第4話
コンコン。
夕餉も済まし自室で本を読んでいたマティーダは、ひかえめなノックに頁をめくる手を止めた。
無駄なことを嫌うこの部屋の主は、取次ぎの侍女を置いていない。故に本来なら侍女がするはずのことも、マティーダは自らがこなすことが多い。
「誰ですか?」
「ジルベールです、姉上」
短く問うと、扉の向こうから彼女の義弟の声が返ってきた。
その声を聞いて、マティーダの口元が微かにほころぶ。
しおりをはさみ本を閉じると、彼女は自ら義弟を迎えるため席を立った。
扉を開けると、ジルベールがはっと顔を上げる。
マティーダはジルベールがいつもより元気がないことに気がついた。
「どうしました、ジルベール。元気がありませんね。旅の疲れが出たのですか?」
いつもより優しい声で気遣う義姉に、ジルベールは首を横に振る。
「いいえ、姉上。疲れてなどいません。それよりもお時間のほうはありますか? お聞きしたいことがあるんです」
少し思いつめた表情のジルベールを、マティーダは黙って部屋に招きいれた。
ジルベールを長椅子に座らせて、茶器を用意する。
「丁度よい時に来ましたね。よい茶葉が手に入ったのです」
マティーダは義弟のために、いつもよりも丁寧に紅茶をいれる。
紅茶を入れた茶碗をジルベールに手渡し、自らはその向かいの椅子に座った。
「くつろぐために飲むお茶は、あまり形式にこだわらず飲むと良いですよ」
いつもと違い妙にかしこまった様子のジルベールに、マティーダは言った。
「はい、姉上」
返事はするが、ジルベールは紅茶にも茶請けの菓子にも手を出そうとしない。
マティーダはジルベールに気づかれないように息を一つ吐き「さて」と切り出した。
「ジルベール、私に聞きたいこととは一体何ですか?」
ジルベールは一瞬悩む素振りをしたが、しっかりとマティーダの目を見て話し出した。
「あの奴隷のことです」
「ヴォルフがどうかしましたか?」
義弟とヴォルフのつながりが分からず、マティーダは首をかしげた。
ジルベールは義姉の顔をひたと見つめ、思いつめた表情で問う。
「姉上は何故あの奴隷を買ったんですか?」
「なりゆきです」
きっぱりと言い切ったマティーダに、ジルベールは目を丸くした。
「な、なりゆき……?」
「えぇ、そうです」
それがどうしたと言わんばかりの義姉に、ジルベールはそう言えばこの人はこういう人だった、と幼いながらに人生の無常を感じ取った。
マティーダを表すのには、あっさりだとかさっぱりだとか、そういう言葉が良く似合う。
「私も無駄な金は使いたくなかったのですが、仕方がないことでしたから」
あまり感情を外に出さないマティーダだが、少し悔しそうな口調で言う。
「では、姉上は望んで奴隷を買ったわけではないのですね。それを聞いて安心しました」
ジルベールはにっこりと笑った。今までの元気のなさが嘘のようだ。
マティーダは何故義弟が何を悩んでいたのかは分からなかったが、ジルベールが元気になったので、あまり気にしないことにした。
そしてやはりジルベールは笑った顔の方が可愛らしいと、心の中で義姉馬鹿ぶりを炸裂させている。
表面上は冷静な顔なのだが、よくよく見れば頬の辺りが緩んでいるのが分かる。
マティーダ=クオレッド、今年で二十二歳。沈着冷静と名高い彼女の最大の弱点、それは義弟のジルベール=イオ=クオレッド、九歳を溺愛していることだったりする。




