30話 幼女と両親
「ルルティア様のご両親が目を覚ましました」
「ぐもおおおおおおおおおお」
コアラが寝てしまったので、今日の魔法の特訓はおしまいである。
優雅に茶をしばこうとなったときに限って、いらないお知らせがやってきた。
間を入れず、ミハエル王弟殿下が訊いてくる。
「どうする、ルルティア」
「聞かなかったことにしたらダメですか?」
「誰かに怪我をさせておいて、そのままというのは教育上良くないと思うなぁ?」
ちなみに、この場にカーライル殿下もいる。
魔法の特訓も一緒だったからね。休憩も一緒というわけだ。黒猫のシェンナちゃんは嬉しそうにミルクを舐めている。かわいいな。わたしの左腕にしがみついて「ぐもおおおお」と丸いコアラも負けてはいないけれど。
ともあれ、たしかに十歳の男の子の前で、悪いことをしたのにどスルーかますのは教育に良くないだろう。ミハエル殿下もカーライル殿下を見ているから、そういうことだよね。そうカマをかけてきているんだよね。ちくしょーめ。
「謝罪はケーキを食べてからでもいいですか?」
さて、四歳児にぶっ飛ばされた哀れな(元)ご両親は、どんな反応をするだろう。
『金輪際、その顔を見せるな!』
やっほい! 諸手をあげて歓迎だ。ありがとうございますと笑顔でお礼をいってやろう。
『こんな不躾な娘……親の顔が見てみたい』
貴様が親だ。鏡をその顔に打ち付けてやろう。
『よくもわしらを攻撃してくれたな! やり返してやる!』
よぉし、戦争だ。全力コアラぱんちをお見舞いしてやる!
そんなシミュレーションをしていても、早鐘を打つのが四歳児の心臓だ。
アラサーメンタルとしては、心ない謝罪なんて数えきれないほど経験済みだけどね。
救護室の扉の前で立ち止まっていると、ミハエル殿下がニコニコと顔を覗き込んでくる。
「珍しいね、緊張しているのかい?」
「王弟殿下とお話しするときは、いつも緊張していますよ?」
「侯爵夫妻といえど、王弟よりも立場は低いから。気軽にいっておいで」
そうだ、わたしは王太子や王弟をぶん殴っても許されている最強四歳児。
今更侯爵夫妻なんて、まったく怖くないぞ!
と、意を決して扉をあけたときだった。
その声は、わたしの予想を反して、わたしをとても歓迎していた。
「ルルティア!」
あぁ、懐かしい声がする。
わたしも二年間はお世話になっていたし、生まれたときからそばにいた人たちだ。
もうその声はルルティアの身体に沁みついている。
「おいで、わしのかわいいルルティア」
ルルティアの両親は、この世界の基準でいえば、けっこう歳をいっている。
お父さんが四十五歳くらい。お母さんが三十五歳くらい。
年の差もあり、お父さんのほうがルルティアを可愛がってくれてたんだよね。お母さんは、食事のときに顔を合わせる程度。あまり家庭的な人ではなく、社交が大好きな人らしい。たしかにルルティアの母親らしく、前世なら美魔女と呼んでいい美貌だ。
なんとなく、わたしはミハエル殿下を見上げてみる。
書類上、今の父親はミハエル王弟殿下だ。
王宮に来たついでに、しっかりと手続きは本当だったのかと王妃様経由で確認してみたのだけど、養子縁組はしっかりと行われていた。尋常じゃない手続きの早さだったらしいけどね。
昔の親に子どもが甘えたら、嫌な気分になったりするだろう。
そんなことを懸念していると、ミハエル殿下がそっとわたしの背中を押す。
「甘えてきても大丈夫だよ。僕は器の大きな男だから」
「こないだまで、わたしを息子にとられて全力で嫉妬拗らせていませんでしたか?」
「なんのことかな?」
わたしは賢い四歳児だ。これ以上追及しても徒労に終わることは学習済み。
というわけで、とりあえずルディール侯爵に近づいてみる。
いくら捨てられていようと、実のお父さんとの再会に喜ばないのは不自然だからね。
もしかしたら、破門にも何か事情があったのかもしれないし。
ただ娘の使い魔のコアラ飼育費にお金がかかるから……てだけで娘を追い出すくらいなら、普通は『ペットを捨ててきなさい』が優先されそうな気がするし。と、冷静になったら思うわけで。
それに、結果的に乗っ取ってしまった【ルルティア】という女の子の意識的には、きっとお父さんとお母さんは恋しいに違いないわけで。そんな女の子の意識を乗っ取ってしまったことに、罪悪感がなかったわけではない。だからせめて、彼女が望みそうなことは優先的に叶えてあげるべきだ。それが【わたし】のせめてもの償いだ。
……と、自分に色々理由をつけてみても。
「ずっと会いたかったよ。ルルティア」
実際、お父さんに抱きしめられた途端、わたしは無意識にその男を突き飛ばしていた。
「なに、これ……」
ガクガクと、手足の震えが止まらない。立っているだけで精いっぱいだ。
「ぐもも」
左腕に違和感を覚える。どうやらコアラが目覚めたようで、わたしの頬をぺろぺろと舐めてくれていた。もしかして、わたし、泣いていたのかな……。
そんなとき、わたしは誰かに抱きあげられた。
「すみません、ルディール侯爵。一端、僕たちは下がらせていただきます」
「あ、あぁ、そうですね。先に酷いことをしたのは我々だ。いきなり仲直りしようなんて言っても、ルルティアも戸惑うのが当然だ……」
ミハエル殿下がわたしを抱っこしたまま、部屋の外まで連れ出してくれた。
わたしの部屋について、ようやく下ろしてくれて。
そこでようやく、わたしは呼吸ができた心地だった。
「珍しいね。こんなに怯えるなんて初めてじゃないか?」
それでも、いつもの軽口すらも、出てこない。
だって、わたしが一番困惑しているんだもの。
わたしがあんな侯爵に怯える必要なんて、ないはずなのに。
だったら、ルルティアが?
身体の持ち主であるルルティアが、あの両親を拒否しているとか?





