バーナーサボテンは改造ではありません。運用改修です 【十五文化圏周縁抄 ザポテック怪人開発録】
「ユラ! お前、バーナーサボテンを改造したのか!」
祭礼リングの裏で、実況神官が叫んだ。
リングの真裏なので、声は妙によく響く。
音響神官によれば、客席の歓声を集めるためにリング周辺の空気そのものが調整されているらしい。
たぶん本当である。
ザポテックでは、冗談みたいな説明がだいたい本当になる。
叫ばないでほしい。
実況神官は、すぐ叫ぶ。
叫ぶのが仕事だからである。
だが、裏で叫ばれると困る。
表の客まで沸くからだ。
「改造していません」
わたしは答えた。
「では、なぜ歩ける!」
「歩けるように紐を結び直したからです」
「それを改造と言うのではないか!」
「言いません」
わたしは、膝の上に置いた怪人スーツを押さえた。
赤い。
丸い。
棘がある。
火を噴く。
正確には、火を噴くように見える煙袋がついている。
正式名は、物体・生命融合怪人バーナーサボテン。
長い。
呼びにくい。
しかも、中に入るのは近所の若手ルード役、ピタである。
ピタの故郷は、他文化圏と接する西の僻地だ。
そこには立体映像も、自動煙幕も、観客反応測定器もない。
あるのは石段と畑と暦石と、雨季を読む老人である。
文明水準だけ見れば、石造神殿と天文暦を持つ古代都市国家そのものに近い。
ただし、祭日になるとリングを組み、皆でルチャをする。
そこだけは変わらない。
ピタは悪くない。
受け身はうまい。
ロープワークも悪くない。
悪役顔もできる。
ただ、胴が少し短い。
そして、バーナーサボテンの怪人スーツは胴が長い。
そのまま着せると、棘肩が耳へ当たる。
耳へ当たると、前が見えない。
前が見えないまま入場すると、リング階段を踏み外す。
ザポテック中央のリング階段には姿勢補正の光線があるが、本人の足まで自動で上げてはくれない。
そこまでやると受け身の価値が下がる、という理由である。
安全よりルチャの様式が優先されている。
いつものことだった。
リング階段を踏み外した悪役怪人は、まだ名乗る前に普通に怪我をする。
それはよくない。
非常によくない。
「怪人改造ではありません」
わたしは、肩紐を引いた。
「怪人スーツの紐を結び直しただけです」
*
第十文化圏ザポテックでは、祭りにはリングがある。
段々の石神殿がある。
天文を刻んだ石碑がある。
暦がある。
太陽の印がある。
羽蛇の仮面がある。
翡翠色の飾り金具がある。
黒曜石の光る祭具がある。
そして、だいたいリングがある。
ザポテックは、古い石の文明である。
行政文書は石板である。
納税記録も石板。
住民名簿も石板。
祭礼許可も石板。
苦情申立ても石板。
役所へ行けば、神官書記が石を削っている。
そこだけ見れば、ひどく古い。
だが、リングの裏へ回ると話が変わる。
羽蛇文様の投影板。
立体映像。
遠隔会議。
変身スーツ。
怪人スーツ。
自動煙幕。
衝撃吸収材。
遠隔点火装置。
妙に精密な観客反応測定器。
そういう超科学は、だいたい先にルチャへ入る。
行政には入らない。
役所は今日も石板である。
だが、試合の入場演出には最新式が入る。
これを、リングブラックホール説という。
リングが何でも吸い込むからである。
技術も。
予算も。
人材も。
宗教儀礼も。
神話解釈も。
祭礼日程も。
新発明も。
とにかく最後は、ルチャへ使われる。
暦を改良すれば興行日程へ使う。
投影技術を作れば入場演出へ使う。
通信技術を作れば遠隔解説へ使う。
医療技術を作れば受け身の後の回復へ使う。
しかも、これは比喩だけではない。
ザポテックの超文明は、物理的にもリングを中心に組まれている。
リングの地下。
リングの柱。
リングの周縁。
そこへ、見えない配線だの、見えない反射だの、説明されても半分しか分からない超科学の要が集まっている。
だから、リングから離れると、ゼンゼンフォンの電波の入りが悪くなる。
だいたい三本立っていた表示が、二本になり、一本文字の途中で一回止まり、立体映像は少し顔が潰れる。
さらに離れると、一番大事なところで音が途切れる。
実況神官は怒る。
解説神官は話を盛る。
裏方は困る。
ZPS――Zenzenmann Positioning System――や衛星通信も、なぜかリングへ吸われているらしい。
そのため、リングから離れるほど、測位も通信もサービス品質が落ちる。
リングの近くでは怪人スーツの断面図までぬるぬる回るのに、郊外では会議の立体映像が少し角ばる。
文化圏の外へ出ると、もっとひどい。
ゼゼホは、だいたいただの石板になる。
光らない。
映らない。
会議もできない。
押しても石である。
正式には、文化圏外でのサービス提供は現在も開発中、ということになっている。
要するに、まだできない。
素材技術を作れば机をより派手に壊すために使う。
行政への導入は、その後である。
たいてい、かなり後である。
来ないこともある。
だから、ザポテックは古い石の文明でありながら、リングの周囲だけ妙に未来じみている。
中心都市では、ギャグみたいな仕組みが現実に動く。
他の十五文化圏では、誇張は誇張のままである。
ザポテックだけは、実況が言い続けると装置が作られ、装置が作られると制度になり、制度になると神話へ編入される。
十六文化圏の中で、唯一、ギャグが現実になっているトンチキ文化圏である。
ただし、リングから遠ざかるほど、その現実は薄くなる。
他文化圏と接する僻地では、石造神殿、天文暦、焼畑、貯水池、黒曜石の刃、徒歩の伝令が暮らしの中心だ。
超科学の影はほとんどない。
それでも、村の中央には必ず四角い土のリングがある。
通信がなくてもルチャはできる。
測位がなくても場外は分かる。
衛星がなくても三つ数えれば勝敗は決まる。
ザポテックは、そういう文化圏だった。
しかも、その未来は全部ルチャ向けである。
少しおかしい。
だいぶおかしい。
だが、それがザポテックだった。
なぜリングがあるのかは、神官たちが長い説明をする。
暦外の預言者がどうとか。
倒れたなら立てとか。
名乗ったなら見せろとか。
見せたなら沸かせろとか。
次の世代へ残せとか。
よい言葉である。
よい言葉だが、裏方にとっては少し困る。
なぜなら、見せるには準備が要るからだ。
入場布。
仮面。
肩紐。
腰紐。
折れる机。
折れてはいけない机。
座る椅子。
座ってはいけない椅子。
投げる鎖。
投げてはいけない鎖。
煙だけ出る火皿。
本当に熱い火皿。
客へ見せる血糊袋。
薬師へ見せる本当の傷。
これらは分けなければならない。
分けないと事故になる。
事故になると、実況神官が叫ぶ。
実況神官が叫ぶと、客が沸く。
客が沸くと、偉い神官が「よい興行だった」と言う。
それが一番困る。
事故を成功にされると、次も真似されるからである。
*
わたしの仕事は、変身スーツ・怪人スーツ運用担当である。
表の札には、そうは書かれない。
表の札に書かれるのは、選手名、技名、神殿名、奉納日、実況神官名、解説神官名、レフェリー神官名である。
変身スーツ・怪人スーツ運用担当の名は、小さく裏に書かれる。
書かれない時もある。
だが、変身スーツ・怪人スーツ運用担当がいなければ、怪人は動けない。
怪人は、ただ派手ならよいわけではない。
見えること。
息ができること。
倒れられること。
立てること。
脱げないこと。
必要な時には破れること。
破れてはいけないところは破れないこと。
煙が前へ出ること。
煙が中へ戻らないこと。
棘が相手へ刺さらないこと。
棘が客へ飛ばないこと。
棘が自分の耳へ刺さらないこと。
これを全部満たして、ようやく怪人は入場できる。
怪人改造ではない。
衣装調整である。
ただし、ザポテックでは、衣装調整もすぐ神話になる。
石と暦と羽蛇と超科学が同じ棚へ置かれている文化圏なので、裏方の実務ですら、少し目を離すと伝説の一節みたいに語られる。
*
その日の興行は、羽蛇暦外大祭の前日興行だった。
前日なのに大祭である。
前日興行なのに、観客は多い。
中央リングの試合は、ゼゼホ経由で周辺集落へも中継される予定だった。
予定だった、というのは、西の僻地では受信像がだいたい四角い光の塊になるからである。
音だけ届く村もある。
音すら届かない村では、巡回実況神官が翌日に口頭で再現する。
その再現試合の方が盛り上がることもある。
技術が届かなくても、ルチャは届く。
多いどころではない。
神殿前の石段まで人が詰まり、屋台の上に子どもが乗り、神官が注意し、屋台の主人が「見えるか」と聞き、子どもが「見える」と答え、主人が「ならよし」と言った。
よくない。
非常によくない。
屋台は観覧席ではない。
だが、ザポテックでは、見える場所はだいたい観覧席になる。
第一試合は、若手二人の五分勝負。
第二試合は、羽蛇仮面組と黒豹仮面組の三対三。
第三試合は、神聖折り畳み机奉納試合。
机は壊すために作られている。
書くためではない。
書く机は別にある。
だが、前回、書く机が壊された。
理由は、間違えてリング脇へ置いたから。
神官書記が三日泣いた。
だから、今回は札をつけた。
壊す机。
書く机。
絶対に壊すな。
大きく書いた。
それでも心配だった。
ザポテックの興行では、札より熱気が強いことがある。
そして第四試合が、物体・生命融合怪人バーナーサボテンの初登場である。
この怪人枠は、中央リングだから成立する。
僻地では、本物のサボテンへ火皿を括りつけようとする者が出るので、詳しい設計図は配信禁止になっている。
禁止札は石板で各村へ送られた。
到着には三十日かかった。
その間に二つの村で試したらしい。
幸い、どちらも火はつかなかった。
雨季だったからである。
初登場。
初名乗り。
初入場。
初必殺技。
初敗北。
初敗北まで決まっている。
悪役怪人は、最後に負ける。
負けるが、ただ負けてはいけない。
華を持つ。
観客に嫌われる。
子どもに怖がられる。
相手を引き立てる。
最後にきれいに倒れる。
そこまで含めて、怪人である。
ピタは緊張していた。
「ユラ、息が暑い」
「煙袋の紐が近いからです」
「目が半分しか見えない」
「肩が上がりすぎています」
「棘が耳に当たる」
「だから結び直しています」
「これ、俺、本当に出られるのか」
「出ます」
「倒れられるか」
「倒れられます」
「立てるか」
「立てます」
「名乗れるか」
「名乗りは短くしてください」
「正式名を全部言うと長いか」
「長いです」
物体・生命融合怪人バーナーサボテン。
長い。
だが、何と何が融合した怪人なのかは分かる。
火を噴く器具、つまりバーナー。
生命体であるサボテン。
その二つを一つの怪人として見せるための、物体と生命体の融合怪人枠である。
名乗りの時だけは、短くする。
「バーナーサボテン、でよいです」
「物体・生命融合怪人は?」
「悪博士役に先に言わせます」
「火吹きは?」
「煙と火口で見せます」
「怪人は?」
「見れば分かります」
ピタは少し嫌な顔をした。
「これが人気になったら、同じ俺の別怪人を作るのか」
「作りません」
「では、次はないのか」
「別の物体と別の生命体を融合させた怪人スーツが増えます」
「俺の替えではなく、枠が増えるのか」
「はい。バーナーサボテンは、バーナーサボテンです」
ピタは黙った。
そして言った。
「その方が、少しだけ怖くないな」
「増えるスーツ全部を管理する側は、かなり怖いです」
人気が出ると、同じ怪人の番号が増えるのではない。
物体と生命体の組み合わせが増える。
それはそれで、紐も穴も棘も増える。
*
問題は、入場直前に起きた。
悪博士役の神官が、バーナーサボテンの背中へ煙袋をつけようとした。
悪博士役の神官というのは、正確には神官ではない。
元は神官見習いで、今は興行演出係で、悪博士の仮面をかぶると急に声が大きくなる者である。
「フハハハハ! 今こそ我が物体・生命融合怪人バーナーサボテンを投入する!」
裏で言わないでほしい。
声が表へ漏れる。
客が沸く。
「博士、煙袋が逆です」
「逆ではない! これは逆転の発想である!」
「逆です」
「戦略的反転である!」
「紐穴が下です」
「む」
悪博士役は、煙袋を見た。
紐穴が下だった。
煙口が内側を向いていた。
このまま出せば、煙は外ではなくピタの背へ入る。
火吹きではない。
背中蒸しである。
よくない。
非常によくない。
「直します」
「待て」
「待てません」
「ここで煙袋を外すと、入場が遅れる」
「外さないと、ピタがむせます」
「むせる怪人も味ではないか」
「ありません」
「あるかもしれぬ」
「ありません」
わたしは煙袋を外した。
その瞬間、入場太鼓が鳴った。
自動同期太鼓ではない。
そこだけは人力である。
以前、自動化したところ、観客の熱気を拾って勝手に加速し、第一試合の入場で最終決戦みたいな速さになった。
以来、太鼓番へ戻った。
だが、太鼓番も気持ちが高まると早い。
結局、ザポテックでは機械も人もルチャに吸われる。
早い。
太鼓番が早い。
太鼓番は、気持ちが高まると早い。
気持ちで太鼓を打つな、と何度言っても早い。
表で実況神官が叫ぶ。
「さあ、ついに出るか! 謎の新怪人! 火を噴くか! 棘が刺すか! 神殿は許したのか! 許した! たぶん許した!」
たぶんで許すな。
裏が慌ただしくなる。
ピタが半分立つ。
煙袋はまだ外れている。
肩紐も仮結び。
腰紐は片方だけ。
棘肩は右だけ高い。
このまま行けば、バーナーサボテンは入場の三歩目で回る。
五歩目で腰が落ちる。
七歩目で煙袋が客席へ飛ぶ。
最悪である。
「出せ!」
悪博士役が叫んだ。
「出せません!」
「客が沸いている!」
「だから出せません!」
「沸いているなら出すのが礼だ!」
「怪我をしたら礼ではありません!」
わたしは、ピタの腰紐を引いた。
ピタが小さく悲鳴を上げる。
「強い!」
「動かないで」
「息が!」
「あと三息」
「実況が俺の名を呼んでる!」
「返事しないで」
「でも名乗りが」
「まだ生まれていません」
「俺はまだ生まれていないのか」
「衣装上は」
その時、表から大歓声が上がった。
見ると、リング脇の幕が少し揺れていた。
それを客が「出た」と思ったらしい。
実況神官が叫ぶ。
「見えた! 今、棘が見えた! 生まれる! バーナーサボテンが生まれる!」
生まれていない。
紐を結んでいる。
しかし、もう止められない。
客が手を叩く。
中央リング周辺の反応測定器が、それを歓声予兆として拾った。
石碑の上に光る数値が跳ね上がる。
その数値は祭礼予算の評価にも使われる。
行政は石板なのに、盛り上がりだけは即時集計される。
優先順位が分かりやすい。
太鼓が早くなる。
解説神官が何かもっともらしいことを言う。
「これは焦らしです。暦外の預言者以来、入場とはすでに試合なのです」
違う。
裏方が間に合っていないだけである。
*
わたしは、息を吸った。
まず、煙袋。
外向き。
紐は上。
余った紐は結ばず、内側へ入れる。
次に肩紐。
右を下げる。
左を半目分上げる。
棘肩が耳へ当たらないよう、布を挟む。
腰紐。
ピタの胴に合わせて一つ短く。
ただし、受け身で腹が締まらないよう、左だけ逃がす。
破れ紐。
最後に倒れる時、背中の赤い外皮だけが派手に裂けるようにする。
本体衣装は裂けない。
煙袋も裂けない。
下着も裂けない。
そこは重要である。
怪人は負ける。
でも、中の者の尊厳まで負けてはいけない。
「ピタ」
「はい」
「右へ倒れる予定でしたね」
「はい」
「左へ倒れてください」
「なぜ」
「右は煙袋があります」
「左へ倒れたことない」
「練習しました」
「一回だけ」
「一回は一回です」
「怖い」
「なら、膝から」
「怪人が膝から倒れていいのか」
「怪人も膝を使います」
悪博士役が横から言った。
「悪の怪人は豪快に倒れろ!」
わたしは見た。
「博士」
「何だ」
「その机は書く机です」
悪博士役は、自分の後ろを見た。
そこには、神官書記の机があった。
札がついている。
書く机。
絶対に壊すな。
悪博士役は、ゆっくりと机から離れた。
「これは、違う机である」
「はい」
「悪の博士は、知っていた」
「はい」
「念のため近くにいた」
「離れてください」
「はい」
悪博士役が離れる。
わたしは壊す机を指した。
「倒れるなら、あちらです」
「遠い」
ピタが言った。
「遠くても、あちらです」
「動線は」
「花道を二歩、リング下を右、相手の腕を受けて左、机です」
「できるかな」
「できます」
「なぜ分かる」
「昨日、あなたが水瓶を避けて同じ動きをしました」
「見てたのか」
「変身スーツ・怪人スーツ運用担当なので」
わたしは何でも見る。
紐。
肩。
腰。
足運び。
どちらへ倒れるか。
どちらの耳が仮面に当たるか。
どちらの手でロープを掴むか。
派手に見えるが危ない動き。
地味だが安全な動き。
受けられる机。
受けてはいけない机。
それを見ないと、裏方では生きられない。
*
「行けます」
わたしが言うと、悪博士役の目が光った。
いや、仮面の目が光った。
中の目は見えない。
「よし」
悪博士役は幕の前へ立った。
「フハハハハ!」
声が大きい。
「待たせたな、愚かな観客どもよ!」
客が沸く。
愚かと言われて沸く。
ザポテックの客は訓練されている。
「我が手により生まれし、火吹きサボテン怪人!」
太鼓が鳴る。
「その名も!」
幕が開く。
ピタが出る。
バーナーサボテンが出る。
赤い。
丸い。
棘が揺れる。
煙が外へ出る。
内へ戻らない。
観客が声を上げる。
子どもが泣く。
屋台の上の子は笑う。
レフェリー神官が、見えていたが見なかった顔をする。
解説神官が叫ぶ。
「これはよい棘です!」
何がよい棘なのか分からない。
だが、客が沸く。
バーナーサボテンは、花道の真ん中で止まった。
名乗る。
「バーナーサボテン!」
短い。
よい。
客が返す。
「バーナーサボテン!」
よい。
短い名は返しやすい。
ピタは右腕を上げた。
煙袋が光る。
煙が出る。
客がさらに沸く。
リング周囲の投影柱が歓声を検知し、背後へ炎の羽蛇を出した。
予定にはない。
だが、予定外の演出が成功すると、次回から正式演出になる。
こうしてギャグが現実になる。
悪博士役が両手を広げる。
「フハハハハ! 見よ! これが我が改造の成果である!」
違う。
紐である。
だが、今は言わない。
表の物語には、表の役がある。
裏の紐は、裏で締まっていればよい。
*
試合は、無事に進んだ。
無事というのは、何も起きなかったという意味ではない。
悪役怪人なので、いろいろ起きた。
バーナーサボテンは、相手へ棘肩を見せた。
相手は大げさに嫌がった。
客は笑った。
レフェリー神官は、棘が当たっていないのに当たったような顔をした。
実況神官は叫んだ。
解説神官は真面目に嘘をついた。
悪博士役はリング下で高笑いした。
途中、バーナーサボテンはロープへ走った。
肩紐はずれない。
腰紐も落ちない。
煙袋も飛ばない。
よし。
次に、相手がバーナーサボテンを投げた。
ピタは左膝から落ち、背中を丸め、煙袋を守って倒れた。
よし。
客は、もっと派手に倒れたと思ったらしい。
大歓声だった。
終盤、相手が必殺技へ入る。
バーナーサボテンは抵抗する。
悪博士役が叫ぶ。
「自爆ボタンを押せ!」
押すな。
と思った。
だが、これは本当の自爆ではない。
煙だけ出る小さな仕掛けである。
それでも、怖い。
自爆という言葉は、ザポテックでは妙に客を沸かせる。
悪博士役が手元の札を叩く。
煙が出る。
白い。
多い。
だが熱くない。
よし。
バーナーサボテンは煙の中で左へ倒れる。
測位補助の輪が足元へ一瞬だけ浮かぶ。
ZPSはリング中心へ吸われているので、リング内だけ異様に正確である。
場外へ一歩出ると少しずれる。
文化圏の外では完全に沈黙する。
だが、今はリング内だった。
壊す机へ落ちる。
机が割れる。
割れる机なので割れる。
書く机ではない。
神官書記は泣かない。
客は立つ。
太鼓が鳴る。
相手が勝ち名乗りを上げる。
バーナーサボテンは倒れたまま、片手だけ上げる。
負けた。
だが、名は残った。
客席から声が飛んだ。
「次の融合怪人も出せ!」
ピタが倒れたまま、わずかに震えた。
怖がっている。
分かる。
わたしも少し怖い。
人気が出た。
同じ怪人の番号ではなく、物体と生命体の融合怪人枠そのものが増える。
よくない。
非常によい。
*
興行後、裏は大騒ぎになった。
悪博士役は高笑いしていた。
実況神官は、今日の名場面をすでに石板用に語り直していた。
解説神官は「棘の意味」について三つの説を出していた。
レフェリー神官は「見えていたが見なかった」場面を弟子に教えていた。
そして、その日の夜、衣装蔵の会議卓は空だった。
空だが、会議は始まっていた。
ドクトル・ゼンゼンマン由来の科学技術は、今ではこの文化圏の興行裏方にも普通に入り込んでいる。
皆が持っている携帯端末の正式名は、ゼンゼンフォン。
だが、だいたい皆、ゼゼホと呼ぶ。
そのゼゼホで、立体映像のリモート会議ができる。
中央リングの通信圏内では、である。
ピタの故郷では、ゼゼホを持っていても月に一度しか立体像が立たない。
それも風向きと祭礼日次第だという。
普段は石板として使われている。
裏面が平らなので、文字は彫りやすいらしい。
高価な超科学端末を石板として使う。
それもザポテックでは、そこまで珍しくない。
もっとも、これはリング圏内だからできる。
衣装蔵はリングに近い。
だから電波も強い。
立体映像も崩れない。
郊外の倉庫だと少し怪しい。
文化圏の外では、もっと怪しいどころか、ほぼ石板である。
文化圏外サービスは開発中、と運営札には書かれている。
現場の言い方では、まだ無理です、である。
しかも、ただ映るだけではない。
羽蛇文様の入った投影輪から、青緑の光が真空管めいた脈を打って立ちのぼり、立体映像が机の上へ結ばれる。
古代の祭器みたいな顔をしているくせに、中身は超科学である。
こういうところが、いかにもザポテックだった。
わたしは衣装蔵の黒曜石机へゼゼホを置いた。
怪人デザイナーは中央工房から。
スーツデザイナーは第二リング区の設計机から。
スーツクリエーターは第三リング区の縫製場から。
スーツ装着者のピタはリング医療所の長椅子から。
全員、リングを中心とした通信圏内にいる。
だから映像は鮮明だった。
これが僻地なら、一人は顔だけ、一人は音だけ、一人は静止画になっている。
そして、変身スーツ・怪人スーツ運用担当であるわたしは、衣装蔵から。
五人の立体映像が、机の上へ淡く立ち上がった。
その中央には、共通表示された物体・生命融合怪人バーナーサボテンの立体映像スーツイメージが浮かんでいる。
表示輪の外周には、怪人の入場動線、観客の視線、煙の流れ、倒れる位置まで表示されていた。
怪人デザイナーによれば、これもリングブラックホール説の成果らしい。
新しい技術は、まずルチャへ落ちる。
落ちた技術は、だいたい出てこない。
行政への転用を待つより、次の興行へ使われるからである。
役所では今朝も、石板が一枚割れて申請が最初からやり直しになったらしい。
だが、怪人スーツ会議では、五人が同じ立体映像を同時に触れる。
優先順位が、かなり分かりやすい。
赤い。
丸い。
棘がある。
煙袋もある。
わたしが指先でつまむように動かすと、立体映像のスーツイメージが拡大した。
怪人デザイナーが二本指を払うように動かすと、火口の部分だけが前へ回転する。
スーツデザイナーが横へなぞると、全体の向きが変わり、背面の煙袋配置が見えた。
スーツクリエーターが肩口を指で弾くと、棘肩の断面表示が開く。
ピタが耳の横を示すと、仮面の内側視界が半透明で重なった。
皆が同じ立体映像を見ながら、同じ怪人スーツの別の問題を見ている。
「次は、火口をもっと大きくする」
怪人デザイナーが言った。
「バーナーと分からなければ、物体と生命体の融合怪人にならない」
「大きくしたら首が回りません」
スーツデザイナーが言った。
「輪郭は残して、重量を肩へ逃がします」
「その構造では縫えない」
スーツクリエーターが言った。
「縫えても、破れ紐と煙袋が干渉する」
「今の大きさでも、息が暑い」
スーツ装着者のピタが言った。
「あと、棘が耳へ当たる」
「だから、棘は柔らかくして、肩位置を下げます」
わたしは言った。
「火口は大きく見せても、実寸は増やしません。外側だけ張り出させます。煙袋は背中ではなく腰の上へ移します」
「それでは迫力が減る」
怪人デザイナー。
「迫力を残すための線は作れます」
スーツデザイナー。
「その線を布で成立させるのは私です」
スーツクリエーター。
「成立しても、入場から敗北まで運用できなければ出せません」
わたし。
「出せても、俺が中で動けなければ怪人にならない」
ピタ。
五人とも、間違ってはいない。
だから困る。
怪人デザイナーは、何に見えるかを考える。
スーツデザイナーは、どういう形なら怪人として成立するかを考える。
スーツクリエーターは、その形を本当に縫い、組み、直せるかを考える。
スーツ運用担当は、入場し、戦い、倒れ、脱ぐまで事故なく回せるかを考える。
スーツ装着者は、その全部を内側から受ける。
考えがぶつかるのは当然だった。
「では、次の怪人はバーナーサボテン別怪人ではないのですね」
ピタが確認した。
「違います」
怪人デザイナーが言った。
「バーナーサボテンは一体で完成だ。次に増えるのは、別の物体と別の生命体を融合させた怪人スーツだ」
「候補は?」
「まだ言えない」
「決まっていないのですね」
「構想中だ」
言い換えただけだった。
その時、会議へ古い番頭の立体映像が割り込んだ。
番頭もゼゼホを持っている。
今どき、持っていない方が珍しい。
「ユラ。今日の改造内容を帳へ残せ」
「改造ではありません」
「では、何だ」
「怪人スーツの運用改修です」
五人が同時にこちらを見た。
怪人デザイナーは不満そうだった。
スーツデザイナーは少し納得していた。
スーツクリエーターは、直す箇所を数えていた。
ピタはリング医療所の長椅子に座ったまま頷いた。
「それなら、俺も分かる」
わたしは記録用の蝋板を取り、同時にゼゼホの会議記録欄も開いた。
書くことは多い。
一、肩紐はスーツ装着者の胴に合わせる。
二、煙袋は外向き。
三、煙口を内へ向けない。
四、倒れる方向に煙袋を置かない。
五、壊す机と書く机を分ける。
六、座る椅子と投げる椅子を分ける。
七、自爆煙は熱くしない。
八、悪博士役に本物の火皿を持たせない。
九、名乗りは短く。
十、物体と生命体の融合怪人枠を増やす時は、怪人デザイナー、スーツデザイナー、スーツクリエーター、スーツ運用担当、スーツ装着者の五者で事前確認する。
十が一番大事である。
*
翌朝、神殿前には小さな札が出た。
札は石板だった。
立体映像で告知できるのに、正式掲示は石板でなければならない。
行政規則だからである。
その石板の横では、最新式の投影柱が同じ内容を空中へ三倍の大きさで出していた。
誰も矛盾だとは思わない。
ザポテックでは、石板と超科学は競合しない。
石板は行政のため。
超科学はルチャのため。
用途が違う。
バーナーサボテン、再登場予定。
怪人スーツ、運用改修中。
物体・生命融合怪人枠、新怪人構想中。
悪博士、高笑い継続中。
最後の一行はいらないと思った。
だが、客は読んで笑っていた。
なら、いるのだろう。
ザポテックでは、笑われたものは弱いとは限らない。
笑われて、沸いて、名が残れば、それは強い。
わたしの名は札にはなかった。
それでよい。
変身スーツ・怪人スーツ運用担当は、表の札に大きく載らない。
載らないが、紐は残る。
結び目は残る。
煙袋の向きは残る。
壊す机と書く机の札も残る。
スーツ装着者のピタは今日も受け身の練習をしている。
故郷へ帰れば、立体映像も測位輪もない土のリングで同じ受け身を取るだろう。
石を積んだ観客席。
手で叩く太鼓。
叫ぶだけの実況。
それでも試合は成立する。
ザポテックの超文明はリング中心だが、ルチャそのものは文明より古い。
悪博士役は今日も高笑いの練習をしている。
実況神官は今日も、まだ起きていない事件をもう名場面のように語っている。
よくない。
非常によい。
わたしは衣装蔵で、赤い布と柔らかい棘を分けた。
刺さる棘。
刺さらない棘。
見せる棘。
触れてはいけない棘。
煙を通す穴。
汗を逃がす穴。
破れる紐。
破れてはいけない紐。
それらを一つずつ札へ書く。
わたしは怪人改造者ではない。
悪博士でもない。
神官でも、実況でも、解説でも、レフェリーでもない。
変身スーツ・怪人スーツ運用担当である。
ただ、怪人スーツを運用できる形へ改修しただけだ。
けれど、リングでは、その紐一本で怪人が生まれる。
倒れたなら立てるように。
立ったなら名乗れるように。
名乗ったなら見せられるように。
見せたなら、怪我ではなく歓声で終われるように。
今日も、わたしは紐を分ける。
沸くために。
無事に沸くために。




