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第6話 距離を詰める獣、道を増やす手

 北辺境の空気は、針金みたいに張っていた。

 朝はよく眠れた町だが、昼の通りには微かな短気が漂う。人が忙しくなると、近道が顔を出す。


「自治団の会議、昼にやる?」

 海神セイラが湯気の立つ魚スープを配りながら訊く。

「やる。遠回り同盟の決議案を出そう。近道教団と正面衝突する前に、町の“生活ルール”を固める」


 長屋の板間に、職人、猟師、教師、子ども会の世話役まで集まった。俺は地図の上に色鉛筆を立てる。


「三行で要点。

 一、危険は遠くで起こす。

 二、近くは空にする。

 三、近道は二種類ある。**遠くへ行くための近道(OK)**と、近くに甘える近道(NG)」


 ざわつきは早かったが、理解も早い町だ。教師が手を挙げる。

「つまり工場排気は外輪へ、学校や診療所は内輪へ?」

「そう。睡眠最適化も同じ。就寝固定は全世帯で」

 夜神ノクナが頷き、青い帳の小型版を配った。「23:00-6:00をひとまずの標準に。夜食は外輪で」


 セイラは漁師に潮汐票の読み方を教え、森神フリューは町外れの若木を一本植え替えた。「露は朝に戻る。近くを潤す」


 決議が通り、拍手が一段落したころ、門番が駆け込んだ。

「ハシルの影! 北の隘路あいろで道が一本に詰まった!」



 隘路は、氷に磨かれた石の回廊だった。

 本来なら山肌のくぼみに複数の踏み跡があるはずなのに、今日に限って一本の黒い線しか見えない。ひとの通り道が圧縮されている。


 風上に、四つ脚の影が座っていた。鹿でも狼でもない。道そのものに足が生えたような獣。背から尾にかけて白線が走り、見ていると視界の距離感がねじれる。


「距離収縮獣ハシル」

 ノクナが眼鏡の奥で瞳を細める。「選択肢を一に詰める。人の足は短絡へ吸い寄せられる」


 耳の奥で距離計が警告音をひとつ。

——ピ。

〈警告:仮想経路により旧パーティ中心への距離が縮む恐れ〉


 やつの前足が石を叩くたび、周囲の踏み跡が消える。一本の“楽そうな線”だけが、目に甘い。


「近道教団の守護?」

「名は走るだが、実態は止めるだ」

 フリューの声が低い。「森から見て、道は枝。一本は折れやすい」


「なら、増やす」

 俺は背嚢を下ろし、フリューからもらった乾いた夢の小袋を三つ出す。「近道病に効く、道を増やす匂い。それを外輪に撒く」


 セイラが頷く。「押し潮の山版、できる。地中水を一息だけ膨らませて、段差を作る。歩きやすい一本道を少しだけ歩きにくく」


 ノクナは拍を取り出す。「はくで選択肢を均す。190→200→210Hzと三段。耳を澄ませた足が三択を感じる」


「よし、三手でいく。

 ――道を増やす(匂い)、一本道を鈍らせる(地中水)、三択を可視化(拍)。

 最後に俺が遠回りの最短で“正解”を走って成功体験を遠くに置く」


「教団が聞いたら卒倒しそう」

 セイラが笑う。「成功体験は近くに置くな、が教義だ」



 準備は静かに始まった。

 まず、隘路の外輪に乾いた夢の粉を薄く筋で引く。匂いはほとんどしないが、選択の嗅覚をくすぐる。

 セイラが掌で空を押すと、岩の下の水脈がふくらみ、一本道の一部がわずかに波打つ。足裏が“あれ?”と感じる程度。

 ノクナは指先で二小節を描き、空気に三種類の拍を埋めた。微かに胸に触るテンポ差が、足の選好をゆっくり変える。


 ハシルがゆっくり立ち上がり、こちらへ目を向ける。目はないのに、視られている感じ。尾の白線が一の字から矢印に変わり、一本道へ人の心を吸い込もうとする。


「レオン、来る」

「来い。一本なら、百に割る」


 走る。一本道から半歩外れて、拍の溝に踵を落とす。

 足裏が“二択”を感じ、次の瞬間“三択”が開く。

 乾いた夢の筋が外輪へ嗅覚を誘導し、セイラの作った微小な段差が「楽すぎる道は落ちる」という身体の記憶を呼び起こす。


——ピ、ピ。

〈+64%〉〈+66%〉


 胸の針が軽くなる。選択肢は俺の燃料だ。

 ハシルが尾を三の字に振る。一本道が三本に分岐したが、全部が内向きへ折れる偽の三択だ。


「偽の分岐、内側折り」

 ノクナが静かに分析する。「なら、外側に実分岐を立てる」


 フリューが指を鳴らす。外輪に植え直した若木が一本、風に合図を送る。そこが安全だと体がわかる。

 俺はそちらへ跳ぶ。拍は210Hzに揃い、呼吸が合う。


 ハシルが近道を押し込んでくる。視界の片隅に、旧パーティの影が一瞬ちらつく。仮想距離を0に近づける幽霊だ。

 息を整え、俺は旗ざおを地面に突き立てた。旗に縫ってある星砂が、陽に淡く光る。


「基準を置く」

 声は自分に向けて。

 遠くに基準を置くと、人はそこへ揃える。

 旗の位置に、フリューの露を一滴。セイラが押し潮で地面の水平を整え、ノクナが200Hzで歩幅を固定する。

 一本道の魔が、三者の基準に負けて、にじむ。


——ピ、ピ、ピ。

〈+68%〉〈+70%〉〈+72%〉


「行け!」

 セイラの声が背を押す。外輪を回り込み、隘路の出口側から入口へ戻る遠回り。

 ハシルの尾が激しく揺れ、白線がジグザグに崩れる。一本に詰める力が、多方向に薄まっていく。


 俺は最後の仕上げに、町の子どもたちを呼んだ。

「ここを歩いてくれ。三通り、交互に」

「ゲーム?」

「道当番だ。週替わりで三つのルートを回す」

 子どもは規則を守る。夜のルールで学んだばかりだ。

 同じ町の生活ルールが、一本道の誘惑を社会的に削る。


 ハシルが短く唸り、尾の白線がほどけた糸みたいに砂に散った。

 視界の一本が消え、枝道が戻る。

 距離計が、待ってましたとばかりに鳴る。


——ピ!

〈+75%〉


 獣は一歩、二歩と後ずさり、やがて道そのものに溶けた。

 ノクナが短く言う。「退いた。今日の敵は選択肢で倒すタイプ」


 町の門番が歓声を上げる。

「通れる! 荷馬車も行ける!」

 セイラが両手を腰に当てて笑った。「道は潮だ。入りがあって出がある。詰めるな、巡らせ」



 隘路を抜けた先に、小さな石の祠があった。扉は閉ざされ、鍵穴は星の形。脇に刻字。

〈第二段階 開扉条件:実距離1,500km 社会的距離:三ルート運用の定着〉


「社会的距離?」

 俺が読み上げると、ノクナが眼鏡を押し上げた。

「物理の距離だけじゃ足りない。生活ルールとしての距離を町に定着させろ、という条件」


「三ルート運用なら、今、決議と実施までいける」

 町長が拳を握る。「道当番を回す。学校—工場—市場の三角を週替わりでルート変更。近道病の芽を摘む」


 石扉の星が一つだけ灯った。

 フリューが指で触れる。「露が反応してる。乾いた夢も少し」

 セイラが覗き込む。「海も潮汐表で回せる。町に潮見係を一人置こう」

 ノクナは淡々と帳面を取り出す。「就寝固定、夜食外輪、拍二分。条例化案、すぐ書く」


 俺は深呼吸を一つ入れた。

 遠ざかるほど、胸の針は軽くなる。

 けれど今日は、近くにも一本手を入れた。若木を支え、旗を立て、歩幅を合わせる。

 遠くと近く。両方が生活だ。



 夕刻。

 祠の前で簡単な祝祭。蜂蜜湯は朝派のセイラに叱られたので、今日は塩一粒で乾杯。

 ノクナが淡く笑う。「過剰は眠りを壊す」

 フリューは静かに座り、「季節は順番」とだけ言って、町の掲示板に道当番表を打ち付けた。


 そのとき、北風が紙片を一枚運んできた。

 白い布の紋。近道教団の通達だ。

 〈遠回り派に忠告。人は短絡を欲する。お前たちの“遠回りの最短”は傲慢だ〉


 俺は紙片を折り、祠の石に置いた。

「需要は訓練できる。今日見ただろ」

 門番が笑い、子どもたちが三ルートのじゃんけんを始める。生活は速い。


「レオン」

 セイラが肘でつつく。「今夜は海の当番、つまり同居は私」

「来週は森」

 フリューが当然のように言い、

「再来週は夜」

 ノクナが青い帳を掲げる。「二十三時—六時。190Hzを忘れないこと」


 肩をすくめ、笑う。

 遠くへ。もっと。

 祠の星は一つ灯った。あと二つ。1,500kmの扉は、生活で開く。


——ピ。

〈本日の最長離隔:308.5km〉

〈加護:潮運Lv1/疲労回復Lv1/再生結界Lv1/睡眠最適化Lv1〉

〈更新:隘路“ハシル”無力化/三ルート運用 定着フェーズへ〉


 夜、青い帳の下で呼吸を揃える。

 セイラが塩を一粒、舌に置く。ノクナが190Hzを二分。フリューの露が枕をひんやりとした。

 遠ざかる最短は、道を増やしながら進む。

 明日も、遠くで勝って、近くを空に。

 その先で——扉を開ける。


距離メモ:

・一本道には三手で対抗:①外輪に「道を増やす匂い」②一本道を微小に歩きにくく(地中水の押し潮)③拍で三択を可視化。

・成功体験は遠くに置く。近くには基準(旗・露・拍)を置く。

・第二段階の鍵=実距離+社会的距離(三ルート運用の定着)。生活で扉は開く。

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