第11話 蜃気楼税と階段の砂
合流谷を越えた風は、乾いて甘い。
グラ針(勾配針)は南東にふれる。砂丘の稜線が踊り場みたいに段々を作り、遠さの登りは刻めと言ってくる。
「潮は瓶にしまって、砂に注ぐわよ」
セイラが水袋を叩く。
「夜は二十二分ごとに拍を微調整」
ノクナが青い帳に『22:30-6:00/寝入り190Hz二分』と書き足す。
「露は朝に霜砂として置く」
フリューが指で砂に露路を描く。
「遠い熱は、日陰で運ぶ」
雪姫オルカが顔をしかめ、白い鉢から雪蜜をひと匙すくって俺に渡した。「朝だけね」
——ピ。
〈旧パーティ中心からの距離=2,012.4km〉
〈第二段階:勾配感知/パーティション 有効〉
◇
砂漠の市ミリャートは、色と声でできていた。
しかし、道は一本。地平から街門まで一直線の銀の路が敷かれ、脇の露店路地は蜃気楼税の札で封じられている。
門番が肩をすくめる。「最短路以外を通るなら蜃気楼税。『熱損失の補填』だと」
銀の路は熱を跳ね返す。足裏が焼け、荷駄の蹄が滑る。近くに甘える近道の匂いが濃い。
「ようこそ、遠回り教」
日陰から、薄金のヴェールをまとった女が現れた。腰の曲線は砂丘、瞳は琥珀。
「砂漠商姫ライラ。この市の三割を回してる。近道教団の“本部市”でもある」
自己紹介のあと、彼女は笑う。「あなたの遠回り、商売として見たい」
「なら、生活から始めよう」
俺は持ち込んだ旗を抱えて、銀の路から半歩ずれた陰へ立つ。「危険は遠く、近くは空。遠くへ行くための近道だけ、残す」
路地の奥で、白布に金糸の男——巻尺女と同格らしい執行官が指を鳴らした。
頭上のフレームにレンズがはめ込まれ、空気がゆらり。距離感が反転する。
「蜃鏡」
ノクナが即座に解析する。「遠い陰を近くに見せ、近い陽を遠くに見せる。嗜好から先に騙す」
「なら、階段で返す」
俺はグラ針の登りを五段に分割。
セイラが風路を切って陰の帯を刻み、フリューが露石を踊り場に置き、ノクナが拍を段替え(190→200→210→戻す)で踏ませる。
オルカは各踊り場に雪蜜一滴。遠い甘さは段の上で。
銀の一本路に対し、階段の砂路が三本扇のように伸びた。
ライラが目を細める。「商人は、息切れしない道を選ぶ。段払いできる関所なら、資金繰りも軽い」
「関所は置く。税じゃなく、基準を」
俺は掲示板に三枚の紙。
一枚目:日陰図(時間帯ごとの陰)。
二枚目:踊り場表(水・休憩・塩一粒の位置)。
三枚目:拍票(段での歩幅テンポ)。
「夜・朝・昼の三層ログで距離を生活に焼き付ける」
執行官が鼻で笑い、蜃鏡を三連に増やす。遠くの陰が目の前に揺らぐ。人が銀の一本へ戻りかける。
「嗜好分流で釣る」
フリューが露石に小さな香りを仕込む。静音、香辛、涼風。
セイラが銀路に微小の滑り(押し潮の砂版)を混ぜ、「楽すぎる直線は危ない」を体に思い出させる。
ノクナは蜃鏡の縁に拍を刻み、嘘の陰へ行く足をリズムで外させる。
オルカの雪蜜は近くに置かない。「遠い甘さは遠くで舐める」
——ピ、ピ。
〈+2,081.6km〉〈+2,114.9km〉
人流が三路へ分かれ始める。
ライラはあっさり決めた。「蜃気楼税、扇路免除。代わりに踊り場関銭を一滴。(水・塩・拍の維持費)」
執行官が苛立って杖を鳴らす。「効率を落とす遊びはやめたまえ」
「効率は一点じゃない。幸福は多点で回る」
ノクナが淡々と返し、帳に『蜃鏡周辺—拍190Hz×2分』と追記した。
◇
昼下がり、砂丘の陰で白いものがもぞりと動いた。
尾にレンズ、背に折り畳みの節。
距離を折りたたんで近さの塊を作る獣——
「折畳蜃」
ノクナが眼鏡の奥で目を細める。
やつは段を嫌う。踊り場でリズムが変わると、折り目が合わなくなるからだ。
執行官が指をはじくと、折畳蜃は銀の路に一本化した足跡を押しつけるように走らせ、三路を一筋へ縫い合わせようとしてきた。
「十字で受けて、階段で切る」
俺は旗を四本、踊り場の十字に組み、基準を置く。
セイラが押し潮で縦軸に微勾配、フリューが露で横軸に涼を走らせる。
ノクナは二重拍(190+210Hz)を干渉させて折り目を外へ逃がし、オルカは十字の四隅に雪蜜で嗜好を四極に分ける。
ライラは商人たちに荷重分散を指示し、「重い荷は段で休め、軽い荷は先へ」と扇を振った。
折畳蜃のレンズ尾が軋み、折り目がほどける。
一本に縫い合わせられない踊り場。
執行官の眉間に皺。「……宗派と会計の両面で戦うのか。面倒だ」
——ピ、ピ、ピ。
〈+2,163.3km〉〈+2,201.0km〉〈+2,244.8km〉
人流は笑いながら汗をかく速度に落ち着き、露店は段に沿って開き直す。
ライラが指先で空に商人印を描いた。「蜃気楼税、扇路恒久免除。踊り場関銭は市が持つ。……同居は試用一週、当番制の隙間で」
「週替わり崩すなよ」
セイラが即座に釘をさす。
「崩さない。海→森→夜→(雪補助)、その合間に市場泊」
ノクナが『市場泊=就寝22:30固定/夜食禁止』と赤で枠を引き、フリューは段の若木に露を落とす。
オルカは雪蜜壺を軽く掲げた。「蜂蜜湯は朝」
執行官は杖を収め、巻尺女の名を出した。「本部へ戻って議論だ。市場は短絡を好むが、回る商売も嫌いじゃない」
◇
夕暮れ。
ミリャートの外れ、砂の踊り場に小さな祠。星の鍵は三つ灯り、石面に新しい刻字が薄く浮く。
〈第三段階 予告:実距離3,500km/制度距離:三層ログの自走化(代理運用比率 ≥70%)〉
「制度距離?」
ノクナが眼鏡を押し上げる。「人の手が要らない回り方を仕組みに残せ、ということ」
「つまり、俺らが去っても夜・朝・昼が勝手に回る」
セイラがうなずき、
「若木が露で育ち、道当番が紙なしで動く」
フリューが指で砂に芽を描き、
「拍と就寝が町の歌になる」
ノクナが薄く笑い、
「遠い熱を嗜好にする」
オルカが雪蜜を一滴落とす。
ライラは扇で汗を払った。「運用担当は私が出す。税の枠組みを扇路優遇に変える」
「頼もしい味方だ」
俺は旗を背に固定し、グラ針の登りを確かめる。踊り場が自分から位置を教えてくる。
そのとき、砂上に小さな黒い影が二つ跳ねた。
短い物差し、白い布、でも子どもの背丈。近道教団の見習いだ。
彼らは銀路の端に小さな杭を打ち、こちらを見て、意外なほど真顔で言った。
「遠回り教って、給水はどこ?」
「ここ」
俺は踊り場の水壺を指し、塩を一粒渡す。
子どもは目を丸くして笑い、走り去った。需要は、嗜好から育つ。
——ピ。
〈本日の最長離隔:2,298.1km〉
〈加護:潮運Lv1/疲労回復Lv1/再生結界Lv1/睡眠最適化Lv1〉
〈第二段階補助:勾配パーティション/合流運用〉
〈更新:蜃気楼税 扇路免除/折畳蜃を十字×階段で中和〉
〈第三段階 予告:制度距離=三層ログの自走化〉
夜。
青い帳の下、22:30就寝。190Hz二分。塩は夕方。蜂蜜湯(雪蜜版)は朝。
セイラが肩で笑い、フリューが枕に露を落とし、ノクナは拍を指で弾き、オルカは壺を大事そうに抱える。
ライラが扇で帳をそっと扇いだ。「市場泊、悪くないでしょ」
「悪くない。遠い熱が、ここでは商売になる」
胸の針は、まだ軽くなる余地を残している。
第三段階は、遠い。遠いのが、いい。
回る仕組みを置いて、さらに遠くへ。
*距離メモ:
・蜃鏡=遠近の嗜好を反転→階段分割(勾配パーティション)×扇の三路×嗜好分流(静音/香辛/涼風)で中和。
・折畳蜃は十字基準(旗×押し潮×露×二重拍×雪蜜)+踊り場で折り目をほどく。
・税は“近くに甘える近道”を助長しがち→扇路免除+踊り場関銭(維持費)で置換。
・第三段階 予告:「制度距離」= 三層ログの自走化(代理運用≥70%)。仕組みを残して去れ。