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第5話

月がこうこうと照らす夜道を進む影があった。

普通の旅人なら、夜道など歩かない。山賊や追剥おいはぎが出るからだ。

日が暮れる前に街にたどり着けなかった者たちでもないだろう。

彼らは光よりも闇を好む者たち。

複数の影が街道を進む。その道は、ヒューリウへと続いていた。


はらりと葉が落ちる。

枝の葉も色づき、風に揺れるたびに葉を落とした。

いよいよ秋も深まり、冬の訪れもそう遠いことではないだろう。

ヴォルフがマティーダに林檎一箱分の値段で買われてから、一月が経とうとしていた。

吹く風は肌寒く、汲む水は冷たい。

両手になみなみと水をたたえた桶を軽々と持ち、井戸と厨房を往復する。

そんなヴォルフの後を、ひょこひょことついて回る小さな影があった。

ジルベールだ。

あれ以来、何故かジルベールはヴォルフに懐いており、勉強の合間をぬってはこうして会いにくる。

そのことを周りの者が咎めることもない。ヒューリウは割りと暢気な気質な者が多かった。

「それでね、この間も姉上がね……」

ジルベールが口を開けば、三言目には“姉上”という単語が出てくる。

いわく、“姉上”がどれだけ素晴らしいか、“姉上”がどんなに優しいか、“姉上”がどのように領民に慕われているのか。

別の話題を話していても、いつの間にか“姉上”の話になってしまう。

ヴォルフは適当に相槌を打ちながら、仕事を続けた。

ジルベールはそれにも構わず話し続ける。

これがここ一月で見られるようになった日常だ。

「じゃあ、また来るから!」

ひとしきり話終えると、ジルベールは屋敷の中へ帰っていく。

ヴォルフの返事を聞こうともしない。

こういう所がお貴族様だよな、とヴォルフは思う。

「もうちっと、しつけを考え直した方がいいんじゃないっスか?」

独り言にしてはやや大きめの声。果たして、それに返事があった。

「私が一番甘やかしているのでしょうね。ジルベールのためにならないと分かってはいるのですが」

一月前にジルベールが隠れていた建物の角から姿を現したのは、話題の“姉上”だった。


珍しい赤銅色の髪を一つに束ねたマティーダは、今日もおおよそ貴族とは思えないほど簡素な服を着ていた。華美を嫌う行動派の彼女は、ドレスを着ない。動きやすく仕事のしやすい、役人が着るような服だ。

すたすたと近寄ってくるマティーダに、ヴォルフは言った。

「何の用っスか。領主代理様が自ら来るなんて」

「様子見ですよ。なかなかの働き者だとあなたは評判です。それにあのジルベールが懐いた人ですからね」

「そんなに珍しいんスか?」

「ジルベールは人見知りをするのですよ」

マティーダは微かに苦笑を浮かべる。

そんな彼女を見下ろして、ヴォルフは案外小さいんだなと思った。

雰囲気が堂々としているし、手足が長いため高く見えるが、マティーダは成人女性としてはやや背が低い。背の高いヴォルフと並ぶと、大人と子どもくらいの差があった。

「一つ聞いてもいいっスか?」

「どうぞ?」

ヴォルフは初めて会った時から気になっていたことを尋ねた。

「何で、俺にも丁寧な言葉遣いなんスか?」

「私は誰にでもこういう話し方をしますが、それがどうかしましたか?」

逆に尋ね返されて、ヴォルフは困惑した。

「いや、何でもないっス」

ヴォルフが知っている貴族というのは、横柄で自己中で陰険で吝嗇けちで自尊心ばかりが高い、はっきり言ってろくでもない印象しかない。

だがこの領主代理は違う。

<帝国>で唯一公然と人身売買が行われるヒューリウは、田舎の中都市とはいえ、決して治めるのが楽な土地ではない。揉め事や厄介事は山のように起こる。

女性が相続権を得てまだ日が浅いのにもかかわらず、街では好意的な意見ばかりが目立つ。

例え正式にクオレッド伯爵家を継いだわけではなく代理としてでも、マティーダがこの土地を立派に治めていることは間違いない。

領民に慕われる若き領主代理。

ジルベールが言っていたことは、やや誇張はあるが嘘ではないのだ。

「そうですか。あぁ、一つ言っておきたいことがありました」

そう言ってマティーダは、難しい顔をした。

「南の方で暴れていた盗賊団がこちらへ来たとの情報がありました。もちろん警吏を増やして警戒しますが、あなたも気をつけてください。ここは見晴らしが良いですから、不審人物を見かけたら直ぐにわかるでしょう」

「盗賊っスか? 物騒っスね」

「ヒューリウは別荘や別宅が多いですから、狙われやすいのですよ」

では、お願いします、と言って去りかけたマティーダは、途中で振り返り言った。

「私の言葉遣いに疑問を持つ前に、正しい敬語の使い方を学んだ方が役に立ちますよ」

マティーダの後姿を見送るヴォルフには、それが皮肉なのか、忠告なのか、判断がつかなかった。


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