えた。
「手土産が必要だろうな」
「手土産・・?」
「ああ。招かれざる客が媚びる時には、必ず手土産を用意するもんだ」
「それって」
「手ブラじゃ色気がねぇだろう」
斎藤が息をつく。
「なに・・手土産にすんだよ」
「・・伊東の息のかかった連中は脱走騒ぎで全員粛清された。こっちの内部情報はもう手に入らん」
山崎は世間話のような口調で続けた。
「あとは・・」
「なんだよ」
斎藤が訊くと、山崎が意味深な笑みを浮かべる。
「首だな」
「クビ?」
「ああ。連中が喜ぶ頭のくっついた手土産首だよ」
窓の外から、虫の音が聴こえていた。
2
同日夜、祇園の茶屋『小川』の二階。
遊女とコトを終えた藤堂が、朱い布団の上で一人寝をしていた。
終わると途端に淡泊になる藤堂は、眠る前に遊女を帰してしまうのが常だった。
「・・う~ん」
尿意を催し、目を覚ます。
素っ裸の身体に夜着を引っ掛けると、障子を開けて廊下に出る。
すると・・
「す、すんまへん。すんまへん。堪忍どす」
涙声の少女が、廊下の真ん中で土下座していた。
「無礼者が・・」
少女の前で、いかつい侍がワナないている。
見ると・・廊下にお膳がぶちまけられていた。
どうやら「お運び」の女中が、客の男にぶつかってしまったらしい。
男の着物にも汁物が飛び散っていた。
階下から番頭姿の男が慌てて駆けあがって来た。
藤堂の脇を通り過ぎると、廊下の惨状を見て膝をつく。
「お侍さま、申し訳もございまへん。汚れたお着物は当方で買い取らせていただきますよって・・なんとかお目こぼしを」
言いながら少女の頭を手で抑え込むので、少女は板の上に額をスリつけたまま身動き取れなくなっている。
「階下の部屋でお着替えを」
番頭はそそくさと立ち上がって侍を誘導した。
見物している藤堂の脇を2人が通り過ぎる。
客と番頭がいなくなると、廊下の柱の陰から年長の女中が現れた。
「だいじょぶかいな?」
「・・姐さん」
土下座の姿勢で固まっていた少女が、ようやく頭を上げる。
「見てたで。あん客がぶつかって来たんやないの。酒で足元フラついてぇ。アンタの方に倒れ込んで来やって」
怒りを滲ませた声で少女の潔白を主張しながら、床にぶちまけられた料理を手で集めて皿に戻していた。
少女は黙ったまま手を動かしている。
姐さんと呼ばれた女中が立ち上がった。
「あーもー、汚れてまったわ。手拭持ってくるさかい、待っときぃや」
明るく少女に声をかけると、小走りで頭を下げながら藤堂の横を通り過ぎていく。
(なるほど)
「ホラ、これも使えよ」
藤堂が袖に入れた手拭を抜いて、少女の目の前にブラ下げた。
「えっ?」
いきなり背後から声をかけられ、驚いて振り返る。
立ち上がった少女は、まだ幼さの残る愛らしい早乙女だ。
「あの・・」
少女が不思議そうに藤堂を見上げる。
「あ、気にしなくていーから。小便行った時、手ぇ拭こうと思ったけど。袖にコスるから大丈夫、大丈夫」
藤堂がニコニコ笑うと、少女は困惑した表情を浮かべた。
「ほら、手ぇ拭けよ」
藤堂が手拭を手渡すと、少女が慌てたように首を振る。
「いけまへん。お客はんのもん汚したら、叱られますよってに」
「言わなきゃバレないって」
藤堂の脳天気さに、少女が困ったように見上げた。
「あの・・」
すると・・
「お待っとうさん」
さっきの姐さん女中が、水を張ったタライと雑巾を手に戻って来た。
「お」
藤堂は顔を上げると、手拭を少女の頭にパサリと載せる。
「使わねぇなら捨てていいぜ」
そう言って踵を返す。
少女の声が追いかけて来た。
「あ、あのっ」
「あ~・・モレそうだから、じゃあな」
一言残すと、階段をトントン降りて行く。
3
厠で用を足して二階に戻ると、藤堂の部屋の前にさきほどの少女が立っている。
「あ・・」
藤堂を見つけると、足早に駆け寄って来た。
深く頭を下げると、両手で手拭を差し出す。
「さっきはありがとはんどした。・・これ」
「あ?・・ああ」
藤堂は素直に手を出して手拭を受け取った。
手拭は重く濡れている。
「すんまへん。洗ったけんど、まだ乾いとらんで」
少女は顔を上げた。
落ち着いて少女を見てみると、おそらくまだ15才にも満たない幼さである。
子どもの時分から年季奉公に出されている口だろう。
「いいって」
藤堂は片手をヒラヒラ振ってみせた。
少女が安心したように息をつく。
「おめぇ、名前は?」
ほんの好奇心で訊いてみると、少女が素直に名乗った。
「鈴(すず)いいます」
「鈴?」
藤堂がオウム返しに訊くと、少し恥ずかしそうに頷く。
(鈴か・・)
藤堂の頭に思い浮かんだのは、薫と環が探索の任務を行った時、"鈴"の偽名で薫が団子屋の売り子に扮したことだった。
(懐かしいぜ)
腕を組んで思い出す。
「どないしはったんどす?」
不思議そうに覗き込む鈴に、藤堂が軽く笑って答える。
「ああ、いや・・妹のこと思い出しちまってな」
「妹はん?」
鈴が訊き返すと、藤堂は頷いた。
「ああ。とびきり可愛いのと、とびきり美人なのがいるんだ」
「ほんまどすか」
あからさまな身内自慢に、鈴は素直に相槌を打つ。
すると・・
ハッとしたような顔をすると、頭を下げた。
「ほんならウチこれで」
足早に廊下の向こうに去っていく。
藤堂が振り返って見ると、階段から番頭が上がって来た。
「藤堂さま。さきほどは見苦しいとこお見せしてもうて」
番頭は恭しく頭を下げる。
祇園の『小川』は、藤堂を含め、御陵衛士の常店である。
屯所が祇園の目と鼻の先なので、しょっちゅう足を運んでいた。
「ああ・・さっきのは、酔っ払った客の方が女中にぶつかったみてぇだぜ」
藤堂は顔だけ振り向いて言った。
「藤堂さま。ここはお沙汰をするとこやおまへん。お客さまに楽しんでいただくとこですよって」
番頭は営業スマイルを張り付けたままだ。
「わかったよ。けど・・あの娘を折檻するとか、給金差っ引くとかは勘弁してやってくれよ」
藤堂は部屋の障子を開けて中に入ると、脱ぎ散らかした着物の袖から財布を取り出した。
一両抜いて廊下に戻ると番頭の手に握らせる。
「これでチャラにしてくれ」
[注:幕末の慶応年間は超インフレのため貨幣価値が暴落]
番頭は小判を素早く袖にしまい込むと、笑いながら息をついた。
「ご奇特なことでんなぁ」