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第6話

マティーダは執務室の机の上が書類でいっぱいになっているのを見て、こっそりとため息をついた。

出て行く前にたまっていた書類はすべて処理したはずだったが、ちょっと席をはずしているうちに、こんなにもたまってしまった。

税務の計算だとか街道整備の点検だとか予算の分配だとか陳情の処理だとか、やることは山ほどある。

諦めて机につくと、片っ端から書類に目を通し、部下に必要な命令を下し、処理していく。

これも後六年ほどの辛抱だと思えば、こなせることだった。

ジルベールは今九つ。<帝国>では十五になれば成人として認められる。

成人していないものには、伯爵家を相続できても、領主として認められることはできない。

普通は後見人がつき、実務を任される。

しかしクオレッド伯爵家にはマティーダがいた。

マティーダは正式に届出を受理された養子であるから、伯爵家を継ぐのに問題はない。

実際、幾人かからはマティーダが本当に伯爵家を継いではどうかと打診があった。

マティーダはもちろん断った。

ジルベールという伯爵家の正統な後継者がいるというのに、何故養子の自分が後を継げるというのだろうか。

確かにマティーダはジルベールが生まれるまで、後継者として育てられた。

当たり前だ。そのために引き取られたのだから。

ジルベールが生まれた時は、これで自分もお払い箱かと思った。

けれど伯爵夫妻は、マティーダをジルベールの姉として、分け隔てなく育ててくれた。

その恩を返す前に夫妻は<帝都>へ行く途中、落石事故で亡くなってしまった。

残された幼いジルベールを、立派な伯爵家の跡取りとして、このヒューリウを治める領主として育てるのが、夫妻への恩返しになる。

それに姉上、姉上と無邪気にしたってくれるジルベールは、とても可愛い。

ジルベールが成人するまで、伯爵家とヒューリウを守るのが自分の使命なのだ。

そんなことを考えながらも、マティーダの手は止まらず、次々と書類を片付けていく。

この調子なら、今日は早く仕事を終えられるかもしれない。

そうしたら、ジルベールの勉強を少しみてあげようか。

ジルベールにつけている教師によると、やや数学が苦手のようだから。

しかしこのマティーダの考えは、突然部屋に跳びこんできた執事によって遮られた。

「た、たたたた大変でございます! マティーダ様!」

いつも穏やかに笑っている伯爵家の優秀な執事だったが、今は慌てふためいていて、いつもの冷静さは微塵もない。

「いったいどうしたと言うのですか? 落ち着いて話してください」

「こ、これを……」

執事は一本の矢と、紙片、それと見覚えのあるリボンを差し出した。

矢文である。

その紙片を開き、内容を読んだマティーダの顔が、みるみる青くなる。

ぽと。

床に敷き詰められた絨毯じゅうたんの上に、マティーダの手から矢が落ちた。

震える手で紙片を持ち、何度も何度も紙片の上に書かれた文字を確かめる。

そこにはへたくそな字で、こう書かれていた。

「『ヒューリウ領主代理へ。弟は預かった。返して欲しければ金を用意しろ。早く来なければ義弟の命はないものと思え。ヒューリウ郊外の西の森のほこらにて待つ』……このリボンはその証拠というわけですか」

マティーダはリボンを握り締めながら言った。

このリボンは、ジルベールがしていたものに間違いない。

「しかし……」

マティーダは矢文の最後に書かれた署名を見て、緊張感をそがれたような気分になった。

「報告を聞いて知ってはいましたが、また変な名前ですね」

これは最近南方からやってきた盗賊団の名前に間違いない。

あまりにも気の抜けた名前なので、一度聞いたら忘れられない名だ。

矢文の最後には、『我らが悪党』と書かれていた。


ジルベールは後悔していた。

一人で街に行くことは、マティーダや執事たちから厳しく止められていた。

いくら暢気者が多いヒューリウだといっても、犯罪の発生率は決して低くない。

ガラの悪い者も多くいる。

そこへ身形のよい、まさに貴族という格好をした子どもがのこのこと現れれば、さらってくださいと言っているようなものだ。

奴隷市は役人によって厳しく管理されているが、見つかれば厳罰覚悟の闇奴隷市があることも事実。

そこでは届出が出されない非合法の人身売買が行われ、そこで売られた者は、国の保護を受けることができずに、悲惨な最期をたどることが大半だ。

マティーダや代々の領主は、この闇市を根絶することを目標に、厳しい摘発を行ってきたが、この世から悪が消え去ることはあり得ず、今も闇から闇への奴隷市は行われている。

それはジルベールもよく知っていた。

自分が将来治める街のことを知らないではすまされないと、マティーダが時折連れ出しては様々な所へ行って、説明してきたからだ。

けれど、ジルベールはどうしても屋敷にいたくなかった。

一度は屋敷の中へと入ったジルベールだったが、言い忘れていたことを思い出して戻った。

そこにはヴォルフだけでなく、マティーダもいた。

ジルベールには、二人が楽しそうに話しているように見えた。

距離があったため、何を話しているかまでは分からなかったが、ジルベールは大きな衝撃を受けた。

自分より義姉のマティーダがこのまま領主となった方が良いのではないか、という意見があることを知っていた。それはジルベール自身もそう思うことがある。

自分が生まれたせいで、マティーダは伯爵家の跡継ぎではなくなったのだ。

それなのにマティーダは、ジルベールのことをとても可愛がってくれている。

もっと小さい頃は、寝る前に本を読んでくれたし、今も仕事の合間をぬっては会いに来てくれる。

厳しい所もあるが、優しい義姉がジルベールは大好きだった。

そんな義姉が林檎一箱分の値段で買ってきた奴隷、ヴォルフ。

彼は自分の話を聞いてくれる、良い人だと感覚ではわかっている。

だけど、忙しい義姉が仕事の合間をぬって、ヴォルフの様子を見に来ていたのだ。

自分よりもヴォルフの方を見に来ていた。

つまりは大好きな義姉をとられるんじゃないかという、嫉妬だ。

そのまま部屋に帰ることが出来ずに、ジルベールは屋敷を飛び出した。

そして、今は森の中にいる。

ひげ面のむさくるしい男たちが、ジルベールの周りをとりかこんでいた。

「しっかし、こっちに来て早々、いい獲物にあたりやしたね、おかしら

ひょろりとした狐目の男が、一際体が大きくむさくるしい男に言った。

「そうさなぁ。まさか伯爵家の坊ちゃんが、のこのこと歩いているとは思わなかったからなぁ」

げへへへへと、男たちは下卑た笑い声をあげた頭と呼ばれた男が、クオレッド伯爵家の紋章が入ったピンを掲げる。

(姉上、ごめんなさい。ごめんなさい)

ジルベールは泣くのを必死にこらえて、空を仰いだ。

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