8 悪徳商会の残党
思いもよらない不測の事態に、俺は耳を疑った。
「ちょっと待て。殿下は無事なのか?」
「はい。現時点では殿下が害されたり、自由を奪われたりという状況ではなさそうです」
「でも賊が押し入ったんだろ?」
「この手紙から断片的に見えたのは、賊が押し入ったところと、殿下が一旦は拘束されて賊に何かしらの要求をされている場面と、この危機的状況を外部に知らせるべくラナルフ様に手紙を書くことを思いついたところと……」
「……は? なんで俺なんだよ?」
「はっきりとはわかりませんが……。でも殿下がラナルフ様の存在を思い出して、『ガルヴィネ先生ならきっと……』とつぶやいたのはしっかり見えました」
なんだそれ。
ますます意味がわからない。
でもアスタが言うのなら、西の塔に賊が押し入ったことはもはや疑うべくもないだろう。
「賊に無理やり書かされた手紙ってわけじゃないんだな?」
「そのようです」
「じゃあ、賊の目的はなんだ? 何を要求したかは見えたのか?」
「いえ、残念ながら。ただ……」
「ただ?」
「賊の一人が、自分たちはベイロン商会だと名乗っていました」
アスタの無表情が、見るからに引きつっている。そりゃそうだ。およそ一年前、ラッセル男爵令嬢がアスタの誘拐を依頼したうえ、計画実行前にバレて大騒ぎになった悪徳商会の名前をこんな形でまた聞くことになるとは。
「いやでも、あのときベイロン商会は幹部たちが全員捕まって、事実上解散したはずだ」
「そうですが、押し入った賊が『俺たちはベイロン商会だ、無駄な抵抗は諦めたほうがいい』と告げている記憶が見えたので」
「……まじか」
「……はい」
アスタの厳しい顔つきが、ゆっくりと頷く。
去年の騒動で逮捕・拘束されたベイロン商会の幹部たちは、あのあと本拠地である隣国アンドゥーネに身柄を移送されることになった。アスタの誘拐は未遂に終わり、我が国での犯罪の立証は難しいと判断されたためだ。
でもアンドゥーネでは数えきれないほどの犯罪事実があり、すでに騎士団が秘密裏に捜査を進めていたらしい。その追手から逃げるように我が国へと拠点を移そうとして結局は失敗し、最後にはアンドゥーネの法で裁かれて全員が処刑されてしまった。それほどまでに彼らの重ねた罪は重く、世論も厳罰を望み、アンドゥーネ王家も情け容赦しなかったと聞く。
となると、残った者たちが解散に追い込まれたことを逆恨みしているのだろうか?
引き金になった幹部逮捕を主導した我が国を恨み、復讐しようとフレデリク殿下を人質に取ったとか? いやでも、アスタの話では殿下は一旦拘束されたものの、その後は自由に動けるようになっているらしい。だからこそ、こんな意味不明な手紙を書くことができたのだ。ということは、人質として監禁されているとか行動を制限されているとか、そういう扱いは受けていないということになる。
……どういうことだ?
一人思案に暮れ、次々に思い浮かぶ幾つもの可能性を検証する。でも西の塔で何が起こっているのか、その全容を掴むことなど到底できない。とはいえ王族が危険にさらされていると知って、このまま放っておくこともできない。すぐにでも王家に知らせる必要がある。
ただ、そうなると。
『どうやってフレデリク殿下の危機を知ったのか』ということが問題になってくる。
この手紙だけでは、西の塔にベイロン商会の残党が押し入り、殿下が危機状況に陥っていることなど伝わるわけもない。こんな不可思議な手紙が届いたと王家に報告したところで、きっと「なんだこれは?」と一蹴されて終わりだろう。
でも、だからといってアスタの能力のことを公にしてしまったら。
王家はそれを利用しようと、飛びついてくるに決まってる。かつてアイザック殿下がそうしたように。
――――あんな思いはもう絶対にしたくない。
アスタの能力を知ったアイザック殿下が不条理にアスタを奪おうとしたことへの怒り、その後アスタの姿が見当たらないと知ったときの衝撃と不安がまざまざと思い出される。
アスタを失うのではという圧倒的な恐怖ですべてが闇に飲みこまれ、深い深い奈落の底に引きずり込まれていったあの瞬間――――
「ラナルフ様」
濁りのない澄んだ声で、我に返る。
「あ……」
「大丈夫ですか?」
「ああ、うん……」
アスタが目の前にいることにほっとして、思わずすがるように腕を伸ばす。
すんなりと抱き寄せられ、少し戸惑いながらもあっさり腕の中に囚われるアスタ。その柔らかさと温かさを実感して、俺は大きく深呼吸する。身も心も結ばれた今、アスタを手放すなんてこれまで以上にできるわけがないしそんなリスクはすべて排除してしまいたい。
「アスタ……」
「どうかしたのですか?」
余裕なく、ぎゅうぎゅうとアスタを掻き抱く俺の耳のすぐそばで、心配そうな声が響く。
「……フレデリク殿下の危機を王家に知らせるなら、当然アスタの能力のことも言わなくちゃなんないよな……?」
「あ……」
「でも、それだけは絶対にしたくねーんだよ」
「え?」
「俺にとってはアスタより大事なものなんてない。フレデリク殿下を救うためにアスタの能力のことを明かして、またアスタを奪われるリスクを抱えるくらいなら殿下がどうなろうと知ったこっちゃない」
「えっと、それは……」
腕の中のアスタは困ったように目を伏せて、「さすがにダメですよ……」なんてつぶやく。
あー。ダメだ。可愛すぎて意識飛びそう。
「ラナルフ様」
アスタを奪われたくない葛藤と暴発しそうな本能とでぐちゃぐちゃになっている俺に、どういうわけかアスタがからりと言い放つ。
「それについてはですね、恐らく大丈夫だと思うのです」
「は? なんでだよ」
「私たちが思っていたより、フレデリク殿下は相当有能だったということでしょうか……?」
「は?」
訳がわからずアスタの顔を覗き込む俺を、コバルトブルーの瞳が優しく包み込んでいた。
◇◆◇◆◇
その日のうちに謁見を申し入れ、翌日の朝。
「お前、最近俺に会いに来すぎじゃない?」
そこはかとなくうれしそうな顔をしながらも、俺がまた厄介ごとを持ち込もうとしているのではという警戒心を露わにするエリック殿下である。
「俺も会いたくて来てるわけじゃねーんだけどさ」
言いながら、あの手紙をさっと差し出す。
「なんだそれ」
「昨日、西の塔にいるフレデリク殿下から届いたんだよ」
「は? なんで? あいつにはのっぴきならない状況以外は外部との接触を禁じたはずだが」
「その『のっぴきならない』状況になってるらしいんだよな」
目で促すと殿下は慌てて手紙を広げ、ひと通り文面を読み終えると訝しげな表情をして俺を見返す。
「なんだこれ」
「妙な手紙だろ?」
「まあ、確かに西の塔付近にはツキミソウの花が群生しているが……。でも『愛される資格などない』を貸してやったのは私だよ?」
「お前が貸したのか?」
「いきなり放り込まれた幽閉生活だ。自分が何をしでかしたのか、我が身を振り返って猛省しろと言いたいところではあるがな。少しは娯楽も必要だろうと思って、幾つか本を持たせてやったんだ」
「面白いのか? その本」
「フルロア・ヴィンスは有名な作家だし、『愛される資格などない』は彼の代表作だからな。でもフレデリクは本なんてほとんど読まないから、とりあえず三巻まで持たせてやったんだ。続きが読みたいってことなのか? でもそれなら、なんでお前宛に……」
「いや、フレデリク殿下が伝えたかったのは、そこじゃない」
思った以上に焦燥感を含んだ声になると、エリック殿下が片眉を上げる。
「どういうことだ?」
「その手紙、文章の最初の一文字だけを縦読みしてみろよ」
「……え?」
言われたエリック殿下が急いで文面に目を落とす。
「お、う、し、つ、あ、ぶ、な、い……? ちょっと待て。これは……!」
「フレデリク殿下、なんかやばいことになってんじゃねーか?」
エリック殿下の端正な顔立ちが仮面のように強張るのを、俺は見逃さなかった。




