34話 幼女のぬいぐるみ
詰むのはいつも、突然に。
ルディール侯爵家……いわゆる実家に到着早々、閉じ込められるなんて、前世でどんな悪行を積んでしまったのだろう……。とっても一生懸命に生きすぎて早死にしたつもりだが?
ともあれ、手元に戻ってしまえば、お父さん的にも満足らしい。
「まあ、君の好きなようにしなさい」
と、扉が閉まる寸前にチラッとわたしを見てきただけ。まるで助け船を出してくれなかった。当たり前のように、カチャッと鍵がしまる音がする。
「このクズ親……」
もういいこのフリはおしまい。舌打ちしても許されるよね。
どうしようか……コアラも起きているから、ちゅどーんと扉を吹き飛ばすのは簡単だ。むしろ早くしなければ、コアラが寝てしまう。
なんて、埃っぽい部屋なのだろう。
掃除なんてまったくされた形跡がない。ただ四角いだけの部屋。
床も冷たく、こんな場所で寝かされたら、子どもでなくてもすぐ風邪を引いてしまうだろう。
そんな部屋に閉じ込めて、あの母親は『昔を思い出しなさい』と言っていた。
つまり、昔、ルルティアをここに閉じ込めていたということ。
「なんで……」
【わたし】の記憶に、こんな場所に閉じ込められた覚えはない。
だから、魔力が発現する前の【ルルティア】が、こんな場所に閉じ込められていたということだ。二歳だった、本当に幼い子どもが。
「どうして……」
これは、ルルティアの涙なのか。
それとも、わたしの涙なのか。
止まらない絶望と苦しみとやるせなさに、わたしはただ泣き崩れるしかなかった。
これじゃあ、ダメなのに。
四歳児の身体になんて流されず、もっと頭を使って、考えなければ。
わたしを救えるのは、わたしだけなのだから。
「ぐも」
気が付くと、コアラが何かを差し出していた。
「ぐもも、ぐも」
身振りからして……部屋の隅から拾ってきたのだろうか。
コアラが薄汚い布きれ……ぬいぐるみかな。わたしに渡そうとしてくる。
そのぬいぐるみは、とても汚かった。元は白かったのかもしれないが、すっかり手汗や埃で灰色に染まりきっている。正直、あまり触りたくないと思うほどの代物だ。
だけど、わたしはそれに即座に手を伸ばしていた。
わたしが考えるまでもなく、わたしの身体が、真っ先に薄汚いぬいぐるみを抱きしめていた。
ずっと会いたかったと、わたしの中のわたしが泣いていた。
「これ……もしかして……?」
心の中で「ごめんね」と謝ってから、わたしはぬいぐるみを確認する。
とても不器用な人が作ったのだろう。まず、縫い目が杜撰で、管理の悪さもあるだろうが、あちこちほどけかけている。造形も色々おかしくて、元のモチーフは……クマだったのかな。でも、顔のわりに目が小さく、代わりのように鼻が大きい。あげくに耳も八つ当たりのように大きい。
そんなぶさいくでかわいい造形に、わたしはとある記憶が蘇ってくる。
ずっと、ずっと暗がりの中でこのぬいぐるみを抱きしめていた記憶。
お母さんも、お父さんも会いに来てくれない。
メイドすらも、ほとんど会うことができない。
ひとりぼっちの中で、唯一そばにいてくれた存在が、このぬいぐるみだけだった……そんな寂しすぎる記憶。
「もしかして、コアラ……」
あぁ、これは二人の涙だ。
わたしとルルティア、二人分の涙が目から溢れて止まらない。
「だから、あなたはコアラの姿でやってきたの?」
「ぐも」
「ルルティアが少しでも喜ぶようにって?」
「……ぐも?」
なるほど、これでコアラか。
カーライル殿下と決闘したとき、わたしの口を使ってコアラが言っていた。
使い魔の姿に、意味などないと。
めちゃくちゃ意味があるじゃないか。
ルルティアが唯一馴染みある動物がコアラだったんだよね?
閉じ込められて、寂しくて、怖くて、そんな毎日の中で、唯一の心の支えが、このぬいぐるみだったんだよね……? それを知っていて……この姿を選んだんでしょ?
「やさしいじゃん、コアラ」
「ぐもも?」
「誤魔化されないから。わたしはあんたの飼い主ぞ?」
「ぶふぅ」
「でも、ドヤ顔されるのはやっぱりムカつくかも」
わたしはすぐに調子に乗るコアラを抱きしめる。ぎゅーっとぎゅーっと抱きしめる。
「あーあ、今日もわたしのコアラがかわいいなー!」
「ぐも!」
そんなとき、扉のほうから物音がした。
よく見たらあの扉、下の方に窓がついているんだね。
差し入れられるのは、プレートに載せられたご飯だ。なるほど、食事は定期的に与えられていたらしい。
だけど、中身が質素すぎやしないかい?
メニューは具なしスープとカチコチパンと鳥肉っぽい何か。
一応、スープを一口飲んでみる。冷たいし、味がなさすぎる……。
パンは固すぎて、四歳の力では、手でちぎることすら困難なんだが?
鳥肉っぽい何かは……変な臭いがする。食べちゃダメなやつだ。
「こんの、どクズ親……」
これで昔の恐怖を思い出させて、再び言うことを聞かせようってか。
なめんなよ。わたしはもう、泣いてばかりのルルティアじゃない。
中身がアラサーになったこともあるけど、それ以上に……今の【わたしたち】には、最強の使い魔がいるんだから!
「コアラ、準備はいいね?」
「ぐも」
「それじゃあ、せーの!」
ちゅっどおおおおおおおおん!!
思いっきりいかせてもらいました。
爆音と爆風に吹き飛びそうになる四歳児の身体を、わたしはグッと足を踏みしめて堪える。
扉がまわりの壁をえぐって吹き飛んだ衝撃は、大きなお屋敷全体を揺らしたことだろう。
粉塵があけると、ヘルメットをかぶったモブ兵士がひとり立っていた。
「俺の出番をとっといてくれないか?」
「ユーリさん!」
ヘルメットを脱ぐと、そこには落ち着く剣道部部長的なイケメンフェイス。
到着が誰よりも早いということは、ちゅどーんの前からわたしたちを助けようとしてくれていたのかな。それは見せ場をとって悪かったな。反省はしないけど。
途端、コアラが慌ててユーリさんの傍へ駆け寄って、よじよじ。胸元をわしわし。
「ちゃんと待ってたようですよ、コアラが!」
「餌目的だけどな……」
わたしがスープを飲んだから、コアラもご飯が食べたくなったんだね。
ユーリさんも呆れながらも、ちゃんとユーカリの葉を用意してあるところが流石である。
さぁて、コアラのご飯が終わったら反撃開始だ!





