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世界を分かつた英雄

ライデンはホコリを立て過ぎないよう注意しながら、元気に床を掃き続けた。集まるもののほとんどは木片や木屑であり、数時間前にルリが見せた“あたたかい”歓迎の無言の証人だった。静まり返った店内には、ほうきが床を擦るリズミカルな音だけが響いていた。


近くのテーブルのホコリを拭いていたルリは、手を動かしたまま静寂を破った。


「ねぇ、ライデン……なんで海に出たの? ヴァレロスに行きたい本当の目的は何なの?」


ライデンは思いがけない直球の質問に驚き、一瞬ほうきを止めた。天井を見上げ、数秒ほど考えてからまっすぐに答えた。


「本当のことを言うと、具体的な目的とかは特にねぇんだ」


「え? どういう意味よ?」少女は手を止め、心底不思議そうな顔で彼を見つめた。「航海術も知らないのに、まさか『なんとなく』で大海原に飛び出すバカなんていないでしょう?」


「その目的を探すために海に出たんだ」哀愁を帯びた苦笑いを浮かべながら、彼は再びほうきを動かし始めて説明した。「決まった目標も、オレを待ってる大層な目的地もない。ただ……大冒険がしたくて飛び出したんだと思う。水平線の向こうに何があるのか、確かめるためにさ」


ライデンは、自分に多くのトラブルをもたらし、ヴァルドリスでの人生に暗い影を落としていた“あれ”について話すべきか一瞬ためらった。しかし、拒絶される恐怖の方が勝った。自分の島で見慣れたあの同情や蔑みの目を、ルリの瞳の中に見たくはなかったのだ。


「ただそれだけだよ、へへへ」場を和ませるように、彼は軽めの作り笑いを浮かべて締めくくった。


「へぇ……」ルリの表情が変わった。青い瞳の中に、微かな悲しみと理解の光が宿る。「それって凄いことじゃない、ライデン。発見する楽しさのためだけに、あてもなく旅立つなんて……まるで、あの人みたい……」


「あの人って、誰のことだ?」少女の急なトーンの変化に興味を抱き、ライデンが尋ねた。


「なんでもないわ」彼女は素早く答え、視線を逸らすと会話を打ち切るようにテーブルをゴシゴシと力任せに拭き始めた。気まずい沈黙のあと、彼女は話題を変えた。「ねぇ、ライデン……あんたの能力(ドン)ってどういう仕組みなの? 朝、あたしの攻撃を素手で受け止めた時の腕力しか見てないけど」


ライデンは胸が締め付けられるのを感じた。嘘をつくのは嫌いだったが、真実はあまりにも辛かった。


「あー……オレ……その、ややこしくてさ」後頭部を掻きながら即興で嘘をついた。「オレの能力(ドン)は完全な身体強化系なんだ。筋力や耐久力は上がるけど、何かを具現化したりはできない。お前みたいにはなれないよ」


今朝見せられた青い大槌や長剣を思い出し、彼は心からの感心をもってルリの手元を見つめた。


「お前の能力、マジで凄いよな。どんな物体でも作れるのか?」


「大抵のものならね」少し気分を持ち直したように彼女は答えた。「でも不思議なことに、あたしの場合はいつも透き通った青色になるの。真っ赤な色で作っていたお兄ちゃんとは違って……」


「お兄ちゃん? 兄貴がいるのか?」ほうきでゴミを隅へ押しやりながらライデンが尋ねた。


ルリの表情が一瞬で曇った。テーブルの上に雑巾を置き、視線を落とす。


「いたのよ……お兄ちゃん」かろうじて聞こえるほどの声で、深い悲しみを滲ませて訂正した。


ライデンは身体をこわばらせた。心の中で己の軽率な好奇心を呪った。


「あ……本当にごめん、ルリ。そんなつもりじゃ……」申し訳なさそうに謝罪を口にする。


「気にしないで、ライデン。もう終わったことだから」彼女は目の奥まで届かない作り笑いを浮かべ、会話を切り上げた。急ぐように作業に戻る。「とにかく、『大冒険』ねぇ。この世界はすごく危険なんだからね。特にあんたみたいに……世間知らずな人間にとっては」


「危険? そうか?」ゴミを集め終えたライデンは、木製のちりとりで拾い集め始めた。危険と隣り合わせの修行漬けの人生を送ってきた彼にとって、その言葉は思ったほど怖くなかった。


「当たり前でしょう! 海獣もいれば嵐もあるし、恐ろしい能力(ドン)を持った奴らだってたくさんいるのよ!」ルリは真剣な眼差しで言い放った。「ほら、時間を見てみなさい、もうすぐ午前10時になっちゃう。開店時間に間に合わせたいなら急がないと。掃除は終わった?」


「おう、店長」ライデンはゴミを黒い大きな袋に放り込みながら答えた。


「じゃあ厨房に来て。ゴミは入口の近くに置いておいて、開店する時にあたしが外に出すから」


ライデンは袋の口を固く結び、指定された場所に置くと、すでにルリが調理器具を準備している厨房へと向かった。スパイスと薪の香りが空間に漂い始めていた。


「次は何をすればいい?」やる気満々で両手をこすり合わせながら尋ねた。


ルリは片眉を上げて彼を上から下まで見つめた。


「ジャガイモの皮、剥ける?」


「えーっと……いや、実は食べる時以外で厨房に入ったことすらなくてさ」ライデンは恥ずかしそうに認めた。「作れるものと言ったら、森の焚き火で焼いた魚くらいだ」


ルリは呆れて目を丸くし、大げさに溜息をついた。


「ふぅぅ……いい、よく見てなさい。基本中の基本よ。ジャガイモを持って、包丁を持って……」ルリは驚くべき手際でジャガイモと包丁を手にした。ほんの数秒で皮が一筋の細く完璧な帯となって剥がれ落ち、実を全く無駄にすることなく見事な仕上がりとなった。「見た? 難しくないでしょう」


「やってみるよ。そんなに難しくなさそうだ」自信満々に宣言すると、ライデンは床にあった大きな袋から包丁とジャガイモを取り出した。


ジャガイモをしっかりと固定し、集中しながら包丁を滑らせ始めた。ゆっくりと慎重に、しかし肩に力が入り過ぎていた。ルリは少年の必死すぎる表情に吹き出しそうになるのをこらえながら、横目で観察していた。


だが悲しいかな、自信過剰が裏目に出た。切れ味の落ちた、それでも十分危険な包丁がジャガイモの表面を滑り、そのままライデンの親指に深く突き刺さったのだ。


「あぁぁぁぁっ!!」突然の激痛にジャガイモと包丁を取り落とし、ライデンが悲鳴を上げた。傷口から鮮やかな赤色の血が溢れ出てくる。「くそっ! 切っちゃった……」


ライデンは咄嗟の本能で、止血のために怪我した指を口に放り込んだ。


「あははは!」ルリはついに耐えきれず大爆笑した。「ごめんごめん! でもあんたの顔……あははっ! あたしも最初はよくやったわそれ」


作業の手を止め、優しくも確かな手つきでライデンの手を取ると、流し台へと引っ張っていき蛇口をひねった。


「おいで、バカ。冷たい水で傷口をちゃんと洗わないと雑菌が入るでしょうが。それと指を舐めるんじゃないの、気休めにもならないわ」


ルリは丁寧に血を洗い流し、切り傷を観察した。深くはないが、血の出方は派手だった。応急処置として清潔な布切れを包帯代わりに巻きつけながら、彼女の視線はライデンの腕や手元へと注がれた。


「ところで……朝から気になってたんだけど、ひとつ聞かせて。なんでそんなに包帯だらけなの? 腕も手も、靴の下の足まで包帯巻いてるじゃない。ミイラ男にでもなってきたの?」


親指の結び目を整えてくれるルリの手元を見つめながら、ライデンは言った。


「あー……これか。修行の影響なんだ」今回は半分だけ本当のことを答えた。


「修行?」ルリは眉をひそめた。「自分の能力(ドン)を制御するための修行? 体中に包帯を巻かなきゃいけないほど危険で不安定なの?」


ライデンは深く溜息をついた。こういうのは嫌だった。だがベルさんは「直感があなたは良い人だと告げている」と言ってくれた。命の恩人たちに嘘をつき続けることなどできなかった。


「実はさ……」息を呑み、彼女の顔に失望の色が浮かぶ覚悟を決めた。「オレには能力(ドン)なんてないんだ、ルリ」


ルリは彼の手を握ったまま固まった。冗談だと言ってほしいかのように彼の目を見つめる。それが本気だと悟ると、彼女の表情は純粋な驚きへ、そして奇妙な思考の表情へと変化した。


「……本当になの?」囁くように尋ねる。軽蔑されるのを覚悟しながら、ライデンは頷いた。「じゃあ……あんたはワンズなのね」


「ワンズ……?」ライデンは困惑して眉をひそめた。「なんだそれ? 病気の名前か?」


「違うわよ、バカ」ルリは手を放し、ジャガイモの作業に戻ったが、そのトーンは先ほどとは違って真剣だった。「部族……というか、能力(ドン)を持たずに生まれてくる人々の血筋の名前よ。彼らの防具は自身の武器と鍛え上げた身体だけなんだって」


「ワンズ……そんな部族、聞いたこともないな」純粋に興味を惹かれたライデンはコメントした。怪我をしていない方の手で別の包丁を取り、諦めない決意で新しいジャガイモを掴んだ。「なんでそんな詳しいんだ?」


「お母さんの歴史本で読んだのよ」ルリは彼を見ずに答えた。「昔の歴史を読むのが好きなの。ワンズは何百年も昔に存在したわ。伝説によると、彼らはどういうわけか能力(ドン)のエネルギーを通す資質を一切持たなかったらしいの。どれほど強力な能力(ドン)を持つ一族と血を混ぜ合わせても、その子孫に力が受け継がれることはなかった。それ以来、古い文献の中にはそれを『ワンズの呪い』と呼ぶものもあるわ」


彼女は手を止め、好奇心のこもった目でライデンを見つめた。


「ねぇ、ライデン……あんた、その部族の人間なの?」


ライデンは剥こうとしていたジャガイモへと視線を落とした。


「正直……わからないんだ。自分がどこで生まれたのかも、親が誰なのかも知らない。いくら親のことを訊いても、じいちゃんは何も教えてくれなかった。『お前の運命はお前自身の両手の中にある』としか言ってくれなくてさ」


「そっか……」ルリは表情を和らげて呟いた。「旅をしていれば、いつか答えが見つかるかもしれないわね。いつか大きな図書館に行ってみるといいわ」


「んー……そうかもな」あまり乗り気ではない様子で答え、「よし、しんみりした話はおしまいだ。作業を続けようぜ、店長!」


ライデンはジャガイモ剥きを再開した。ルリのアドバイス(「包丁じゃなくてジャガイモを回すのよ」)を実践すると、上達が見られた。料理修業の代償として指にいくつかの小さな擦り傷を作ることにはなったが、本人は気にも留めていなかった。


数分後、ライデンは心からの歓喜の声を上げた。


「じゃじゃーん! ルリ、見てくれよこの完璧なジャガイモ!」


ルリは包丁を置き、エプロンで手を拭いて歩み寄ってきた。ライデンが誇らしげに差し出す「完璧なジャガイモ」を受け取る。彼女の顔は好奇心から一瞬で絶望の表情へと変わった。


「ライデン……ジャガイモはどこに行ったの?」親指と人差し指でその物体をつまみ上げながら尋ねた。


「そこにあるだろ、お前の手の中に! 見えないのか? 傷ひとつないぜ!」


ルリはその小さな球体を見つめた。本来は拳ほどの大きさがあったジャガイモから、ライデンは皮と一緒に実を削り過ぎてしまい、「完璧なジャガイモ」は今やビー玉ほどの大きさしか残っていなかったのだ。


「これのどこが皮剥きよ!?」ルリは脅迫的な眼差しで詰め寄った。「食材の9割を無駄にしたでしょうが、このバカ! ちゃんとできるようになるまで、この袋のジャガイモ全部あんた一人で皮を剥きなさい! いい!? もうビー玉は見たくないからね!」


ライデンの誇らしげな大笑顔は一瞬で消え去り、完全に敗北した情けない顔に取って代わられた。


「そんなに酷いか……?」泣きそうな声で尋ねる。


「違いを見比べなさいよ、この穴抜け!」ルリは最初に自分が剥いたジャガイモを取り出し、ライデンの「ビー玉」の隣に並べた。大きさと形の差はもはや笑えるレベルだった。


ライデンは両方を見つめ、目を細めながらプライドを守ろうと抵抗した。


「んー……オレには同じに見えるけどな。どっちもジャガイモだろ?」とぼけて答える。


「調子に乗るんじゃないの!」ルリは叫び、彼の頭に愛のゲンコツを喰らわせた。


二人は声を上げて笑い合い、厨房の緊張感はほぐれていった。ライデンは今度はかなり注意深く、実を捨てすぎないように意識しながらジャガイモ剥きを続けた。ルリはルリで、凄まじい手際で野菜を刻み始めた。


「なぁ、ルリ……お前の母さん、大丈夫か?」少しの沈黙の後、ライデンが尋ねた。


「なんでそんなこと聞くの?」手を止めずに彼女が尋ねる。


「いや……今朝、オレたちの喧嘩を止めた時の顔がさ……なんていうか、すごく疲れてるように見えたんだ。限界そうだった」


ルリは包丁を止め、ため息をついた。


「あぁ、それ……。うん、お母さんは働きすぎなのよ。夜遅くまで起きて在庫の計算をしたり、厨房を徹底的に掃除したり、仕込みに時間のかかる煮込み料理を翌日のために準備したりしてね。あたしは朝早く来て新鮮な野菜を刻んで、テーブルをセットして、営業中の調理を担当するだけ。本当の重労働はお母さんがやってるの」


「へぇぇ、そうだったのか……」ライデンは感心して呟いた。「お前の母さん、本当に強くて優しい人だな」


「ええ、そうよ」ルリは誇らしげに答え、再び力強く野菜を刻み始めた。「世界で一番優しい人よ。あたしはお母さんのためならなんだってするわ」


度重なる小さな擦り傷を代償にしながらも、ライデンの包丁さばきは徐々に上達していった。なんとか見られる大きさのジャガイモが剥けるようになったのだ。


「できたぞ! このジャガイモ全部剥き終わった。次は何をすればいい、店長?」ライデンは怪我をした手の甲で額の汗を拭いながら尋ねた。


ルリはジャガイモの入ったバケツを検分した。


「へぇ……案外飲み込みが早いのね。初日にしては悪くないわ。あたしなんて食材を無駄にせずに剥けるようになるまで何週間もかかったのに。さて、時間を見て! もうすぐ12時じゃない! いつもの開店時間よ。表のドアを開けてきなさい」


ライデンは入口へ駆け寄り、重厚な木製のドアを開放した。正午の光と雪森島の商店街の賑わいが店内に流れ込んでくる。


「よし! 開けたぞ。次はどうする?」


「あとは客が来るのを待って、空いてる席に案内して本日のメニューを渡すの」ルリは達筆な手書きのメニューカードを数枚手渡しながら説明した。「それと、お願いだから笑顔で優しく接しなさいよ! 初日から客を脅かして追い払わないでね」


「了解! 笑顔で親切に、基本だな!」


「おうルリ! 元気にしてたか!」響き渡る太く低い大声が店内に轟き、ライデンをビクッと驚かせた。


声の主は、ドアから入ってきたがっしりとした体格の男だった。丸坊主頭だが、顔の半分を覆うほどの立派な黒ひげを生やした中年男だ。地元の農民のような質素な服を着ており、捲り上げられた袖からは丸太のように太い腕が覗いていた。


(この声、どこかで聞いたことがあるような……)ライデンは眉をひそめ、記憶を掘り返そうとした。


「あ! おはよう、バンさん! 元気だった?」カウンターからルリが心からの嬉しそうな声で挨拶した。


「おいおい、誰かと思えば! 今朝の小僧じゃねぇか! 死にかけてた奴だ!」男は大笑いしながら、ライデンに視線を注いだ。


「え? オレたちって知り合いですか?」


「ガハハハ! 覚えてねぇのか? まあ無理もねぇ、石ころみたいに気を失ってたからな! お前をここまで担いできたのは俺だよ、少年。ベルさんと俺でお前を運んだんだ」


「あ!」ライデンは胸に感謝の波が押し寄せるのを感じた。男に近寄ると、深くお辞儀をした。「本当にありがとうございます、バンさん! 命を救っていただきました」


「ガハハ! 大したことじゃねぇよ。面倒な看病は全部ベルさんがやってくれたんだ。それより、どこに座ればいい? 腹が減って仕方ねぇんだ!」


「あっ、はい! こちらへどうぞ!」ライデンは素早く反応し、窓際の白いクロスがかかった丸テーブルへと案内した。


ライデンは開店前にルリから渡されていた小さなメモ帳とペンを取り出した。


「味で、お客さん……本日は何にいたしますか?」


「日替わり定食をくれ、少年!」


ライデンは慌ててメモ帳に書き込み始めた。


「了解しました、日替わりですね! 肉かチキン、どちらになさいますか?」


「チキンだ!」


「フライドチキンですか、それとも煮込み(スダード)ですか?」ルリから渡されたメニューを確認しながらライデンが尋ねる。


「煮込みだ!」


「了解、チキン煮込みですね! お飲み物は何になさいますか?」


「キンキンに冷えたレモネードをくれ!」


「かしこまりました! すぐにお持ちしますね、バンさん」ライデンは軽くお辞儀をして引き下がろうとした。


「おい、小僧!」立ち去りかける彼をバンが呼び止めた。


「はい? なんですか?」ライデンは立ち止まり、テーブルへ戻った。


「警備兵には気をつけろよ」バンは声を潜め、入口のドアを怪しむように盗み見ながら言った。


「警備兵ですか……?」ライデンは不思議そうに眉をひそめた。「なんでですか? 危険なんですか?」


「お前が見つかったら、ベルさんやルリに大変な迷惑がかかるんだよ」バンは真剣な表情で説明した。「あいつらは良い奴らだ、ライデン。見ず知らずの他人を助けたせいで厄介事に巻き込まれる筋合いはねぇ」


「えっ! もちろんです!」ライデンは心底心配そうに叫んだ。「二人はオレが一番困ってた時に助けてくれたんです。ご迷惑なんて絶対にかけたくありません!」


「分かればいいんだ、少年。だからな、もし警備兵の制服を見かけたら速攻で厨房に隠れろ。それと何があっても絶対に奴らと喧嘩なんか売るんじゃないぞ、分かったな?」


「わ……わかりました! すぐ隠れます! 教えてくれてありがとうございます、バンさん!」


ライデンはルリが料理を盛り付けているカウンターへ急いで向かった。注文が書かれたメモを破り取り、彼女に手渡す。


ルリはメモを確認し、感心したような笑みを浮かべてライデンを見た。


「へぇ……今朝練習した通りにちゃんとこなせたわね」


「あたり前だろ! 包丁で指を切ってる間に叩き込まれたんだからな」ライデンは包帯を巻いた親指を撫でながら答えた。「忘れるわけねぇよ、マジで!」


まさにその時、何人もの人々が店雪となだれ込んできた。あっという間に店内に活気溢れる喧騒が広がっていく。次々とテーブルを埋めていく客の多さに、ライデンは圧倒された。緊張で生唾を飲み込む。


(よし……ライデン、いくぞ!)意を決した少年は腹を括り、最高の笑顔を浮かべて次の客の元へと向かった。


その日の残りの時間は、ライデンにとってまさに試練の連続だった。彼がテーブル間を駆け回って注文を取り、奥の厨房ではルリが狂おしいほどのスピードで料理を作っていく。出来上がった湯気の立つ料理を、ライデンはギリギリのバランスを保ちつつ確実に運んでいった。スープとサラダの注文を取り違えるといった小さな失敗はあったものの、彼は着実に給仕の仕事を身につけていった。


やがて雪森島にゆっくりと夜が訪れた。一人、また一人とお客が去っていき、店内は再び静寂を取り戻した。


(うああああっ!! もう限界だぁ……!)誰もいない店の椅子にドサリと腰掛けながら、ライデンは心の中で叫んだ。全身がトンの重さになったように感じられる。(今日はマジで地獄だった……!)


もう一歩も動けないと思っていると、目の前のテーブルに陶器の皿がカチャリと音を立てて置かれた。


「これが私たちの日常よ、ナカムラ」ルリが自分の皿を持って向かいに腰掛けた。「言っとくけど、明日も同じくらい忙しいからね。食べなさい、昼もロクに食べられなかったでしょう」


「おう! いただきます、店長!」ライデンは少女が引くほどの凄まじい勢いで絶品夕食を貪り食い始めた。


ルリは落ち着いてゆっくりと食べた。食べ終えると、服の間から古びた使い込まれた本を取り出し、一心不乱に読み始めた。


「なぁ、ルリ……何をそんな真剣に読んでるんだ?」口の中に米粒を含んだまま、興味津々にライデンが尋ねた。


「あぁ……これ? 世界が引き裂かれた理由について書かれた本よ」ページから目を離さずに彼女が説明した。「ううん、正確には500年前にどうしてすべての種族と大陸が分断されたのか、ね」


「世界を分断した……? 昔は争いでもあったのか?」ヴァルドリスでは世界の歴史など教わらなかったため、ライデンは純粋に惹きつけられた。


「当たり前でしょう! この本によると、種族同士は常に争い続けていたらしいわ。平和なんてどこにもなかった。その時代にあったのは戦争と死と破壊だけ。誰も歩み寄ろうとせず、誰も本当の平和なんて望んでいなかった」


「ふーむ……」


「本にはね」ルリは続けた。「ある日、『死』と名乗る男が苦しみの連鎖を終わらせるために世界全土を破壊しようとしたって書いてあるの。そいつは誰も止められないほど強大だった。だから二人の伝説の英雄が決死の覚悟で決断したの……そいつを永遠に封印することをね」


「封印? どうやって?」


「魔法で封印したんじゃないわ」ルリはライデンの目をしっかりと見つめて説明した。「能力(ドン)で封印したの……『氷の能力』でね」


ライデンはご飯を食べる手を止めた。不可解そうに眉をひそめる。


「待てよ……氷?」


「そう、氷」


「でも……氷の能力なんて、ただの伝説だって誰もが言ってるぜ。子供騙しのおとぎ話だって。歴史上、そんな能力が見つかったことなんて一度もないんだろ?」


ルリは溜息をつき、丁寧に本を閉じた。


「ええ、分かってるわ。だからほとんどの人はこの本をおとぎ話扱いしてるのよ。でもあたしは、どこかに真実が含まれてるんじゃないかって思ってるの」


「ふーむ……で、その『死』とやらが、世界の分断やさっき言ってた氷の壁とどう関係してくるんだ?」


「英雄の一人が『死』を大地の奥深くに封印することを決めた時、種族間の争いがどれほどの戦争と苦しみを生み出してきたかを目にしたの。姿を消す前の最後の力として、彼は自身の氷の能力(ドン)を使って、今日の大陸を隔てる巨大な壁を作り出した。長い間、人々は強力な能力(ドン)を使ってそれを破壊しようとしたけれど、ついに叶わなかった。壁は今も傷ひとつなく存在し続け、平和を守るために種族同士を分断している……少なくとも本にはそう書いてあるわ」


ルリは肩をすくめ、本を服の中にしまい直した。


「まあ、大体こんな感じの内容よ。かいつまんで教えてあげたわ」


(分断……平和……戦争……)それらの言葉がライデンの頭の中に強く刻み込まれた。


「夕飯は食べ終わった?」立ち上がりながらルリが尋ねた。


「あっ、おう! ごちそうさまでした! めちゃくちゃ美味しかったよ、マジで」


「どういたしまして、冒険者さん。さあ、本気で店を閉めるわよ。もうかなり遅いし、お母さんが家で心配してるわ」


「了解です、店長! お任せを!」


数分後、二人は店の外に立っていた。雪森島の通りは静まり返り、満月の光に包まれていた。


「はぁ……今日は本当に疲れたわね」ルリは疲労の声を漏らしながら背伸びをした。


「おう! へへへ、でも頑張った甲斐があったぜ!」ライデンは興奮気味に拳を叩き合わせた。「自分の額の汗で稼いだ初めての金だ!」


ルリは少し微笑んだ。


「さてと……行きましょうか」


「え?」ライデンは困惑して眉をひそめた。「『行く』って……どこへ?」


「『どこへ』じゃないでしょ、バカ! あたしの家によ!」ルリが文句を言う。


「えぇっ!? な……なんでだよ!」ライデンは焦り出した。「ルリ、そこまでしてもらう必要はないって!」


「泊まる場所がないんでしょうが。だからうちに来るの」


「いやいやいや! 本当にありがたいけどさ! 今日一日で二人にはもう十分すぎるくらいお世話になったんだ! これ以上甘えるわけにはいかないよ、本気で申し訳なさすぎるって!」


ルリは呆れ果てて目を丸くした。


「じゃあ一体どこで寝るつもりよ、天才くん? 野宿でもする気? それとも森の中で寝るの?」


「いや……実は野外で寝るのには慣れててさ」後頭部を掻きながらライデンが明かした。「ヴァルドリスにいた頃も、厳しい修行の後はよく砂浜で寝てたんだ……」


「絶対にダメ! あたしの店の従業員にホームレスみたいに路上生活させるわけないでしょうが! どこだかも分からない場所で寝かせたなんて知れたら、お母さんに殺されるわ! 今すぐうちに来るの、拒否は認めないからね!」ルリは彼の手首を強く掴むと、自分の家の方向へと強引に引っ張っていった。


少女の瞳に宿る不退転の決意を見て取ったライデンは、溜息をついて降参した。酷く面目ない気持ちだったが、同時に溢れんばかりの感謝を感じていた。


「わかったよ……お言葉に甘えるよ。何から何まで本当にありがとうな、ルリ! お前、マジで最高だよ!」


「あはは! 知ってるわよ! ほら、早く歩きなさい冒険者さん、あたしは眠いの!」

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