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第8話

 ヒューリウ郊外に樹齢何百年という大木が、広範囲にわたってうっそうと生い茂る森がある。昔から神隠しや遭難者が相次ぐ、樹海として有名な場所だ。

この森に足を踏み入れる者は、何代にも渡りこの森で狩りをしてきた経験豊富な猟師か、何も知らない旅人、もしくは自殺志願者くらいである。

正式名称はキエスティックの森。

しかしこの名前が使われるのは、今や公式文書くらいだ。

ヒューリウ近郊に住む者は、その森がヒューリウから見て西にあることからこう呼ぶ。

西の森と。


「しっかし、ホントにいいんスか? 案内人もなくて」

すたすたと自信たっぷりに歩いていくマティーダの背中に向かって、ヴォルフは問いかけた。

天に届けとばかりに育った大木が、地面に暗い影を落としている。

むっと濃い緑と土の匂いが、鼻に届く。

かろうじて獣道のようなものがあるが、それを一歩踏み外せば、生きて帰れる保証はない。

それなのにマティーダの歩みに、恐れやためらいは見られない。

ヴォルフは屋敷の武器庫から好きに選んで良いと言われて選んだ太刀で、通り道の樹に軽く印をつけながら進む。帰れなかったら洒落にもならないからだ。

「大丈夫ですよ、ほこらまでは一本道です。盗賊たちも無茶はできないからでしょう。それにあの猟師には、精鋭部隊の案内を頼みました。あちらは文字通り、道なき道を行くのですから」

マティーダは短剣で道をふさぐつたを切り拓きながら答えた。

彼女はいつも着ている官服の上に皮の防具をつけ、さらに外套がいとうを着ていた。

これから盗賊団の元へ行くにしては、身軽な格好である。

ヴォルフはというと、いつもよりやや上等な服に防具はなし。

ただし厚めの生地であるので、ほんのわずかだが防御力はある。

腰にはく太刀はそれほど長くも大きくもない、いたって実戦的なものだ。

それにずっしりと重い皮袋を背負っているのだが、本人はいたって軽々とした足取りである。

普通は護衛であるヴォルフが先を歩くものなのだが、マティーダの方が身が軽く、ヴォルフは両手がふさがっているため、先導しているのだった。

「……あなたには、つき合わせて申し訳ないと思っています。無事に事が済めば特別報酬を出しますから、月末を待たずに自由の身になれるでしょう」

マティーダは振り返らずに言う。

その声に感情の色はない。ただ淡々とした声音だ。

「別にいいっスよ。どうせ俺らキウラは、水汲みや薪割りよりもこういう仕事の方が向いてるっスから。それに奴隷は主の言うことを聞くもんっしょ?」

ヴォルフは気にしてないという口調で言ったが、マティーダの肩がビクリと動いた。

「そうですね。それにつけこんでいるという自覚はあります。しかしどうしてもあなたの力が必要なのです。何としてでもジルベールを無事に救出したいのです」

ザッと蔦を切り裂く短剣に力が入る。

その手は微かにだが震えていた。

マティーダはジルベールが生まれるまでは、領主となるための教育を受けたし、生まれた後も、ジルベールを補佐するためにありとあらゆる教育を受けてきた。

その中には、もちろん武術も含まれており、指南役にはなかなかの腕と褒められた経験もある。しかし試合をしたことはあっても、実戦を、命のやりとりをしたことはない。

だから短剣以外に武器を持ってこなかった。例え武器を持っていたとしても、役に立つどころか荷物になるだけだと思ったからだ。

ジルベールという人質がいるというのに、いきなり実戦で試すことは、マティーダにはできない。

物心つく頃から武術を徹底的に叩き込まれ、旅に出てからは幾度となく実戦を重ねたヴォルフには、彼女の震えの原因が分かった。だから彼はわざと明るい声で応える。

「だからいいって言ってるじゃないっスか。さぁ、さっさと行かないと陽が暮れるっスよ」

「えぇ、そうですね。急ぎましょう。」

木々の隙間から見える太陽は、わずかに西に傾いていた。


盗賊団『我らが悪党』の頭は、現れた女性が担いでいる皮袋を見て、にやりと笑った。

「これはこれは、領主様、こんな所までご苦労なこって」

「ここを指定したのは、あなた方でしょう。それに私は領主代理であって領主ではありません」

荒くれ者の集団を前に、マティーダは怯えの欠片すら見せず、いつもと同じ調子で答える。

答えながら、軽く三十人ほどいるむさくるしい男たちの中でも、一番体格がよく、一番偉そうなこの男が頭だろうと見当をつけた。

マティーダは担いでいた皮袋を下ろした。

ドサッと重たそうな音が響く。

その皮袋の口を開け、中身を盗賊たちに見せた。

その中身を見て、盗賊たちはごくりと生唾なまつばを飲み込んだ。

大量の金貨や宝石が、まばゆいばかりに光っていたからだ。

「身代金を持ってきました。これだけあればそれだけの人数でも数年は遊んで暮らせるでしょう。さぁ、早くジルベールを返してください」

頭は後ろに控えていた子分に顎でしゃくって合図をした。

その男は軽くうなづくと後ろに下がり、後手に縛られたジルベールが連れてこられた。

「ジルベール! 怪我はありませんか?」

「姉上!」

ジルベールは義姉の姿を一目見るなり、駆け寄ろうとしたが、盗賊団の頭に羽交い絞めにされた。

「おうっと、人質は身代金と引き換えだって、言ったはずだぜ? 領主代理様、その皮袋ごとこっちに持ってきてもらおうか」

マティーダは黙ってその指示に従った。

皮袋を持ち、盗賊たちまで、あと十歩ほどの所で立ち止まる。

「ジルベールと交換です」

「わかってるさ、代理様。いちにのさんで、あんたは袋をこっちに投げる。俺は坊ちゃんの手を離すんだ。いいな?」

「えぇ、分かりました」

マティーダは両手で皮袋を持ち、反動をつける。

「「いち、にの、さん!」」

マティーダの手から皮袋が離れ宙を舞った。同時にジルベールも自由の身になった。

ただし、それは一瞬だけだったが。

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