7 二通の手紙
「ラナルフ様。エイブリル様からお手紙が届きました」
ナイトレイ公爵領を訪れてから、すでに数週間がたった。
結局、エイブリル嬢はあのままジェラルドのところにいるらしい。娘思いのレミントン伯爵が、こっそりジェラルドたちを援助している話もちらほら聞こえてきている。
一方で、レミントン伯爵家との縁を結びたいナイトレイ公爵は苛立ちを隠せずにいるという。婚約の話を進めたいが当の本人が戻ってこないことにはどうすることもできず、親であるレミントン伯爵をせっついても「娘は言い出したら聞かないのでねえ」なんてのらりくらりとかわされているからである。
「エイブリル嬢は元気にしてるのか?」
「そのようです。シーラ様たちにいろいろ教えてもらいながら、自分のことは自分でとあれこれチャレンジしているようで」
「さすが、予想以上の順応ぶりだな」
「はい。ジェラルド様は私たちが翌日の朝早くに出発したことを知って、エイブリル様を置いて帰るとは何事だとだいぶ憤慨なさっていたようですが」
「そりゃそうだろうよ。あいつには到底思いつかない芸当だからな」
「でも当分は帰る手段もありませんし、エイブリル様がしばらく別邸で過ごされるのを認めるしかなかったようです。生活を共にしていれば自然と話す機会も多く、エイブリル様はジェラルド様からすぐに帰って新たな婚約を結ぶよう何度も諭されたそうですが」
否応なしに、あの頑固なひねくれ者がエイブリル嬢を必死に説得する様が目に浮かぶ。自分の目論見が全部バレたとはいえ、すべてを犠牲にする覚悟で打った一世一代の大芝居を無駄にしたくはないのだろう。エイブリル嬢が幸せになるためには自分以外の男を選ぶしかないし、そうしてほしいのだと言葉を尽くして説明したに違いない。
「でもエイブリル様、ジェラルド様の説得を完全に無視しているそうです。というか、ジェラルド様の本心を知って、ご自分もジェラルド様を諦めきれずにいたのだと悟られたそうで。お互いに好きなのにどうして離れなきゃならないのと逆に食い下がっているそうです」
「お、とうとう開き直ったか」
「そうみたいですね。それにエイブリル様がしばらく別邸に留まりたいと伝えたら、お父上のレミントン伯爵も『好きにしなさい』と言ってくださったそうなのです」
「まじで? 寛大すぎないか? どうすんだよこれから」
「どうなさるのでしょう?」
聞かれたところでわかるはずもなく、とはいえ相思相愛の二人の新たな展開にわくわくしている様子のアスタ。あー、なんだかな。なんでこんなに可愛いかな。結婚してからも、日々その可愛らしさを更新していく妻が愛おしすぎるんだが。
抱き寄せようと腕を伸ばしたところで、ドアをノックする音が水を差す。
「なんだ?」
どさくさに紛れていちゃいちゃしようとした不埒な魂胆をまんまと邪魔されて、ちょっと不機嫌な声になる。
それに気づいているのかいないのか、執事のバートがまたしても怪訝な顔で現れた。
「ラナルフ様。たった今、ラナルフ様宛に急ぎの手紙が届きまして」
「……誰からだよ?」
「それが……フレデリク殿下からなのです」
「は?」
一瞬、思考が停止する。
思わずアスタに顔を向けると、アスタも驚きのあまり俺を凝視している。
フレデリク殿下。
去年の騒動のあと、罪を犯した王族が送られるという西の塔で幽閉生活を余儀なくされている不遇の第二王子。諸悪の根源であるラッセル男爵令嬢に入れ込んで婚約者だったレイラ嬢を貶め蔑ろにし、最終的には陛下の不興を買って王族としての責任を追及されたあの凡庸な第二王子から、手紙が?
いやしかし、言うまでもなく、そんな手紙をもらうような仲ではない。というか、フレデリク殿下とは学園での接触以外ほとんどかかわりがない。学園の特別講師として赴任して、あいつらがリディアに因縁をつけていた場に駆けつけ愚行を諌めたときに初めてまともに話した程度の接点しかない。
あのあとフレデリク殿下は面と向かって俺に刃向かうことはなかったし、それからまもなく西の塔に送られてしまったからなおさらである。
意味がわからなすぎて不気味さすら感じるが、執事の差し出す手紙を受け取らないわけにもいかず。
バートが退出してから恐るおそる広げた便箋には、まるでこうした手紙のやり取りが日常であるかのような不思議な文章が綴られていた。
〈お久しぶりです、ガルヴィネ先生。
うれしい報告があります。
しずかな西の塔周辺ではありますが、
ツキミソウの花が咲きました。先生にお借りしていたフルロア・ヴィンス著
『愛される資格などない』ですが
ぶじに読み終えました。とても面白かったです。
なにかほかにも読みたいと思いますので、またお貸しいただけると幸いです。
いろいろとお手数をおかけしますが、よろしくお願いいたします。
フレデリク・ギルサイオン〉
……ん?
「なんだこれ」
一緒に便箋を覗き込んで、ほぼ同時に読み終えた俺とアスタは顔を見合わせる。
「ツッコミどころしかないんだが」
「……そうですね」
お互いの顔をもう一度見合わせて、再び便箋に目を落とし、それからまたお互いの顔を見合わせる俺たち。
「そもそもの話、いきなり何なんだって気もするがそれはこの際置いといてだな」
「はい」
「フルロア・ヴィンスの『愛される資格などない』ってなんだ?」
「ああ、それは多分、フルロア・ヴィンスという異国の作家が書いた小説です。恋愛推理小説、みたいですけど」
「殿下って、本とか読むのか? 意外だな」
「そうですね。学園にいた頃も、勉強に励んでいるとか図書館に出入りしているとかいった様子は見受けられませんでしたが」
「アスタはなんでこの本のこと知ってたんだ?」
「リディア様がブロル様に借りて読んでらしたのです。ほら、図書委員長の」
「ああ、あの」
「はい。『愛される資格などない』はブロル様のおススメの本でしたけど、リディア様はあまり好まれなかったようなのです。全部で十巻ほどあるそうですが、一巻を読み終えたあと『もういいわ』とおっしゃっていたのが印象的で、よく覚えています」
「つまらないのか?」
「いえ、そんなことはないと思いますよ。十巻まで続いているのですし、世界的に見れば大ベストセラーと言えるのではないでしょうか。でも話によると、女性にはあまり受けがよくないみたいですね」
「なんで?」
「主人公の男性が、女性をとっかえひっかえするような方のようで。男性から見たらそういうのはある意味理想像なんでしょうけど、女性から見るとその軽薄さにげんなりするといいますか」
アスタの説明に、俺は思わず首をひねる。
女性をとっかえひっかえするのが男の理想? なんだそれ。とっかえひっかえするくらいの薄い愛情しかないからだろ。唯一無二の相手に出会う幸福のほうが、余程得難いと思うのだが。
いや、まあ、それはいいとして。
なぜいきなり、あのフレデリク殿下からこんな意味不明な手紙が届くのか。届いた理由も書かれている内容も、まるで謎すぎる。謎しかない。
ひとしきり考えてはみるが思い当たることがあるわけもなく、ただただ頭を抱える俺にアスタがささやく。
「……ラナルフ様。その手紙、触れてみてもいいですか?」
「え?」
「触れてみれば、何かわかるかもしれません」
音もなく真顔を近づけ、俺にしか聞こえないくらいの小さな声で提案するアスタ。
確かに、今の状況ではわかっていることのほうが少ない。アスタが触れることでこの手紙に残る『記憶の残滓』を見ることができれば、フレデリク殿下がこの手紙を書いた意図や理由が少しはわかるかもしれない。
「……そうだな。頼めるか?」
「はい」
手紙を受け取ったアスタは静かに目を閉じて、意識を集中し始める。
その顔は、時間がたつにつれどんどん切羽詰まったような緊張感を増していく。息を潜めてしばらくその様子を見守っていると、アスタがすぅっと目を開ける。
「……何か『見えた』か?」
「かなり断片的ではあるのですが……」
「うん」
「フレデリク殿下は今、とても重大な危機に直面しているようなのです。この手紙は、それを私たちに知らせるためのものかと」
「重大な危機? なんだそれ」
「正確なことはわからないのですが……」
言いながら、アスタの表情に焦りが浮かぶ。
「フレデリク殿下が幽閉されている西の塔に、賊らしき人たちが押し入った様子が見えました……」




