37話 父親の手記
「ここから読めば良さそうだね」
「ぐも」
「そういや、コアラも文字読めたりするの?」
「ぐも?」
……うん、どっちだろう。まあ、いいや。
そこからの文章を、わたしは固唾を呑んでから注意深く読み進める。
・妻のつわりがひどい。どうやら双子を身ごもったらしい。心配だ。妻の細い身体が保つのだろうか。
・妻がどんどん痩せていく。お腹の子どもも弱っているようだ。医師に食事をとらせろと言われるが、何を食べても妻は吐いてしまう。どうしたらいいのか……。
・ある日、妻が突然元気になった。乳母曰く、つわりとはそういうものらしい。よかった。妻も楽しそうに赤ん坊を迎える準備を始めた。あれは、ぬいぐるみか……こんな裁縫が下手な娘だったろうか……。婚約中にくれた刺繍入りハンカチは今も大切にしているが、こんなにも上手にできているのに……。
・追求してみたら、婚約中にくれたハンカチの刺繍は侍女にやってもらっていたらしい。でも、子どものためのものは、なるべく自分で作りたいと。生まれる前の子どもに負けたような気持ちになったが、私は妻を応援しようと思う。
「仲良し夫婦だなぁ……」
「ぐもぅ……」
・それは、不器用なぬいぐるみがようやく一匹できたときだった。
お腹の子の赤ちゃんが、一人に減っているのだという。
医師いわく、一人の子が、もう一人を食べたようだ、と。
「は?」
ここから、文字がどんどん乱雑になっていく。
・妻が発狂した。
双子の兄弟を食べるなんて気持ちが悪い。
自分の腹の中の子が、まるでバケモノだなんて信じられない……。
このマジカルティアという世界の医療レベルは、当然前世の日本より下である。実際の治療自体は魔法があるので一概に比べられるものではないが、少なくとも前世のほうが病理的な理解は幾分も進んでいた。素人目からしてもね。
わたしも前世はアラサーだったので、妊娠したことはなくても、妊娠した友人の一人や二人はいたものである。
そのうちの一人が、複雑なケースで泣いていた。
お腹の赤ちゃんのうち一人が、検診で突如消えてしまったという。
『バニッシュツインっていうんだって。双子妊娠の十人に一人くらいが起こるらしいんだけど……複雑だよね。私がちゃんとした母親だったら、二人とも生んであげられたのかな……なんて思っちゃってさ』
妊娠も未経験だったわたしはなんて励ましていいかもわからなくて、あとで自分なりに調べてみることしかできなかったんだけど。
バニッシュツインに原因は現代医療でも解明されておらず、染色体異常というわけでもないらしい。亡くなった胎児は子宮に吸収されることもあるし、生き残った胎児に宿ることもあるという。
お母さんの元へ還ったか。それとも、兄弟と一つになったのか。
どちらにしろ、母胎や残った胎児に悪影響がでることは少なく、わたしの友人も無事に元気な赤ちゃんを産んでいた。その子が二歳になる頃は、元気すぎて困っていると愚痴られたくらいだ。
「たしかに……このファンタジー世界では、お腹の赤ちゃんが消えるなんて、こわいよね。それこそ呪いみたいだよね……」
理解はできる。
大人の頭で、その心境を理解することはできる。
でもだからといって、生き残った我が子を否定していいものなのだろうか。
前世でも妊娠したことのないわたしには、わからない。
手記は、かすれた文字で続いていた。
・妻が産気づいた。どうやら彼女の体調では腹を切る以外の出産方法が厳しいらしい。赤ん坊だけでなく、彼女自身の命の危機だ。どうか神様、妻だけでも救ってくれ……。
「……まあ、ね。赤ちゃんがダメでも、お母さんさえ無事だったら、また作ればいい話だからね」
この二択でどちらを選ぶか……他人は誰も責められない問題だ。
わたしは唾を飲み込んでから、続きを読むしかできない。
・予定通り、赤子がひとり生まれた。元気な女の子だ。妻も無事。最良の結果といえよう……妻が『呪われた子』と発狂すること以外は。
・どうやら彼女は、最後まで二人が生まれると信じていたらしい。
しかし、結果は一人のみ。
妻は育児を放棄するどころか、せっかく生まれた赤子を見ることすら拒む。
どうしたらいいものか……とりあえず、彼女が元気な頃に作っていたぬいぐるみを赤子に与えてみることにした。不細工なぬいぐるみを一生懸命掴む手が、なんて小さいことか。
「ぐも」
コアラが、わたしの顔に手を伸ばしてくる。
手記に、わたしの涙が落ちたからだね。
「大丈夫だよ。大丈夫……」
わたしは最後まで、この手記を読む責任がある。
・とうとう、妻がルルティアを殺そうとしてしまった。
もうダメだ。彼女との妥協点で、ルルティアを部屋に閉じ込めておくことにした。乳もいらなくなったし、食事さえ与えておけば、死ぬことはないだろう。死んでくれたほうが、私たちはラクになれるかもしれないが……。
・ルルティア二歳の誕生日だった。
彼女に魔力が発現した。なんてめでたいことだ。ルルティアが魔女になれば、我が家は将来安泰どころか、ますます繁栄していくだろう。メイドが大けがを負ったことで、妻がますます「やっぱり呪われた子ども」と嗤っていたが……魔女ともなれば、優先順位も変わってくる。
・ルルティアと話せば話すほど、気味が悪い。
何も教育をしていなかったのに、どうして流暢に話すことができる? 文字が読める? ある程度のマナーを知っている? いいこだ、天才だともて囃すことは簡単だが……やはり気味の悪さは拭えない。
やはり、ルルティアは呪われた子どもだったのだろうか……。
「あぁ……これはわたしが完全に悪いね……」
転生直後で、わたしも動転していたときである。
ほう……あの父親、わたしをチヤホヤとしながら、こんなことを思っていたのだね。まあ、状況からして仕方ないだろうし、【わたし】になってからの諸々は恨むつもりはないけれど。
一応、この先にもざっくり目を通そうとしたときだった。
わたしは慌てて手記を放り投げる。
なんでかって? いきなり手記が発火しだしたからだよ!
床に落ちた手記は炎をあげて、あっという間に炭となる。
まばたきを三回してから、わたしは左腕を見やる。
コアラが「ぶふっ」とどや顔をしていた。
「おまえかコアラああああああああああ!」
燃やした、燃やしたな!?
わたしが虐待にあっていた、れっきとした証拠が!!





